2019年4月 9日 (火)

四都手帖2nd始めました

四都手帖2nd始めました。

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2019年4月 7日 (日)

都をどり2019を観る

都をどり2019

都をどりを見ないと春が物足りない。そんな春を過ごしてきたが、今年は、贔屓の芸妓さんがいなくなって寂しくなった。南座で開催されたので、春秋座に比べて便利になったけど、お茶席がなくなったのは帳消しだ。近くで芸妓さんの点前が見られなくなったのは残念だ。まして、正客の機会もない。

御代始歌舞伎彩(みよはじめかぶきのいろどり)

第一景 置歌

第二景 長唄 初恵美須福笹配(はつえびすふくささくばり)

第三景 長唄 法住寺殿今様合(ほうじゅうじどのいまようあわせ)

第四景 長唄 四条河原阿国舞(しじょうがわらおくにまい)

第五景 浄瑠璃 藁稭長者出世寿(わらしべちょうじゃしゅっせのことぶき)

第六景 長唄 桂離宮紅葉狩(かつらりきゅうもみじがり)

第七景 長唄 祇園茶屋雪景色(ぎおんちゃやのゆきがしき)

第八景 長唄 大覚寺桜比(だいかくじさくらくらべ)

三番なので、

総をどりに美月さん、佳つ智さん、小芳さん、茉利佳さん

中挾には、法住寺殿今様合に真咲さん、四条河原阿国舞に章乃さん、藁稭長者出世寿に紗矢佳さん

囃子は紗月さんが笛

長唄は小桃姐さんが立唄

 

以前、同志社女子大学で植野朝子(うえきともこ)先生が判者で今様合わせをしたときのことを思い出した。

 

2019年4月 6日 (土)

『日本の深層文化』(2009)その2

森浩一『日本の深層文化』ちくま新書、2009

第2章 野の役割を見直す

森浩一先生が『京都の歴史を足元からさぐる』(学生社)を書いていらした時期の本だけに、ネタが重なるようにも覚える。

京の七野は北野、紫野、平野、蓮台野、上野、萩野、内野である。森浩一先生の説明が気になったので引用する。

「七野は寛永二年(1625)にできた京都の地誌の『京羽二重』で使われた用語」(P47)とある。

『京羽二重』は宝永二年(1705)なので、出典が異なるのか。『京都事典』があいにく下の箱なので取り出せない。箱も崩れかかっているので、連休に作業しよう。一応、原典に当たれるのが情報社会の有難いところで、データベースを検索してみた。寛永二年(1625)はヒットしない。「京羽二重」で検索した結果は、注)の通りである。

時間になったのでこの続きはまたにする。

注)京都府立総合資料館所蔵・京都地誌閲覧システムで『京羽二重』宝永二年(1705)水雲堂を見てみると、巻四26頁に「野」があり、内野、北野、紫野、上野、萩野、平野、蓮台野と並び、27頁に「右七野也」とある。

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隅田公園の桜

2019年4月 5日 (金)

『日本の深層文化』(2009)

森浩一『日本の深層文化』ちくま新書、2009年

先斗町の居酒屋で森浩一先生を見かけた頃が懐かしく思い出された。京都に行くと粟餅を食べたくなる。北野天満宮前の粟餅所澤屋さんが有名で、きな粉と餡で食べる粟餅は日持ちがしないので、その日のうちに食べることになる。だから、誰とも粟餅の話をすることはなかった。この粟を巡る話から始まる。

第1章 粟と禾

粟田神社が京都の東山にあって、ホテルの近くだったのでよく詣でた。10月の粟田祭も楽しみな行事だった。京都造形芸術大学の学生さんが大燈呂(おろち)を造って巡行する世渡りの神事が面白かった。

その「粟田」という地名や氏名に森浩一先生は着目した。稲が主として水田に植えられるのにたいして、粟(あわ)をはじめ稗(ひえ)、黍(きび)(稷)、麦は畠(はたけ)の作物である」(P8)。なぜ「粟田」なのか? 森浩一先生は畠の倭字がつくられる前は水田にたいして陸田を「ハタケ」とよんだという。畠という倭字が作られるまでは、水田と陸田だったわけで、粟田も粟の陸田だった頃に生まれたと考えている。畑も倭字で、森浩一先生は焼畑地帯で生まれたという。字を見ると成り立ちが分かる。今更ながら、漢字の成り立ちに気を使っていなかったことが分かった。

禾(あわ)も粟と同じだ。この字を私は知らなかった。禾と粟の関係は稲と米の関係だったことが分かる。

こうやって日本の深層文化に入っていくのは無理がない。

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2019年4月 4日 (木)

『和辻哲郎』(2009)

熊野純彦『和辻哲郎』岩波新書、2009

何度も目にした森有正の文章から始まっている。

「ひとつの生涯の本質的なありようは、その生命の稚いない日々のうちで、すでにあますところなくとあらわれているものなのではないだろうか」(『バビロンの流れのほとりにて』)。

和辻哲郎は1889年に兵庫県神崎郡砥堀村仁豊野(現姫路市)という農村に代々の医者の家の子として生まれ、1960年に北鎌倉松岡山東慶寺に永眠した。仁豊農(にぶの)は姫路を流れる市川を北に遡ったところだ。姫路駅から播但線を8.2キロで仁豊農駅がある。明治の農村の様子を知るよしもないが、晩年の和辻哲郎は『自叙伝の試み』を絶筆としたが、熊野純彦氏は「和辻は、その幼年期の記憶に対してあまりに多大な紙幅を割いている」という。東京へ出て第一高等学校(旧制高等学校)で終わった自伝は3年をかけて中央公論に掲載されたから、稚年期の記憶がほとんどだという。

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2019年4月 3日 (水)

『「砂漠の狐」ロンメル』(2019)

大木毅『「砂漠の」ロンメル』角川新書、2019

あとがきで大木毅氏が呉座勇一氏の『陰謀の日本中世史』(角川新書、2018年)を取り上げていた。最近は読まなくなったが、ミリタリー本の中にはいい加減な本もあって、呉座勇一氏が提示した原理は陰謀論の見分けるのに役に立っている。大木毅氏が「今日、ここまではわかっているという研究の現状を提示する」(P300)という意図はありがたく、この本を読むことに決めた。

読み終えて、感想としては、ロンメルは師団長としては適格だが、軍,軍集団司令官としてはふさわしくなかったことが再確認された。勇猛果敢で戦術的センスのあるロンメルが活躍するところは面白いが、作戦的・戦略的な面で失敗するロンメルを見ていると残念で、「結局のところ、ロンメルは大戦略を理解するだけの資質もなければ、そのための教育も受けていなかった」(P295)という著者の主張を受け入れざるを得ない。

陸軍大学を出ていない傍流のロンメルは、「総統アドルフ・ヒトラーの愛顧を受けて、思いもがけぬ高みに昇った。けれども、ギリシャ神話は、神に対する傲慢は神の憤りを招くと説く。ロンメルもまた、自らを引き上げてくれた神、すなわちヒトラーに滅びを命じられたのであった」(同上)。

デイヴィッド・アーヴィング『狐の足跡 ロンメル将軍の実像』(早川書房、1984年)などの歪曲に対する批判は分かるが、史料状況に基づく結論の留保ということを理解するだけの知識が私にないことが分かった。

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キーワード

#ロンメル #大木毅 #砂漠の狐

2019年4月 2日 (火)

CASANOVAを観る。

 花組東京公演のCASANOVAを堪能しました。

またしても取れないチケットを無理矢理工面させて見たのでした。曲は何か聴いたことがあるような気がしましたが、月組公演『アーサー王伝説』ドーヴ・アチア氏の作曲でした。自分の耳を改めて信用しましたよ。仙名彩世さんの退団公演なので、娘役トップの退団公演とくればチケットが取れないのは仕方がないです。「邪馬台国の風」から見てきたので何かもう涙が出ます。成長するまいこつさんを見るのが楽しみになってきました。出番表が良くなって来てます。今回はパンフレットも力入っているし、Le ClNQもプレミアムがつきそうですね。「ポーの一族」の時のように。ああ、もう一年経ったのでした。デザートは「CASANEREVA」でカクテルが「モテ男」と洒落ていました。このご機嫌なCASANOVAを楽しんだあと、シャンテの寿司屋で反省会をするのも楽しい。大野のように融通が効くわけではありませんが、日曜日としては楽しめたのでした。店長さんが我々のペースを知って出してくれるのがなんとも気持ち良いです。

 

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2019年4月 1日 (月)

4月1日あるいはエイプリルフール

相変わらずココログの混乱は続いている。この失敗事例から我々は何を学ぶのだろうか。

時は経つものである。その感じ方は年齢や体調によっても一定ではない。日々、少しの時間を捻出して読書やblog書きに充てている。もっとも、長時間の読書には耐えられない身体になった。書きたいことがそうあるわけでもない。仕事で読む本は、内容を吸収し、使うことが目的なので、要点をメモに取ることもある。そもそも読み方が違うので、別の機会に書くことにして、ここでは余暇に読む本について書くことにしよう。

推理小説は別として、読んで楽しかったで終わってしまっては、残念なこともあるので、メモしてきたのはこの数年のことだ。時々、公開していないメモを読み返しては、メモを更新したりしている。自分が感動しないことはメモしても仕方ない。研究や勉強のために読んでいるわけではない。人それぞれに異なる面白さを味わうために読んでいる。自分の波長に合う著者の本が多くなることになるけど、同時代を生きている人の本は年に何冊も出ないので、長い時をかけて読んできたことになる。宮城谷昌光氏の本など年1冊として30年を超えている。森浩一先生の本も先生がお亡くなりになるまで毎年楽しみにしていた。

blogを書くようになってwebにメモを残すとどこでも検索できるからいいと思ったが、ココログの検索機能が使えたものではないので、iCloudPagesにメモを定期的に保存するという原始的な方法でやっている。スマホのアプリ内の保存すると機種交換やサービスの変更の時に困るので、依存性の低いやり方にしている。Evernoteの検索もあてにならないので信用していない。メモにメモするというのもメモの数が3千を超えたくらいからストレスを感じるようになって、メモをアーカイブすることで、減らすことにした。

宮城谷昌光氏の本もかなり読んだ。しかし、手元にはあまり残っていない。これは若者達が売れるので処分したためだった。『湖底の城』の時はどうせ売るならシリーズが完結してからが高く売れるのではないかと抗弁したが、聞き入れてはもらえなかった。買った時に読んで反芻してそのまま読み返されることがないのを知っているのだ。好きなフレーズに付箋を貼ってあっても、抜書きをしないでいることは、彼、彼女達の感覚からすれば、重要ではないということになる。だからというわけではないが、最近の本はblogに感想を書いておいた。手元にない本がblogに記憶されているのも変な感じがする。何度も読み返す『孟嘗君』5巻と『奇貨居くべし』5巻は逆にblogでは検索できない。毎年1冊という意味では子安宣邦先生の本を読むのを楽しみにしているが、感想を書けるレベルではないので、付箋だけにしている。これは若者達も手を出さないので安心しているが、課題図書で買った本は箱の中にしまっているので、いつか気がつけば、処分されてしまうだろう。

人生のend gameをプレイするに当たり、仕事の本をこの数年で片付けてきた。さて、次は楽しむための本とレファレンス本である。人に任せていたが、これは自分でしなければ、若者達も本の価値がわからないので手出しできない。別れは悲しいが、断腸の思いで片ずけることにする。箱を開けては1冊ずつ選ぶことをすれば、11箱で約3か月。いつだって途中でやめるから、最後まで行かないかもしれないが、花火の前に首を洗って差し出す覚悟である。

注)130冊を対象に1箱分を出すけど、15冊から10冊買う本で差し引きの計算になる。多分、この方式は私に優し過ぎるので若者達の支持を得られない公算が高いが、まずはできることからするのが無理のないところである。

注)ココログの管理ページからの検索は使えることが分かった。しかし、読者はどうなる? スマホからは使えない。

2019年3月31日 (日)

2019年3月購入図書

20193月購入図書

弥生も末のと書いてきて、すでに書いていたことを思い出した。1Qの読書生活は、年々の体力の衰えにより寂しくなった。本の選択も50代とは違う。今の自分に合った本を読む。その時間を確保するために、自分の時間を奪われないようにしよう。

(購入後記)

河内将芳氏の本を電車の中で読むのは楽しい。この2冊は豊臣政権の宗教政策や経済政策を当時の史料から読み解く本であった。概説ではないので具体的な事件を通して真相に迫ることになる。通勤のお供となった。

ロンメルの話は、以前に読んだ気がするが、やはり最後が気になるので買ってしまった。

silenceの歴史という切口は新鮮だ。

漢字の字形の話と英文法の本を語学に入れるのはいかがなものかと思うのでNDC80言語とした。

梅原猛の死を見届けねばなるまい。

【歴史】

『ユリイカ 2019年4月臨時増刊号 総特集 梅原猛』青土社、2019年

河内将芳『シリーズ権力者と仏教秀吉の大仏造立』法藏館、2008年

河内将芳『落日の豊臣政権秀吉の憂鬱、不穏な京都』吉川弘文館、2016年

大木毅『「砂漠の狐」ロンメル』角川新書、2019

アラン・コルバン、小倉孝誠・中川真知子訳『静寂と沈黙の歴史』藤原書店、2018

【言語】

落合淳思『漢字の字形 甲骨文字から篆書、楷書へ』中公新書、2019年

吉川美夫『考える英文法』ちくま学芸文庫、2019年

 

 

2019年3月30日 (土)

2019年3月購入古書

弥生も最初の五日、神保町を歩いていた。時間が空くとこの町を歩きたくなる。

(購入後記)

どうも課題図書というものに弱い。子安先生が面白そうに勧めるから、ついポチしてしまう。

中野好夫の文章力はとてつもない。研究会から帰ってきてポストに入っていた『蘆花徳冨健次郎1部』(1972年)を読み始めて、こんな時間になってしまった。中野好夫の書く徳冨蘆花の伝記とは文学そのものだ。

世の中は百済を慣用読みの「くだら」ではなく「ひゃくさい」と読むような時代となった。私の知識が陳腐化していることを認識する。

熊野純彦氏の和辻哲郎の評伝ともいうべき本を書肆スーベニアで買う。

中村昇氏のベルクソンに関する本を古書肆右左堂で買う。

【思想】

中村昇『ベルクソン=時間と空間の哲学』講談社選書メチエ、2014

熊野純彦『和辻哲郎』岩波新書、2009

 【歴史】

森浩一他『検証古代日本と百済』大巧社、2002

【伝記】

中野好夫『蘆花徳冨健次郎1部』筑摩書房、1972年、1974年第4

2019年3月29日 (金)

『翻訳仏文法 上下』(2003)

鷲見洋一『翻訳仏文法 上下』ちくま学芸文庫、2003

上巻は鷲見洋一(すみよういち)氏が1980年から『翻訳の世界』に連載したものを元に1985年にバベル出版から出したものを、21世紀になってちくま学芸文庫にした。なお、下巻は1987年に同じくバベル出版から出している。

翻訳論をバベル出版でよく読んだ記憶がある。

鷲見洋一氏が下巻のあとがきで翻訳のスタイルについて書いている。

「本書を執筆するにあたって、私がいやでも念頭に置かざるをえなかったのは、1960年代前後からはじまって、やがて広汎な読者層を獲得するにいたったフランス文学の小説、戯曲、評論の訳業である。戦前や戦争直後のいわゆる「名訳」と比べてみると、この新しい翻訳のスタイルはいくつかの目立った特長を備えている」(下P386)。

鷲見洋一氏があげた特徴には「親しみやすさ」、「読みやすさ」、「漢字の多用を避け」、「現代口語文に徹する」、「構文に忠実」などがある。

私は1960年代の本はそれまでの本と比べてページ全体が白くなった印象があった。「漢字の多用を避け」た文体は、鷲見洋一氏の著作にも言える。

1960年代の日本には、こうした訳文範型を媒介にしてフランスのとりわけ新しい文学を吸収するという、強い文化的要請があったことである。私自身の青春の記憶に照らしてみても、その要請は外からやってくるというよりは、むしろ生理的欲求のような形で、心の内側からひとりでに湧き出してきたような気がする」(下P387)。

「現在の状況はどうか。いくつかの例外をべつにすると、ここ10年のフランス語翻訳は前世代と比較して確実に読みづらいものになっている。本家本元のフランスが小説の時代から哲学と評論の時代に移ってしまい、難解な用語や分析をそう簡単には読みやすい日本語に移しかえることができないという事情もあるだろう」(同上)。

そして、文庫化にあたり、「1980年代と比較してみて、ここ20年間に何が変わり、何が変わらなかったといえるのか」(上P27)。外部世界が激変したにも関わらず、内部世界はさほど変化していないという。

外部世界を見ると、「大学でフランス語を履修する学生数が激減した」(上P28)。「仏語翻訳書の中で、文学が占めていた地位がますます低下してきた傾向は無視できない」(上P29)それに対して内部世界について、「まず、わが国における翻訳書なるものの体裁は、この20年間で何も新しい兆候など見せていない」(上P32)。

こうして読んできて、著者の意図に突き当たる。

「もうそろそろ察して頂けたと思うが、私が本書で狙っているのは、いわゆる「フランス文学」の翻訳論ではなく、どちらかというと、どこにでもあるようなフランス語で書かれた文章を、なるべく分かりやすい現代日本語に移し替えるためのマニュアルなのである(上P035)。

著者からの注意事項は、「本書の読者はかならず『英文翻訳術』を併読されるように。英語翻訳に必要な技術の90パーセントはそのまま「翻訳仏文法」としても役に立つのである」(上P108)。

まあ、普通は安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫、1995年)を読むのがよくて、しかも一冊で済む。『翻訳仏文法』を読むのは酔狂だといわれても仕方がない。それというのもベルクソンを去年から読んでいて、原文と翻訳を比べても理解できないので、仏文法の勉強に戻っているからである。形容詞一つとっても訳語の選択は難しい。何度も辞書を読み返してシンボルを掴む(松本道弘流)ことが必要なのである。

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2019年3月28日 (木)

書籍往来2019年3月

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原文と翻訳を対照しても、それだけでは理解することは難しい。何故、そう訳したのか、理解するためには、マニュアルがあると良い。安西徹雄『英文翻訳術』(ちくま学芸文庫、1995年)を読んだら、『翻訳仏文法』も読みたくなる。

【言語】

鷲見洋一『翻訳仏文法 上』ちくま学芸文庫、2003

鷲見洋一『翻訳仏文法 下』ちくま学芸文庫、2003

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2019年3月27日 (水)

『考える英文法』(2019)

吉川美夫『考える英文法』ちくま学芸文庫、2019

このところ英語の参考書を読んでいる。

高校の時のGrammarの教科書がしょぼかった記憶があり、英文法は苦手だった。予備校の先生に習ったとき、英語の力は今がピークだと言われた。構文解析力はその通りだと思った。今さら英文法を学ぶ気は無いのであるが、学ぶ仕組みというものを考えているので、教科書や参考書のあり方には関心がある。

本をパラパラとめくっていくと、本書の特徴でもある問題中心の構成が見えてくる。文法上の論点ごとに簡単な説明から入ることもあるが、大体は設問、解説、研究問題、実力テストで論点の理解を深める方式だ。「本書は、高等学校二三年生以上の学生、その他英語に興味を持つ一般の人々を対象」(はしがき)とあるように読者の知識を前提にしているので、初学者が手に取るような本ではない。

解説の斎藤兆史(さいとうよしふみ)東京大学教授が、書いている内容が至極まともに思える。

「日本の英語教育が実用コミュニケーション重視に大きく舵を切って以来,英文法や英文解釈は時代遅れの学習項目となってしまった感がある」(448頁)。

「では,過去30年ほどの間,使える英語だ,コミュニケーションだと口頭教授に力を入れた結果,はたして日本人の英語力は飛躍的に伸びただろうか」(同上)。

「今の英語教育では英文法を明示的に教えるのはよくないこととされているから,てこ入れのしようもない」(同上)。

本当に英文法は要をなさなくなったのか?

翻訳家が訳したものを元に意味が通ればよしとすることを毎月のようにしているが、怪しい訳は構文解析しながら、誤りを訂正したりする。(他に役に立たない)背景知識がないとプロの翻訳家でも機械翻訳の誤りを訂正しきれてないのである。実務を知らなければ誤りに気づかないのはこわいことだ。

本書は、吉川美夫著『考える英文法』(文建書房、1966年)の復刊・文庫版である。吉川美夫(18991990)は福井県に生まれ、高等小学校を出ただけの学歴ながら、小学校教員の検定試験に受かり小学校で教えた。河村重治郎の指導で英語力を獲得し、1921年に中等教員検定英語試験に合格して福井中学の教諭となり、1925年に高等教員検定試験英語科に合格した。旧制富山高等学校、戦後は富山大学や東洋大学の教授を歴任している。

伝記があれば読んでみたくなるような経歴である。河村重治郎(18871974)という人も中学中退で中等教員検定英語試験に合格した。福井英語学校で吉川美夫を指導したことで、後年、『カレッジ・クラウン英和辞典』を共に編集している。

 

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2019年3月26日 (火)

『落日の豊臣政権』(2016)その5

河内将芳『落日の豊臣政権秀吉の憂鬱、不穏な京都』吉川弘文館、2016

エピローグを読みながら、この本を振り返っている。

文禄年間という「桃山の京都」の絢爛豪華なイメージの裏側を追っていくと、豊臣政権の行き詰まりが見えてきた。

秀吉の心操の良さと見えた「金くばり」で公家衆や大名衆に配られた金が、「ならかし」で町民に強制的に貸し付けられて、その金利が対外戦争のための安宅船の建造費になったと豊臣政権の経済政策を河内将芳氏は読み解いている。

「喧嘩」や「辻切り・盗賊」に豊臣政権の治安対策が見え、秀吉の後継者問題が浮かび上がる。

「声聞師払い」や「狐狩り」といった奇妙な政策の背景に対外戦争で男が留守になる女房対策があった。

「恠異」と「大地震」は秀次事件や上下ともに迷惑な普請に苦しむ人々の姿がある。

文禄の役という対外戦争を直接描かず、当時の人々の記録から文禄年間の闇を取り上げたこの小著が文禄年間を描いた大著を読んだ気にさせるのは、今まで読んできた著作と響き合うからであろうか。


キーワード

#河内将芳 #京都 

2019年3月25日 (月)

『落日の豊臣政権』(2016)その4

河内将芳『落日の豊臣政権秀吉の憂鬱、不穏な京都』吉川弘文館、2016

天変地異と政権の動揺

恠異

三条河原の処刑が語られる。秀次事件で秀次一族が処刑されたのである。瑞泉寺に伺った時に、秀次一族の塚を見たが、語られる物語に悲しくなった記憶がある。

聚楽第も破却された後、降砂や降毛があったことが書きとめられている。

大地震

河内将芳氏は文禄地震余震の記録を義演准后日記・言経卿記・孝亮宿禰記をもとに表にしている。5ヶ月余り続いていた。この地震で東山大仏が破損した話は『秀吉の大仏造立』(2008年)で読んだばかりだった。伏見城(指月城)が崩れ、伏見城(木幡山城)が再建された。伏見城の再建にあたり、庶民の「退屈」(困りはてること)と「迷惑」(とまどうこと)は限界に近いものになっていた。


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#河内将芳 #京都

2019年3月24日 (日)

奈良その奥から六「岳のぼり」

岡本彰夫『ひととき』20194月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「岳のぼり」について『ひととき』20194月号に書いていました。岡本彰夫氏の故郷では、「岳(だけ)のぼり」といって毎年四月に各在所で定められた霊山・霊地に登拝し、各家で遊山を楽しむといいます。小学六年生の頃のそんな思い出を書いています。羽織を着た老人が下駄で降りる中、重装備の登山家の一隊が威儀を正して登ってきて、すれ違いざま、老人を見た一隊の驚愕した顔つきは、今でも忘れられないそうです。

「霊山・霊地に入るには礼儀があって然るべしで、事もなげに人間が入るべきではないと思う」という言葉に続き、「春日大社の廻廊は地形に合わせて建てられている」。神か坐す所であるから「人間風情が濫りに掘ったり穿ったりするべきではないのだ」といいます。

注)昔、五月の連休に燕岳荘から中房温泉へ下っていたとき、下から長靴と傘で登ってきた身軽な男性を見かけたことがありました。オイオイ、日帰りならともかく、雪が凍ったら降りられなくなるぞと思いました。

2019年3月23日 (土)

114「風の面持ち」千宗室

ひととき 2019年4月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「風の面持ち」というタイトルでした。家元が賀茂街道に出る前の小道と思われるところで感じた風について書いていました。路地を入り込んだ人気の無い庭を「眺めているうちに、私の中で冬は宥められ、春が背筋を正す」といいます。風の音の良い路地で止まって風を待つこともあるそうです。去年の台風で痛められた師範桜に想いを寄せてエッセイは終わります。

注)そういえば家元が路地を歩くのはタイトル通りですね。

2019年3月22日 (金)

『漢字の字形』(2019)

落合淳思『漢字の字形甲骨文字から篆書、楷書へ』中公新書、2019年

本屋に目的の本がなかったが並んでいたので買ってきた。落合淳思氏の本は私の中で信用度が高いので、無鑑査というわけである。

本書の意図はあとがきに書いてあるので引用する。

「字形表を作った意義は、なんといっても見た目で分かりやすいことである。漢字の成り立ちについて、かつての研究では、一部の字形だけをつかうことが一般的であり、推測あるいは憶測という程度のものだった。しかし、各時代の字形を集めて一覧表にすることで、そうした曖昧な考えを払拭し、誰の目にも明らかな形で成り立ちや継承関係を示すことができる」(P196)。

字形表をどうやって作ったのかというと、

「本書は各時代の字形をフォント化することで字形表を作成したが、非常に時間がかかる作業であった」(P197)。「実際のところ、本書は文章を書くよりも、フォントを作る方に時間がかかっている」(同上)。

著者の苦労が偲ばれようというものだ。できればフォントも公開してもらいたい。象形文字や指示文字などが104の字形表(枠線で囲われているものをカウントした)になっているが、もちろん漢字の一部でしかないのでもっと増やしてもらいたいところである。

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2019年3月21日 (木)

文学読解の秘訣

谷沢永一『論より証拠』(潮出版社、1985年第2刷)を枕元に置いてナイトキャップにしている。

谷沢永一先生の「文学読解の秘訣を教わる清水好子『源氏物語の文体と方法』」(昭和56517関西大学通信 110号)を読むと、「昭和二十四年九月『国語国文』の巻頭に清水好子の学会初登場論文「物語の文体」が出現したのを国文学研究史上の画期と見る評価に恐らく誰も異存はあるまい」とある。「清水好子の以後多数の論文から、広く文学読解の秘訣を教わり続けたのであった」と書くところが谷沢永一先生らしい。

Amazonで「清水好子」で検索したら、風巻景次郎・清水好子『時代が見える人物が解る源氏物語』(ビジネス社、2008年)に谷沢永一先生が解説を書いていたのが分かった。この解説を読むためだけにポチしたくなる。

清水好子『源氏の姫君増補版』(塙新書、1967年)もヒットした。在庫があるのにびっくりする。私は古書で入手した。源氏物語の紫の上や光源氏などの美しい名前に対し、当時のあだ名を対比するところから始まる清水好子の話は面白かった。紫式部も「日本紀局」とつけられて閉口したと書いている。清少納言は「草の庵」だそうだ。『枕草子』を読み直す時があったら、注意しておこう。

2019年3月18日 (月)

『落日の豊臣政権』(2016)その3

河内将芳『落日の豊臣政権 秀吉の憂鬱、不穏な京都』吉川弘文館、2016年

影を落とす後継者問題
声聞師払い
陰陽師と声聞師(しょうもじ)の区別がつけば大したものだ。陰陽寮に属する官人としての陰陽師に対し民間の陰陽師が声聞師(唱門師)といわれる(P97)。声聞師は散所に属していた点と芸能たずさわっていた点に特徴があるという(P97)。
秀吉の留守中の女房衆から金の棒を声聞師が取り上げたことで、声聞師が召喚され、豊後国へ移住させられた。在陣留守の女房の扱いを巡って、声聞師払いが行われたことが記録にある。男留守の時の女房に対す夫以外の接触を徹底して排除する思考がみられる(P109)。極め付けは、秀吉の女房衆の不行跡に対し見せしめのため三条河原で子供と乳母が煮殺され、夫と女はノコギリ引きの刑に処せられたという(P114)。

狐狩り
宇喜多秀家の女房の身におこった出来事が語られる。いわゆる狐憑きであった。宇喜多秀家の女房の産後の乱心を野狐が憑いたとして、稲荷社へ秀吉から払いの祈祷が命ぜられた。女房に不慮のことがあれば稲荷社は破却され、日本国中狐狩りするこという。なぜここまでするのか、この女房は前田利家の女の豪姫であり、宇喜多秀家に嫁がせたのは秀吉だった。河内将芳氏は「秀吉や諸大名・諸侍の女房の行状、あるいはまた、彼女らが出産する子供の性別や生死いかんによって、天下がゆるがせかねないという深刻な危機感があったと考えられる」(P131)とした。

「秀吉は、「野狐」などの「物恠」や声聞師がそなえる呪術、あるいは、女房とその出産、そして、出産してまもない子どもの性別や生死といった、みずからの力ではいかんともしがたいものに翻弄されつづけていたとみることもできよう」(P131)。

このあたり畳みかける調子で、「それは同時に、天下人秀吉が力をふるえた領域というのが、じつは世界のごく一部にすぎないという、あらためて考えれば、当然というべき事実を示しているわけだが、そのことを跡づけていくかのようにして秀吉とその政権は、このあと、彼らの力のおよぼないものによって、しだいに追いつめられていくことになるのである」(P131)。

つなぎ方が上手い。この後を読みたいが、時間になったようだ。全くストイックな読書人である。
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2019年3月17日 (日)

『落日の豊臣政権』(2016)その2

河内将芳『落日の豊臣政権 秀吉の憂鬱、不穏な京都』吉川弘文館、2016年

不穏な京の町
喧嘩
豊臣秀次の小姓と細川幽斎の右筆が豊臣秀次の御弓の衆と口論におよび殺害され、御弓の衆は逐電し、「京中屋サガシ」にいたったという。この「京中屋サガシ」が凄まじい。各町毎に請文を提出させ、自主的に「屋サガシ」させたのである。奉行衆の捜査の結果、1人が逃亡先から立ち帰り切腹した。8人が三条河原で御成敗されたという。文禄の役の逃亡者にも宿を貸さないことを誓わせた誓紙血判もあり、奉行衆の姿勢はかなり厳しいものであった(P72)。

河内将芳氏は、「口には出せないものの、対外戦争に対する人びとの厭戦感というものがあったのではないかと思われる」(P72)という。請文や誓紙血判などが洛中洛外のすみずみにまで強要されたり、御袋と呼ばれた淀殿の懐妊の雑説から豊臣家の世継ぎをめぐる政情不安がある、生きづらい世の中を活写する。

辻切り・盗賊
喧嘩だけでなく、辻切り・盗賊がなどの物騒な出来事が論じられる。
「文禄2年10月9日の夜、「本百万遍町南の辻」において辻切り事件がおこった」(P78)。どこだか見当がつけば話しが早い。百万遍知恩寺は天正19年(1591)にはじまった京中屋敷かえによって、現在の場所に移動した。元の場所は聚楽第の前、一条戻橋の近くであることは、河内将芳氏の『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』(2014年)で読んだばかりだった。豊臣秀次の居城の近くである。ここでも各町から請文が出された。豊臣政権の探索方法は自ら「屋サガシ」させて報告させる。この犯人は分かっていない。

読んでいくと石川五右衛門が出てくる。三条河原で釜茹でにされたことは当時の資料から分かるが、当時の盗賊が、巾着を切って金を取るだけでなく、相手も殺害するという物騒な集団であったことは知らなかった。
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2019年3月16日 (土)

『落日の豊臣政権 秀吉の憂鬱、不穏な京都』(2016)

河内将芳『落日の豊臣政権 秀吉の憂鬱、不穏な京都』吉川弘文館、2016年

河内将芳氏が『落日の豊臣政権』を書いた意図がプロローグにある。「すでに慶長年間(1595-1615)の京都に焦点をあわせ、「慶長世相史を「かぶき」の時代と呼」んで、時代の動きをみごとにとらえた守屋毅氏による『「かぶき」の時代』(角川書店、1976年)という書物が知られている。本書は、その守屋氏のひそみにならって、また、守屋氏が検討を加えなかった、慶長よりひとつまえの時代に焦点をしぼって」(P5)、文禄年間といういわば「秀次の京都」の時代の動きをみようというものである。

「桃山の京都」という絢爛豪華な「イメージと実際のできごとのあいだにはかなりのへだたりがあるということを少しでも指摘できればと思う」(P17)。

また、河内将芳氏は横田冬彦氏の「城郭と権威」という論考を取り上げている。

それは、「城下町(大都市)京都の成立」にともなっておきた「さまざまな都市問題」や「民衆の意識を代弁した」「落書や流言」に注目、それとともに、「豪商の文化」ではなく、「対抗的性格」をもつ「民衆の精神世界の可能性を見いだすことにつとめた」(P17-18)ものだという。

河内将芳氏は「ひとにぎりの「豪商」や「町衆」には含まれない人びとの目からみえたものが何だったのか、「桃山の京都」とはまた異なる時代相をつかみとるうえでも重要な視点」(P18)と考えているのである。

先に読んだ『秀吉の大仏』(2008年)が文禄の大地震から始まるので、本書はその前を扱うことになる。

「いつの時代でも、そのような名もなき人びとの思いやふるまいこそが、その時代を反映しているのではないかと考えるからである。地味で、文字どおり光のあたる世界とはいいがたいが、これからもずっとそのような人びとのすがたを追いかけていきたいと思う。敬愛する斯界の先達たちがそうしてきたように」(P192)。

本書にはなぜか章と節の番号がないが、章は4章、それぞれが2節に分かれているとみてよいだろう。前後にプロローグとエピローグがある。

不均衡な経済政策
金くばり
金くばりは豊臣政権が反対給付を求めずに公家や大名に金をくばった話だった。

ならかし
ならかしは奈良借である。金商人が奈良の町人に金を貸付けて法外な利息を取り立てたので、騒ぎになった。徳政が出たという。徳政の「札」が打たれた手力雄社は三条通りにあり、私も何度も通って見ている。どうも豊臣政権が奈良借で集めた金銀を安宅船の用途にする経済政策が背後にあったようだ。文禄の役が始動していたのである(P45-46)。

この不均衡な経済政策を読んでいると、「桃山の京都」の嫌な面が見えてくる。天下統一した豊臣政権の崩壊がすでに始まっているようだ。
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2019年3月15日 (金)

読書の傾向について

このところ、電車で読書することで、ブログにメモしてきた。混んでいて本を読めない時もあれば、読んでいて乗り越すこともある。

『和歌とは何か』渡部泰明、2009年
『沖縄の聖地 御嶽』岡谷公二、2019年
『秀吉の大仏造立』河内将芳、2008年

この3冊以外も読んでいるけど、ブログにメモするネタにならないことが多い。だんだん、何のために働いているのかが分からなくなる。

渡部泰明氏の本を読みたいと思う。差し当たって決めていない。岡谷公二氏の神社の起源を訪ねる旅シリーズは終わってしまった。河内将芳氏の本を読むと色々と刺激されるので、本屋に行ったときは注意して探すことにする。

元論、中野好夫『蘆花徳冨健次郎 第1部』(1972年)も興味はあるが、電車の中で読む本でもあるまい。大隅和雄訳『愚管抄 全現代語訳』(2012年)も第4巻に入ったところだ。

枕元に昔の英語参考書と辞書を置いてどのように説明するのがよいか参考にならないかと読んでいる。すぐに眠くなってくれて、あまりはかどっていない。

こうやって、たまには自分の読書傾向を考えてみるのもいいものだ。


2019年3月14日 (木)

『秀吉の大仏造立』(2008)その5

河内将芳『シリーズ 権力者と仏教 秀吉の大仏造立』法藏館、2008年

第4章 大仏鎮守の建立
善光寺如来を甲斐国から呼び寄せる理由がよく分からなかったが、第4章を読むと、すでに秀吉の実弟の豊臣秀長が病のときに、大和国多武峰寺から大織冠(藤原鎌足の木像)が秀長の居城郡山城へ遷座されられていたことがあったことが分かった。秀吉の病も常態となったことから、尋常でない力のある善光寺如来が遷座させられたのだろうことは推測される。

さて、秀吉が亡くなる前日に善光寺如来が信濃国善光寺へ帰座していった。本尊と施主である秀吉がいなくなって後に皮肉にも大仏殿は大仏堂供養がおこなわれた。秀吉は慶長3年(1598)8月18日に薨去し、伏見城に遺体が安置され、その死は半年伏されたという。

秀吉は神になるのである。新八幡として大仏鎮守として祝うために、急ピッチで社殿の建築が進められた。従って、秀吉の葬礼は行われなかったのである。慶長4年4月に隠密裏に阿弥陀ヶ峰に秀吉の遺体が移された(『義演准后日記』)。河内将芳氏は洛中洛外図にある阿弥陀ヶ峰の頂上の堂舎を廟とみている(P182)。

4月16日には仮遷宮が、そして翌17日に「豊国の大明神」という神号を朝廷より奉られた。なぜ新八幡でなく豊国大明神となったのか。新八幡では勅許が得られなかったことや、吉田兼見の影響があったと河内将芳氏はみている。豊国という言葉には宣命に書かれた「兵威を異域の外に振るい、(以外に略)」という「武威を下敷きにしたような意味合いがこめられていた」と考えている。

河内将芳氏は秀吉を新八幡として祝うことは、秀吉本人以上に残された人びとにとって必要で、その人びとのなかから徳川家康を除く必要はないという(P189)。

河内将芳氏は「秀吉を神として祝うこと=神格化の問題を「自己」神格化としたり、また「みずからの意思によって」神になったとする、これまでのみかたにはやや慎重である」(P189)。

本書では、「武威の体現者である秀吉を八幡信仰とからめつつ神として祝うことは、豊臣政権にとって危機的な状況に対応する施策として必要かつ緊急な選択だったと考えておきたいと思う」(P190)としている。

豊国社は大仏鎮守でなくなってしまったが、大仏は金銅仏として再建されはじめた。七重塔や講堂・回廊の計画があっという。東山大仏が東大寺のかわりとして扱われていたという(P192)。

その大仏殿も大仏の鋳掛の火から焼け落ちてしまったのは慶長7年(1602)12月のことである。

2019年3月13日 (水)

『秀吉の大仏造立』(2008)その4

『秀吉の大仏造立』(2008)その4
河内将芳『シリーズ 権力者と仏教 秀吉の大仏造立』法藏館、2008年

第3章 善光寺如来の遷座
大仏開眼供養を前に、文禄5年(1596)に京都を襲った地震(慶長・伏見地震)により、大仏殿は無事であったが大仏に損傷が生じる事態となった。結局、大仏は修復されることなく取り壊されて、代わりに善光寺如来が甲斐国より遷座することになる。善光寺如来は信濃善光寺の秘仏であったが、武田信玄が川中島の戦いの時に甲斐国に移していた。甲斐善光寺である。私も甲府に行ったときに見に行った。寛政8年(1796)に再建された本堂だったが大きな建物が突然現れたという印象が残っている。

太閤秀吉が夢に見た善光寺如来が大仏殿に遷座したのは慶長2年(1597)であり、慶長3年に秀吉が死ぬ前日に信濃善光寺へ返っていったという。何ということだろうか。武田家を滅ぼした信長父子が善光寺如来を美濃へ移して滅び、甲斐へ戻されたものを京都へ迎えた秀吉もまた病を得たという。

2019年3月12日 (火)

『秀吉の大仏造立』(2008)その3

河内将芳『シリーズ 権力者と仏教 秀吉の大仏造立』法藏館、2008年

第2章 大仏千僧会の開始
秀吉の先祖供養が大仏千僧会の始まりである。文禄4年(1595年)9月25日より慶長19年(1614年)9月25日まで大仏経堂で行われた。河内将芳氏によると、東寺文書には9月22日とあった。これは秀吉の実母大政所の月命日である。ところが、実際の大仏千僧会は9月25日「御祖父様」の月命日に開始された。11月29日には「御祖母様」の月命日として大仏千僧会が行われ、月毎に「御祖父様」と「御祖母様」という具合に交互に繰り返された秀吉の先祖供養は秀吉死去後も大坂冬の陣の前まで続いた訳である。

「御祖父様」とは「栄雲院道円」、「御祖母様」は「栄光院妙円」というがよく分からない。これは秀吉の先祖供養を通じての天皇御落胤説のプロパガンダと見ることになる。

各宗毎に百人の僧侶を集め、朝から大仏経堂で法会を行い、斎会をした。当初は新儀ハ宗と呼ばれた、真言宗・天台宗・律宗・禅宗・法華宗・浄土宗・時宗・真宗の次第が争われた。座次相論という。河内将芳氏は『義演准后日記』から醍醐寺三宝院門跡の義演の関心事が顕密仏教内での序列にあったことを書き(P89)、訴訟の結果、座次は天台宗の主張にそって導師の戒﨟(僧の得度年次)次第となったという。しかし、慶長4年(1599年)5月25日より八宗が月毎に分担する月番制になると、八宗の同列化が進むことになる。

大仏経堂を管理する妙法院が斎(とき)を出していたのが、ある時期から布施米が支給されることになったという。この布施米をめぐり、法華宗不受不施派の日奧が大仏千僧会の出仕に反論したことが触れられていることが面白い。不受不施法とは何なのか河内将芳氏の説明を引用する。「「不受」とは謗法(他宗)からの布施や供養を法華宗僧は「受」けないこと、そして、「不施」とは、他宗の僧や寺院に法華宗信者は布施や供養を「施」さないこと」(P104)であるという。「不受」が問題になる。

河内将芳氏は「このように法華宗では、大仏千僧会の出仕をめぐって、会合(後に受不施派とよばれる)と日奥(後に不受不施派とよばれる)とのあいだてきびしい対立がおこったが、おそらくほかの宗派でも程度の差こそあれ、同じことはおこっていたにちがいない」(P105)という。

そして、「寛永七年(1630)に江戸城内でおこなわれた身池対論(受不施を主張する身延久遠寺と不受不施を主張する池上本門寺との問答)をへたうえ、寛文の惣滅とよばれるはげしい弾圧によって、日奥を祖とする不受不施派が禁制された宗門となっていた」(P107)。

河内将芳氏は「大仏千僧会が豊臣・徳川という政権の枠をこえて統一権力の宗教政策として重要な位置づけがなされていったことが知られるが、もちろん秀吉が当初よりこのようなことまでを想定して大仏千僧会をはじめたのかどうかはわからない」(P109)としながらも、「ただしかし、大仏経堂において約二十年にわたりほぼ毎月行われつづけた法会がもたらした影響というのは、新儀の八宗のみならず、あらゆる宗派にとってきわめて深刻なものになっていったことだけはまちがいないといえよう」(P109)と締めくくる。

注)会合とは京都十六本山会合をいう。

2019年3月11日 (月)

『愚管抄 全現代語訳』(2012)その2

慈円、大隅和雄訳『愚管抄 全現代語訳』講談社学術文庫、2012年

巻第三は神武天皇から三条天皇までが書かれている。神武天皇はその子の話があるが、何も語られていない。そして、藤原道長で終わる。慈円のいう「道理」が出てくるたびに、「道理」というものがよく分からなくなる。これは、解説本を読んで考えることにして、ここでは、触れない。やはり、全部を読んでからのことである。



2019年3月10日 (日)

四都手帖2019年04月【編集中】

2019年04月の私的な愉しみと記憶

四月は残酷極まる月だとエリオットがいった。
また、その卯月がやってくる。をどりの季節は優しい囁く、青春を愛でよと。

【古都】
涅槃会 本法寺 2019年3月14日(木)〜4月15日(月)
北野をどり 上七軒歌舞練場 2019年3月25日(月)〜4月7日(日)
都をどり 南座 2019年4月1日(月)〜27日(土)
京おどり 宮川町歌舞練場 2019年4月1日(月)〜16日(火)

いっとかなあかん店に行きたいね。

【湖都】
滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。

「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい)」MIHO MUSEUM 2019年3月21日(木)〜5月19日(日)

【旧都】
国宝の殿堂 藤田美術館展 奈良国立博物館 2019年4月13日(土)〜6月9(日)

【水都】
フェルメール展 大阪市立美術館 2019年2月16日(土)〜2019年5月12日(日)

2019年3月 9日 (土)

東都手帖2019年04月【編集中】

東都手帖2019年04月【編集中】
2019年04月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

予定は立たないが、展覧会の日程が公開されると嬉しくなる。卯月の東都を歩く楽しみは仏像と仏画にある。

特別展「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅 東京国立博物館 2019年3月26日(火)〜6月2日(日)

「円覚寺の至宝」三井記念美術館 2019年4月20日(土)〜6月23日(日)

2019年3月 8日 (金)

『秀吉の大仏造立』(2008)その2

河内将芳『シリーズ 権力者と仏教 秀吉の大仏造立』法藏館、2008年

本をパラパラしてみたのであるが、秀吉の大仏の絵が出てこない。どうやら秀吉の大仏殿と大仏について分からないことだらけだということが分かった。『秀吉の大仏造立』を読むにあたって、豊国神社の資料とか探していて時間になってしまった。

本書は4章からなる。
第1章 東山大仏の出現
第2章 大仏千僧会の開始
第3章 善光寺如来の遷座
第4章 大仏鎮守の建立

第1章 東山大仏の出現

河内将芳氏は豊臣政権が諸大名に大仏殿の普請手伝をさせた記録から秀吉の大仏造立を探る。大仏殿普請手伝人足一覧をみると、羽柴加賀少将(前田利家)10,000人などとある。羽柴性を大名は与えられていたのを思いだす。

「大仏殿御算用事」という帳簿には代官からの米の総額が天正19年で2万1332石8斗3升4合、天正20年は3万3725石あったという(P39)。帳簿の「払い方」で「番匠」たちの人数と人件費が分かる。「天正19年2月より12月までの分」で人数はのべ13万9307人分、人件費は9191こく2斗2升2合にのぼった。「杣」「鍛治」「柱口石切」「材木屋ども屋根葺き」と言った「諸職人」の人件費の総額は1万3437石2斗1升2合5夕だった。

秀吉の造立した大仏の絵は残っていないという。秀吉によって建立された大仏殿は慶長7年(1602年)12月に火災で焼失した。現在確認できる史料の多くは秀頼が再建した大仏殿と大仏に関するものだという。本のカバーや53頁の図9の大仏殿(『豊国祭礼図』豊国神社蔵)が描かれた時には秀頼の再建した大仏殿はなかったので、この絵は秀吉の大仏殿を描いたものと考えられる。「豊国神社に残される『豊国祭礼図』という、秀吉7回忌を記念して慶長9年(1604年)8月におこなわれた臨時祭のようすを描いた屏風」(P52)の写真が小さいのが残念だ。

大仏殿に関わった木食応其(もくじきおうご、興山上人)という高野山の僧が「大仏本願」として、大仏作事の総指揮、総監督にあたったという(P44)。木食応其について知りたくなった。

注)
『季刊大林』で方広寺大仏殿を特集していたのを思い出した。
『季刊 大林 No.57 秀吉の普請』大林組CSR室、2016年

豊国神社の宝物館で「豊国祭礼図屏風」(重文)を見たときに買い求めた資料を探したのであるが、見つからなかった。京都に行った折に豊国神社を再訪したい。

2019年3月 7日 (木)

『秀吉の大仏造立』(2008)

河内将芳『シリーズ 権力者と仏教 秀吉の大仏造立』法藏館、2008年

河内将芳氏の本を読むのは楽しい。論文集は手に入らないので、一般書を読むことにする。

東大寺大仏殿の炎上から話は始まる。
永禄10年(1567年)10月10日のことであった。東大寺大仏殿が治承4年(1180年)12月に炎上した時は、源頼朝が再建した。では、豊臣秀吉が東大寺の大仏殿と大仏を再建しないで、京都東山に大仏や大仏殿を建立したのは何故だろうか?

「本書では、この点も含めて、東山大仏をめぐって秀吉とその政権、豊臣政権がくり広げたいくつかの興味深いできごとを通して豊臣政権やその宗教政策について考えてみる」(P10)という。

京都を巡る旅行をしていたときは、燃えたものは燃えたもので、今残っている京都は私が求める京都ではなかった。歩く道も舗装されて当時のものはない。大仏殿の跡地や、国家安康の鐘を見ても往時を想像できないで終わっていた。京都は白川静先生の講義を聴くのが目的だった。

河内将芳氏の本を読んで、また、京都を巡る旅行をしたくなった。身体が効かなくなったのと、知り合いが出来たことで、ほっつき歩くことはなくなった分、空想に浸っている時間が増えた気がする。本を読んでいても、いつのまにか別なことを考えていたり、すぐに眠くなることが増えた。






2019年3月 6日 (水)

『愚管抄 全現代語訳』(2012)

慈円、大隅和雄訳『愚管抄 全現代語訳』講談社学術文庫、2012年

慈円の『愚管抄』は7巻からなる。慈円は巻第三から書き始めたので、読む順も巻第三からとする。巻第一と巻第二は皇帝年代記であり、後から書かれた。

『愚管抄』が承久の変(1221年)の前に書かれたことに留意して読み進めることにしょう。最近読んだ坂井孝一氏の『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書、2018年)や元木泰雄氏の『源頼朝 武家政治の創始者』(中公新書、2019年)でも『愚管抄』が引用されているが、先を急がないことにしょう。





2019年3月 5日 (火)

ここらで一服

今年の1Qの最終月となった。残りの4週をどう使うか。そもそも、今年は計画を立てていなかった。わずかに読書について新刊本、古書そして積読本の割合を決めたくらいだった。

元木泰雄氏の『源頼朝』(2019年)を読んでいて、同時代人の慈円の『愚管抄』の記述について慈円の見解を否定する箇所がでてくる。慈円の評価はどのようなものなのか。読み直してみることにしたい。

慈円、大隅和雄訳『愚管抄 全現代語訳』講談社学術文庫、2012年

長崎浩『乱世の政治論 愚管抄を読む』平凡社新書、2016年

山崎貞『新々英文解釈研究(復刻版)』研究社、2008年

昭和40年(1965年)の『新々英文解釈研究』の新訂新版の復刻版とある。初版は大正元年(1912年)の『公式応用 英文解釈研究』だというから、長い歴史があった。

何で今さら、英文解釈本を読もうとするのか。英語の勉強のためではなく、Google先生と遊ぶためである。そして、参考書という知識パッケージの在り方を考えてみたい。私が訳せなかった英文解釈のために。

山崎貞『新自修英文典(復刻版)』研究社、2008年

昭和38年(1963年)の『新自修英文典』の増訂新版の復刻版とある。初版の『自修英文典』は大正2年(1913)というから畏れ入る。

学習参考書の復刻版を探そうと思ったのは、英語教育史を読んでいて、どのようなものであったかを知りたくなったからだった。日本人が英語を通じて西洋と格闘するのを知るのは私のテーマでもある。何がどのように読まれたのかを具体的な事例から見ていくのは私の方法論でもある。日本語の表現形式や日本人の発想法も変わってきているのは、本の事例を見ていくと分かる。半世紀前に改訂を終えた参考書を読む意味はそういうことろにもある。

齋藤秀三郎著、豊田實増補『熟語本位 英和中辞典 新増補版』岩波書店、1933年、2001年新増補版第43刷

1786頁の英和中辞典が研究所にあった。若者が辞書とか処分していったが、この本は何故か残された。売れないとみたのだろう。確かに箱は古めかしい。内容も相応している。

2019年3月 4日 (月)

『古代日本の史脈』(1995)

上田正昭『古代日本の史脈』人文書院、1995年

一般書、古代日本を内なる史脈だけでなく、東アジアの世界に開けた古代日本の史脈を論じた。上田正昭氏が初期の頃に書いた本と晩年に書いた本と繋がっている。

上田正昭『古代の日本と東アジアの新研究』藤原書店、2015年

上田正昭『日本古代国家論究』塙書房、1968年、みはる書房

2019年3月 3日 (日)

『沖縄の聖地 御嶽』(2019)その5

岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』平凡社新書、2019年

第5章 済州島
神の森の聖地を求める旅は、貝の道を通り済州島へ向かった。済州島の堂(たん)の森のことは、『原始の神社をもとめて』(2009年)で書いてあることが出てきて懐かしくなった。

第6章 新羅の森
岡谷公二氏は、朝鮮半島では、神の森の系譜を辿ることは難しいという(P174)。しかし、慶州の鶏林には、斎場御嶽の何もなさに通じるところがあるという(P176)。そして、都祁(つげ)に見られる新羅の痕跡から新羅と日本との関係を書いていく。この辺りは、『神社の起源と古代朝鮮』(2013年)に書いてあったのを思い出す。

最後まで読んできて、「御嶽の信仰が古神道の面影を残しているという柳田・折口以来の定説に反することになった」(P198)という結論には賛成したいと思う。しかし、神社の起源を問う旅が御嶽の起源を求める旅となって終わってしまうのは残念である。

ブログに書いたつもりでいたら、『伊勢と出雲』(2016年)しかなかったのには呆れた。気を取り直してリンクを載せておく。前の2著については、出てくれば、読み直してここに整理しておきたい。

『伊勢と出雲』(2016)
『伊勢と出雲』(その2)
『伊勢と出雲』(その3)

2019年3月 2日 (土)

『沖縄の聖地 御嶽』(2019)その4

岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』平凡社新書、2019年

第4章 貝のみち
朝鮮半島から対馬・壱岐、そして九州の西岸を経て、奄美・沖縄へと至る海路を「貝の道」という。琉球以南の珊瑚礁海域でしか取れないゴウホラやイモガイの貝輪が弥生時代の九州を中心とし、山陰から瀬戸内海沿岸地方にわたる遺跡から発見されたという(P112)。

御嶽に似た森だけの聖地を、対馬の天道山、薩摩大隅のモイドン、種子島のがロー山、沖縄本島の玉城の藪薩御嶽まで辿れることを岡谷公二氏が確かめる旅を書いている。

後半は九州西海岸から壱岐にかけての地域に見られる聖地である「ヤボサ」と藪薩の御嶽の関係の考察や琉球国と倭寇の関係の問題か取り上げられる。

「たとえば、ヤボサが藪薩御嶽となったのはいつごろのことだったのであろうか?」

岡谷公二氏は、仲松弥秀の意見を妥当とし、グスク時代(十二〜十六世紀)以降と結論付けている(P137)。

注)「御嶽に祖霊神が祀られるようになったのは、定住集団共同社会において、いわば農耕に重点がおかれるようになった時代からと考えられる」(仲松弥秀『神と村』梟社、1990年)

2019年3月 1日 (金)

『沖縄の聖地 御嶽』(2019)その3

岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』平凡社新書、2019年

第3章 御嶽と神社
御嶽の起源についての柳田国男説と折口信夫説の話になる。
「御嶽とその信仰が古神道のありようを今に伝えているとは、今から一世紀近くも前、柳田国男がはじめて言い出したことである」(P96)。
柳田国男に対しては、「神は御祭りの折のみに降りたもうものと信じていたことであります。神を社殿の中に御住まい申さず、大和の三輪の山と同じように、天然の霊域を御嶽(おたけ)として尊敬していたこと」(『海南小記』)という引用をあげて、「彼は、おのれの御嶽=古神道説と「海上の道」説との折合いを終生つけることができなかったと思われる」(P102)と批判してる。
「一方の折口信夫は、日本文化の南漸説であった。肥後の佐敷に城を構えていた名和氏の一党が、南北朝の争いに敗れ、半ば倭寇と化して南下、沖縄本島南部の知念半島に上陸、そこで勢力をたくわえ、第一尚氏となって全沖縄を制覇し、故国の地名をとって知念半島の上陸地を佐敷と名づけたという主旨の「琉球国王の出自」(昭和十二年)一文を書いたことは知られている」(P102)とした上で、「しかし御嶽と古神道の関係を考える上で、ここにも問題が生じる」(P103)とした。「本土から人々が渡来した時期を折口説に従って十五世紀初めとするにしても、遡ってグスク時代の初めの十二世紀の初めとするにしても、その時伝えられたであろう神道は、柳田・折口の言う古神道とは、随分異なるものだったにちがいない。社殿一つとってみてもそうだ」(P104)と批判している。

2019年2月28日 (木)

2019年2月購入図書

2019年2月購入図書
日々の暮らしはほとんど変わらないけど、本を手にする時間が減っていくのは哀しい。如月は日数も休みも少ないので本は読み切れない。積読はしない方針にしたので、並行読書になる。

労働生産性を考えるとき、阻害要因について考えざるを得ない。

(購入後記)
神道の歴史を押さえるために、井上寛司先生の本を買ったついでに平積してあった本を見たら名前を知っている著者のものであった。もちろんテーマも大事だ。元木泰雄先生の本は『河内源氏』(2011年)以来で続編の位置付けであった。
岡谷公二氏の紀行を読むのも4冊目となった。帯も読む限り、これが最後になる。

【歴史】
井上寛司『神道の虚像と実像』講談社現代新書、2011年、2018年第4刷

元木泰雄『源頼朝 武家政治の創始者』中公新書、2019年

岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』平凡社新書、2019年

【知】
鹿嶋敬『なぜ働き続けられない?』岩波新書、2019年

2019年2月27日 (水)

2019年2月購入古書

2019年2月購入古書
如月も末の二日、神保町を歩いていた。時間が空くとこの町を歩きたくなる。

(購入後記)
清水好子の『源氏の女君』は1959年に三一書房から出した本に「横川の僧都」を加えたもの。

文學界2017年8月号の稲垣足穂、澁澤龍彦、深沢七郎の特集で朝吹真理子氏が高橋睦朗氏と松岡正剛との鼎談に出ていたのに違和感があった。この時は深沢七郎の没後30年だったが、すでに没後25年で町田康氏と対談していたのを読んで、ある意味で納得した。

【文学】
清水好子『源氏の女君 増補版』塙新書、1967年、1969年第2刷

『KAWADE 道の手帖 深沢七郎 没後25年 ちょっと一服、冥土の道草』河出書房新社、2012年

2019年2月26日 (火)

2019年2月書籍往来

2019年2月書籍往来

漆がjapanだということは知っていたが、コラムを読んで愕然とした。

「ヨーロッパでは高価な日本の漆器はなかなか購入できず、ラックカイガラムシの分泌物やサンダラック(ヒノキ科の針葉樹)の樹液を用いた模造品が早い段階から製作された。模造がもっとも盛んとなった17世紀のイギリスでは、その製作技法はジャパニング(japanning)、作品はジャパン(japan)とよばれた。つまりジャパンの語は主に紛い物の意味で使用されていたことには留意しなければならない」(P3)。Japanese lacquerで覚えておく。

四柳嘉章(よつやなぎかしゃう)氏は正倉院に収められた美術品ではなく、土に埋もれていた漆器を科学分析した。そうすることで何が見えてくるのだろうか。

【歴史】
四柳嘉章『漆の文化史』岩波新書、2009年

2019年2月25日 (月)

ドナルド・キーン氏逝く

ドナルド・キーン氏が2019年2月24日に亡くなられた。1922年の生まれで96歳だったという。氏の残してくれた本をどう読んでいったらよいのか。今はまだ何も分からない。ご冥福をお祈りするばかりである。

2019年2月24日 (日)

たまには割烹で飲むこともある

夕方から風が冷たくなった。
朝からのシンポジウムを聴いて疲れたところで、割烹峰屋へ寄ってみた。器を愛でる時間である。

五凜生酒(青森県)に合わせた盛合せである。五凛は五輪に通じる。この器は和食というより、イタリアンのイメージがする。

2019年2月23日 (土)

奈良その奥から五「土を拝む」

奈良その奥から五「土を拝む」
岡本彰夫 『ひととき』2019年3月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「土を拝む」について『ひととき』2019年3月号に書いていました。春日祭では神前より撤下された社醸の「一夜酒(ひとよざけ)」の最初に一献を両手で捧げ、大地へと注ぐといいます。祭に先立ち、土の神・酒の神に感謝の祈りを捧げて酒を献ずると古記にあるそうです。

「昔の人々は大地を尊び、土を拝んだ。それに比べて今日の我々はどうだろう。土は踏みつけることしかしない」。

岡本彰夫氏は「私は毎年の正月、額を土に着け、つまりヌカズイて土を拝ませて頂く事にしている」といいます。

2019年2月22日 (金)

113「トンビが舞う空」千宗室

ひととき 2019年2月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「トンビが舞う空」というタイトルでした。家元が「出雲路橋から糺の森を横切ると出町柳の電線にトンビがぎっしりと止まっていることがある」そうです。トンビが目につくだけでなく、大胆にも甥のサンドイッチを掠め取ったそうです。そんなトンビが家元の向かいの寺の多宝塔の上を舞っているのが見えたといいます。以前は見かけることはなかったといいます。

2019年2月21日 (木)

『沖縄の聖地 御嶽』(2019)その2

岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』平凡社新書、2019年

専門委員会が午前中からあったり、月例会が仕事の始まる前にあったりして、通勤電車で読めなかったので、少し開いてしまった。記憶を辿れないので、また読み返す。

第2章 御嶽遍歴(P25-94)は一番長い。最初に訪れた波照間島の御嶽から回想される。石垣島からポンポン船で7時間近くかかったという。そこで、「社殿や祠はおろか、祭壇や香炉すらなかった。この何もないことから来る清浄感、神秘感は比類がなく、私がこれまで寺や神社でかつて感じたことのないものだった。このような聖地えお日本人が持ち得ていることに私は深く感動した」(P29)。しかし、知らずして入域の禁を犯していたのである。

西表島の三離嶽(みちゃりおん)の写真(P40-41)をみると御嶽の何もなさを感じることができる

宮古島の北西の池間島の大主(うばるず)御嶽は司の許可がなければ立ち入ることは許されない。靴を脱いで入ったという。このあたりは白州正子が菅浦神社の石段を裸足で歩かされたことを思い出しながら読んでいた。著者は失敗もする。3回目(去年)に勝手に聖域に入って怒られたことがあった。「しかし私は、刀の刃にきらめく光のように、彼女たちの顔に浮かんだ怒りの表情をいまだに忘れることができない」(P51)。

今では池間大橋により池間島は宮古島本島と繋がっている。

2019年2月20日 (水)

『京都思想逍遥』(2019)

小倉紀蔵『京都思想逍遥』ちくま新書、2019年

著者が京都大学の授業で「悲哀する京都」をテーマとした文献を読みながら、学生を連れて逍遥したという(謝辞 P293)。

著者は「京都」を「悲哀するひとびとの記憶の集積したまち」(P022)という。そして記憶にはフィクションを含むという。なるほど、源氏物語の所縁の地というものである。

著者が「悲哀する」とは「悲しむことそのものではない。生を、その極限まで生ききることである。その一瞬の極限に、生の絶頂をかがやかすことなのである。そのはかなさを生ききることが、悲哀することなのだ」(P023)という。

著者はヒュームの「わたしとは、知覚の束である」という言葉をとりあげ、「わたしは知覚像の束である」と言い換える(P014)。そして、「この知覚像の闘争的なひしめきあい、そのはたらきを、わたしは<たましい>と呼んでいる。そしてその<たましい>に、なにか特別に生き生きした感じをうけながらそれに気づくとき、ひとはそれを<いのち>と呼ぶのだろう」(P015)。

「あらゆる土地には、その土地の歴史にまつわるさまざまな知覚像が立ち現われる」(P015)。だから、「古典から現代までの文学作品を読みこんで、その日本語の知覚像をよみかえらせながら京都を歩けば、生き生きとした<いのち>と遭遇する可能性は高まる」(P016)。

「七条大橋をわたるとき、源融の栄華と無常感を、わたしのこころのなかに谺させる。そのときわたしのこころはすでにわたしの内部にあるのではなく、まさに時空を超えて先年以上前の六条河原院にあるのだ」。「それが能の世界でいう夢幻である。夢と現実が、こころという場で混淆する。この混淆を、祈りという」(P016)。

「すべての祈りは、学問に通じていなくてはならない。なぜか。(省略)、間違った知識にのっとって祈ることは、間違った世界を構築することになる」(P017)。

著者は、能の「融」のシテよろしく鴨川を六条正面通辺りから東南に向かって幻視するのである。

「このあたりを歩くとき、わたしの身体に変化が起こり、突然目のまえに藤の森や深草や伏見あたりの景色が見えるような感じにとらわれるのだ」(P014)。

こうして、九鬼周造、尹東柱、道元、三島由紀夫の『金閣寺』の溝口らの<たましい>が呼びだされていく。

2019年2月19日 (火)

『沖縄の聖地 御嶽』(2019)

岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』平凡社新書、2019年

このシリーズも4作目となった。
神社を起源を訪ねる旅として読んできたので、御嶽(うたき)の起源を沖縄、済州島、慶州への旅として楽しむことにしよう。

第1章 御嶽とは
第2章 御嶽遍歴
第3章 御嶽と神社
第4章 貝の道
第5章 済州島
第6章 新羅の森



2019年2月18日 (月)

ベルリンの壁の向こう側

ZERTIFIKAT Original Berliner Mauerstein

若者からベルリンの壁の土産をもらった。
ベルリンのレンガはドイツの歴史のピースである。
vom 13. August 1961
bis 9.November 1989.

ベルリンの壁が壊される前について思い出すのは、スティーヴン・L・トンプソン、高見浩訳『A10-奪還チーム出動せよ』(新潮文庫、1982年)で東ベルリンのアメリカ軍の駐在地のベルリン・パトロールの活躍だった。手に汗握るカーチェイスが東ドイツを舞台に繰り広げられる。バーでの会話が冒険小説だった頃があった。




2019年2月17日 (日)

テクスト選びから始める。

小林勝次訳『孟子(上)』岩波文庫、1968年、2003年第46刷

古典を読む場合テクストをどう選ぶかは悩ましい。注なしで読めるものではないが、新しければよいというものでもない。谷沢永一が取り上げていた本は今では入手が難しくなってしまった。図書館でパラパラめくって比較できればよいかと思ったが、そもそもテクストをいく種類も置けないのが図書館である。古書店を歩きまわるか、谷沢永一の挙げている本を通販やオークションで入手することになるのだろうか。

さて、『論語』はテクストとして岩波文庫の金谷治訳注が手頃だ。そして、子安宣邦氏の『思想史家が読む論語』(岩波書店、2010年)で朱子、伊藤仁斎、荻生徂徠、そのほかの読みを比べるのがいい。そして、朱子の読みが気に入ったなら土田健次郎訳注『論語集注 1〜4』(東洋文庫、2013年〜2015年)がある。土田健次郎氏が朱熹のテクストに対し、読み下し、現代語訳、そして伊藤仁斎『論語古注』、荻生徂徠『論語徴』の解釈を併記させた訳注本である。私は1巻を手に入れた。続巻が出るまでに、子安宣邦氏の市民講座を毎月聴くようになって、子安宣邦氏が『論語』に対して伊藤仁斎の解釈を取り上げ、荻生徂徠や吉川幸次郎の解釈をあげたうえで子安宣邦氏が評釈をしていた。『論語』読みにはぴったりだった。子安宣邦氏の市民講座が面白かったので本になった『仁斎論語 上下』(ぺりかん社、2017年)を時々読み返している。

さて、問題は『孟子』である。適当なテクストが何なのか分かっていない。『論語』と違って『孟子』は馴染みが薄い。朱子の注でよいのであるが、選んだ本は趙岐の古注であった。小林勝次の『孟子』は上巻と下巻で厚さがかなり違う。上巻264頁、下巻514頁。読んで行くと編集方針が異なっていることが分かる。もともと、『旧版』の訓読を元に今回、口語訳に改めたのが『新版』であり、訳文を付けている。その経緯はあとがきに書いてあった。

「注釈は『旧版』の脚注のように、普通一般に行なわれている説や異説などは殆ど略して紹介せずに、ただ訳注者の採る説や訳注者の私見つまり結論のみを述べておいたが、この「上巻」の簡略な結論だけの記載法に対して友人や読者などより強い要望もあるので、「下巻」では結論だけではなく、一般の通説や異説などもかなり詳しく載せ、且つ必要に応じて訳注者の私見も述べて、読者の理解の便に供することにした」(下巻、513頁)

何と上巻の反応を見てから編集方針を変えたのだ。大らかである。しかし、上巻はどうしてくれるのだ。「適当な機会に「上巻」の方も若干注を増し加えて「下巻」と足並みをそろえたいものである」という言い訳が514頁に残されている。

上巻
梁恵王章句 上下
公孫丑章句 上下
勝文公章句 上下

下巻
離婁章句 上下
万章章句 上下
告子章句 上下
尽心章句 上下

もともと、フランソワ・ジュリアン著、中島隆博・志野好伸訳『道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ』(講談社学術文庫、2017年)を読むための参照テクストとして買ったのであるが、注のポイントが小さいので明るくないと老眼には優しくない。しばらく、通勤電車で読むことになる。




2019年2月16日 (土)

TSUNDOKU ZINE vol.1 は読ませる

TSUNDOKU ZINE vol.1 2018年

積読本を紹介する冊子を甘夏書店で購入した。

『冬虫夏草』梨木香歩
『白百』原研哉
『徳川制度』上・中・下・補遺 加藤貴校注

紹介されていた45のタイトルの中で、私が知っているは上記の本だった。残念ながら私の場合は積読本ではない。『徳川制度』は中卷以降は買っていないので、積読本にならないのが幸いだった。読まない本を紹介することは当然できるし、私の場合は、読みながら、読んだところまでとかで本のことを書いているので、読み続けて書きたくなることがでてくれば、その2とかその3とか書き継いでいる。もっとも本を紹介するつもりは特にないので、たまにおススメであるとか書いたりするのは自分の感動の表現の仕方である。要は本を読んでも忘れてしまうので、どんな本だったかよりどこが面白いと感じたかをメモすることが重要だと思っている。そこで試しに検索してみたら、なんと記憶は裏切るもので、『徳川制度』中巻が購入図書の中あるではないか。しかし、読んでいない『徳川制度』中巻については何も書くことができないのであった。というわけで積読本について書いてしまったのである。



2019年2月15日 (金)

『神道の虚像と実像』(2011)

井上寛司『神道の虚像と実像』講談社現代新書、2011年、2018年第4刷

第1章 「神社」の誕生ーー古代律令制国家の模索
第2章 「隔離」にもとづく「習合」ーー「神道」の成立
第3章 近代国家と民衆ーー「神道」論の新たな展開
第4章 宗教と非宗教のあいだーー「国家神道」をめぐって
第5章 戦後日本と「神道」ーー民族の「自画像」

神社に関する定説を批判するところから始まる。
「いちばん検討しなければならないのは、「神社」という呼称・用語そのものが、律令制成立過程のなかで新たに生まれたものであって、それ以前にはさかのぼらないということである[西田長男 1978]」(P24)。
注)西田長男『日本神道史研究 第8巻 神社編上』(講談社、1978年)

2019年2月14日 (木)

『源頼朝 武家政治の創始者』(2019)

元木泰雄『源頼朝 武家政治の創始者』中公新書、2019年

また、漫然と本を読む季節になった。花粉の飛ぶ時期は考えることが億劫で、薬のせいで眠い。メモを取りながら読むことができない。したがって漫然と読み、気になったら、調べごとするのである。

元木康雄氏の河内源氏ものである。前著で河内源氏の血に塗られた系譜が明らかにされた。読み返したいところであるが、どこにあるのか分からない。

本書は本文279頁、はじめにとあとがきが前後に付いて、主要参考文献と源頼朝略年譜からなる。目次は詳細であるが、索引はない。一般書である。

平治の乱について、元木泰雄氏は「慈円(省略)が著した歴史書『愚管抄』は、義朝が申し入れた縁談を信西が拒絶したことを遺恨として挙兵したとする」(P23)が、「挙兵のきっかけは、平清盛が熊野参詣に出かけ、京都を留守にしたことにあった。その直前、信西の三男藤原成徳(省略)と平清盛の娘が婚約しているが、これは信西が清盛の武力を組織する可能性を示しており、武力で信西に優越していた信頼に不安を与えたことが性急な蜂起の一因であろう」(同)としている。
「なお、義朝の挙兵の原因を慈円の言葉通りに縁談拒絶など信西に対する遺恨という、個人の思惑に求める、まるで御伽噺のような理解や、信頼と義朝の連携を見当はずれの論拠でなんとしても認めたがらない暴論が蔓延っていることには呆れるばかりである。武士と貴族とを対立する階級とする、古めかしい観念の呪縛の強さを痛感せざるをえない」(P24)

元木泰雄先生お怒りである。

しかし、これは本論ではない。「河内源氏嫡流にして、鎌倉幕府の創始者である源頼朝の生涯と、政治的役割を再検討」(はじめに v)するのが目的である。



2019年2月13日 (水)

『滝から滝へー日本・滝紀行』(1982)

永瀬嘉平『滝から滝へー日本・滝紀行』岳書房、1982年

本を開いたらmeikidoの栞が挟んであって、何処で買った本だかすぐに分かった。御茶ノ水にあった茗渓堂だ。山の本は大概ここで買っていた。山岳会の会報も置いてあった。

栞は「ゑ・さわのひとし」とあった。沢野ひとし画伯(椎名誠流)のイラストである。なんか得した気分になる。

永瀬嘉平氏の『かくれ滝を旅する』(世界文化社、1991年)を読んだのは随分前だと思っていたけど、『滝から滝へ』(1982年)はもっと前の本だった。

團伊玖磨が「滝に憑かれた男」を前書きに書いていた。写真集『滝』(1977年)にも團伊玖磨が同じタイトルの小文を載せたといっている。『滝』も観たくなったが、大型本では始末に困るので、諦める。

第1章 滝から滝へ
第2章 滝の話

第1章の滝の紀行は「大峰山中遭難行」など読んだことが思い出された。「恐怖の中で見た賀老の滝」は人喰い羆に怯えながら歩いた林道のことが書いてあり、7年半後には『かくれ滝を旅する』で懲りずに再訪している。2冊の本は絶妙に繋がっている。第2章の滝の話はとってつけたようだけど、興味深いタイトルもある。「『山家集』の滝」、「竜門の滝と本居宣長」。何故か『山家集』が手元にあることだし、まずはパラパラとめくって楽しむことにする。



2019年2月12日 (火)

東都手帖2019年03月【編集中】

2019年03月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

弥生も末の7日といえば、旧暦3月27日。『おくのほそ道』で芭蕉があけぼのの空瓏々とする中を旅だっていく。新暦で生きている我々は江戸の旅はできないけれど、その分、花見を味わうことができる三月である。

「生誕130年記念 奥村土牛」展 山種美術館 2019年2月2日(土)〜3月31日(日)

特別展「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅 東京国立博物館 2019年3月26日(火)〜6月2日(日)

2019年2月11日 (月)

四都手帖2019年03月【編集中】

2019年03月の私的な愉しみと記憶

松明の火の粉が夜空を舞うと、京都や奈良に春が来る。
弥生は小料理屋のカウンターで桜の声を聞く時期だ。

水都にもフェルメールが来た。

湖東に春が来る。
長浜盆梅展についての懐かしい記憶がよみがえる。
長浜盆梅展を観に行く

【古都】
涅槃会 真如堂 2019年3月1日(金)〜31日(日)
涅槃会 本法寺 2019年3月14日(木)〜4月15日(月)
涅槃会及びお松明式 清凉寺(嵯峨釈迦堂)2019年3月15日(金)20時
北野をどり 上七軒歌舞練場 2019年3月25日(月)〜4月7日(日)
はねず踊りと観梅 随心院 2019年3月31日(日)

いっとかなあかん店に行きたいね。

【湖都】
滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。2019年3月31まで展示予定はないという。

長浜盆梅展 慶雲館 2019年1月10日(木)〜3月10日(日)

【旧都】
修二会(お水取り)東大寺二月堂 いわゆるお松明 2019年3月1日(金)〜14日(木)

特別陳列「覚盛上人770年御忌 鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」奈良国立博物館 2019年2月8日(金)〜3月14日(木)

【水都】
フェルメール展 大阪市立美術館 2019年2月16日(土)〜2019年5月12日(日)

2019年2月10日 (日)

『空海入門 弘仁のモダニスト』(2016)再読

竹内信夫『空海入門 弘仁のモダニスト』ちくま学芸文庫、2016年

空海を『三教指帰』『請来目録』『性霊集』『高野雑筆集』を使って読み解いていく本であった。著者に導かれて再読した。そういえば、竹内信夫氏の『空海入門 弘仁のモダニスト』を最初に読んだのは1997年刊行したちくま新書版の第4刷を底本にしたkindle版(2014年)だった。2015年2月に『空海の思想』(ちくま新書、2014年)を読んで、『空海入門』が書店で見つからなくて、2015年3月にkindle版で読んだ。ちくま文庫版は2017年3月に手に入れて読んだ。これが研究所の玄関先に積んであった本の中にあった。出がけに読み始めたわけで、どうりで思想である『即身成仏義』、『声字実相義』などが出てこないわけだ。

2019年2月 9日 (土)

『和歌とは何か』(2009)その7

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

終章ーー和歌を生きるということ

終章を読んで長かった読書も終わった。電車の時間で読んでいるので細切れになったが、私にとって新奇な話が多かったので、結構楽しめた。おススメ本といってよい。

近代短歌は自分の気持ちを素直に表すものだと思っていたが、気持ちをそのままぶつけても詩にはならないと思っていた。和歌が「現実の作者」とは異なる自分、「作品の中の作者」を意識した表現と捉えると、著者のいう演技というのが腑に落ちてくる。

現代短歌にも虚構が入るのは俵万智氏の『サラダ記念日』も同じで、「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」は「褒められた料理はカレー味のから揚げであり、その日は「七月六日」でもなかった」(P14)と書いてあった話を思い出した。正岡子規の俳句である「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」も何時ぞや読んだ本では、東大寺の鐘の音だと指摘があった。法隆寺で詠んだ実景の句ではない。だから、現実の出来事と詩という作中の真実は異なってよい。子規の写生にも取捨選択はあった。子規の句が夏目漱石への返礼の句であるとすれば、すでに詠んだ東大寺の鐘でないほうが気持ちは伝わるのだ。

歌が「心」を現すことだとしたら、捉えどころのない心をどう表現したらよいのだろうか。作家が「花や月の美しさを表現する」(P227)とき、心が社会化すると著者はいう。「それはすでに個人的な感情ではない。花月に感動することそのものが、宮廷人としての資格を表すのであり、それを表現するとは、宮廷人の思いを望ましい形で代弁する行為である。だから、風物への感動の表現とは、演技されるもにのにほかならい。ただ感情をストレートに表せはよいというものではないのである」(P229
)。和歌とは宮廷人のものであった。

ここまで読んできて、自分がラブレターをほとんど読んだことがないことに気がついた。気持ちを伝えるというのは難しい。これは時候の挨拶をするように、コミュニケーションの型がないと成立しない。自分の気持ちをどう伝えるかは、何時でも悩ましい。色々と書簡集を読んできたが、立派な人達のものだけにラブレターは入っていないか、読むのが恥ずかしい気持ちになるかして読み飛ばしてきたのだろうか。英語でラブレターのようなものは書いた気がする。それを送ったかどうか記憶はすでに定かでない。

注)森敦の『天に送る手紙』(1990年)がラブレターであろう。

2019年2月 8日 (金)

『日本の思想1 最澄・空海集』(1969)

渡辺照宏編『日本の思想1 最澄・空海集』筑摩書房、1969年、1976年第6刷

手元に『高野雑筆集』とかないと不便だなと思って、事務所行って本棚を探したら、『最澄・空海集』の中に「高野雑筆集(抄)」があった。書き下し文であり、原文が付いていないのは一般書だから仕方がない。隠居したら、仕事の本を片してここに何を置くか一瞬考えたが、空海の資料はDVDなのでそれほど場所をとらないのだった。今更、全集を買っても読む暇がないのは分かっているので、調べたいことはメモにして、優先順位に任せることにする。

最澄集
願文
山家学生式
伝教大師消息(抄)

空海集
三教指帰
秘蔵宝鑰
高野雑筆集(抄)

付録
聖徳太子
十七条憲法

対談は渡辺照宏と梅原猛

今日は渡辺照宏の解説を読んで仏教思想史のにおける最澄と空海の極端に異なる個性を確認するに留めた。

2019年2月 7日 (木)

「辞本涯」の語感

竹内信夫『空海入門 弘仁のモダニスト』ちくま学芸文庫、2016年

竹内信夫『空海入門 弘仁のモダニスト』(2016年)を読み返して、DVDを見始めてしまった。そもそも、空海が高野山を創建するときに冬の高野山を「山高雪深、人迹難通」と形容した手紙が「高野雑筆集」あると竹内信夫氏が書いていたので、私のイメージはそれであった。だから、『五大』(2004年)のDVDはちょっと残念だった。くさった雪の映像では満足できなかったのである。雪山を登ってきた眼からすれば、雪の鮮度くらいは分かる。やはり何度見ても冬の高野山の雪がいい。高野山に1メートルも雪が積もることもあるというテロップも記憶にある。

こうしてDVDを見るというより聴きながら読んでいる。声明だったり、般若心経だったりずっと繰り返している。BGVシリーズのようだ。

竹内信夫氏は空海の足跡を追って、五島列島の福江島柏崎に行って、石碑を見たという。それは三文字で「辞本涯」とあり、空海の言葉から取られたという。空海の乗った遣唐使船が帆を上げた光景が蘇ってくるような描写であった。本涯を辞すとは、本州の果てに来たという認識だろうか。李白の「早発白帝城」の朝辞白帝彩雲間 千里江陵一日還の「辞」を思い出すのは漢詩のレパートリーが少ないせいだろう。

2019年2月 6日 (水)

『五大 地・水・火・風・空 高野山・紀伊山地の霊場と参詣道』(2004)

永坂嘉光『五大 地・水・火・風・空 高野山・紀伊山地の霊場と参詣道』GPミュージアムソフト、2004年、DVD42分

竹内信夫氏の『空海入門 弘仁のモダニスト』(2016年)を読み返していて冬の高野山が見たくなって、封を切る。永坂嘉光氏の写真150点とビデオである。東寺に行ったとき、永坂嘉光氏の写真展「空海の歩いた道」(2008年)が開催されていて、その時求めてから10年間もほっておいた。まあ、そんなのばかりなので驚くほどではない。

雪の大峯奥駈道を修験者に無理矢理歩かせた感がある出だし、熊野参詣道はちょっと雪に獣の足跡を写したら、巡礼の姫御前を登場させる。イメージガールは間に合っているのであるが、雪の残る道を歩かせているのでかろうじて受け入れている。

熊野の霊場のあと雪の高野山町石道が出てくる。ここから五大が始まる。写真をDVDにしているので、繋ぎの映像と合わない。雪の写真が何枚か出てくるので、高野山の冬をイメージしたいが、切り取ったシーンを次々に見せるだけでは、写真集で見たほうが落ち着ついて自分のペースで見ていられる。写真を動かすのはニセモノ感が強い。静物を映しても映像には時間があるのである。

やはり、冬の高野山を味うには『virtual trip 高野山』(2008年)の第1章が私のイメージに合う。雪が降るのは映像で見るに限る。ナレーションも要らない。字幕で十分だ。大塔の中の荘厳に酔う。堂本印象の菩薩絵が16本の柱に描かれている。常楽会の声明が2月の夜に厳かに響く。冬から始まるのは正解だと思う。




2019年2月 5日 (火)

「渉覧山水」ということ

竹内信夫氏の『空海入門 弘仁のモダニスト』(ちくま学芸文庫、2016年)を読み返していて、冬の高野山が見たくなった。以前、暮れに行った時は、寒かったけど、雪は降らなかった。霊宝館が冬休みで閉まっていた。壇上伽藍のある盆地の西の端にある大門から東の奥の院のある盆地の弘法大師御廟まで見てきた。そして、京都まで戻って、先斗町の居酒屋でいつものように飲んでいた。

注)冬の高野山参照

竹内信夫氏が「渉覧山水」ということを書いている。逍遥という言葉は知っていたけど、渉覧は知らなかった。空海の言葉だという。山の懐に抱かれるようにして歩き廻るイメージがある。ヨーロッパアルプスの岩山の登山(Peekを登り返す)と違い、日本の山は森林に覆われているから、沢登りして山頂に至るまでどちらかというと登山というより山歩きである。岩と氷(雪)に対して深林と水(滝)の世界だ。『山と渓谷』という雑誌のタイトルが日本の山には相応しい。空海は山林斗藪(さんりんとそう)の修行をしたことで高野山を知ったのだろうか。山に入るとは道無き道を行くことである。登山道が整備されていなければ尾根道は歩けやしまい。普通は谷筋を詰める。それでも最後に藪が出てくることが多い。藪漕ぎをした経験からは渉覧というような軽やかな言葉は出てこないと思う。視界はなくただただ辛い思い出しかない。もっとも、藪漕ぎ大好き人間もいないではないが。

荷を担いだ縦走は無理であるが、山と一体になれる山歩きはまだ出来るような気がした。登頂を目指すのではなく山に居ることを愉しむのだ。竹内信夫氏は高野山に住んだことで、「高野」の「平原の幽地」を思い描いて歩けるようにまでなったという。例えは違うが、私が洛中をイメージして京都を歩くのと同じように何度も歩いて身体感覚で把握したのだろう。羨ましい限りだ。





2019年2月 4日 (月)

「酒呑童子絵巻」を観に根津美術館まで

根津美術館に「酒呑童子絵巻 ー鬼退治のものがたりー」を観に行く。

室町時代の酒呑童子絵巻は残念ながら1巻しかなく、これからというところが見れない。江戸初期の伝狩野山楽の3巻本は色がよくなかった。19世紀の住吉弘尚の8巻本は酒呑童子の誕生から始まっており興味深い。伊吹明神と郡司の娘の間に生まれ、酒が好きな童子として描かれて、比叡山に預けられるが、酒を飲んで狼藉したことで最澄によって追放された。それから調伏されて後が私の知っている酒呑童子である。源頼光は朧谷寿先生の本で読んだけど、大国の受領を歴任し、藤原道長に仕えた軍事貴族であって、武勇の話はなかった。オーディオガイドを聴いていたら、絵の継ぎ順が違っていて、毒酒に酔った酒呑童子を侍女達が鎖に繋ぐ絵が前後したという。文字が細くて読みにくい絵巻である。その後に見た本阿弥光悦の「和漢朗詠抄」がよかった。庭を散策したが花に乏しい季節であった。

注)朧谷寿『源頼光』(吉川弘文館、1989年)は『清和源氏』(1984)の中で紹介した。

渡辺照宏によると「最澄は弟子の光定への遺言で酒を飲む者は山を去れといっている。『顕戒論』でもそういっている。」(渡辺照宏「最澄と空海の思想」『日本の思想1 最澄・空海集』筑摩書房、1969年)

2019年2月 3日 (日)

上田惇生氏逝く

上田惇生氏が2019年1月10日に亡くなられた。知人のFBを読んで初めて知った。ドラッカーは上田惇生訳で読んできたから、良くも悪くも影響は大きい。上田惇生氏編訳は評判が悪いのでほとんど処分してしまったが、『テクノロジストの条件』(2005年)は課題図書だったので残している。ご冥福をお祈りする。

2019年2月 2日 (土)

『和歌とは何か』(2009)その6

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

後半は行為としての和歌である。するする読んでしまう。

Ⅱ 行為としての和歌
第1章 贈答歌ーー人間関係をつむぐ

贈答歌はその解釈が難しいのであるが、著者は、和泉式部と敦道親王、慈円と頼朝、頓阿と兼好などを取り上げてその醍醐味を味あわせてくれる。

第2章 歌合ーー捧げられるアンサンブル

歌合は何故か読み通したものがない。有名な組合せが出てきて、懐かしくなるが、解釈は難しい。

第3章 屏風歌・障子歌ーー絵と和歌の協和

屏風歌・障子歌は著者が主張する儀礼としての和歌ということができる。

第4章 柿本人麻呂影供ーー歌神降臨

白河院の寵臣である藤原顕季(あきすえ)が「柿本人麻呂影供(えいぐ)」を始めたとある。『古今著聞集』第178話に「柿本人麻呂影供」のさまが語られているという。人麻呂の画像を掲げて、供物を捧げる儀式である。調べてみよう。

第5章 古今伝授ーー古典を生き直す

「教えることを相伝、教わることを伝受といい、だから正確には「古今伝受」だともいうが」(P203)としたうえで、本書では一般的な「古今伝授」を使っている。

古今伝授の内容は知らなかったが、単なる権威主義的な秘伝ということではないようだ。

2019年2月 1日 (金)

『戦国大名と国衆』(2018)

平山優『戦国大名と国衆』角川選書メチエ、2018年

平山優先生の最新刊である。前回の本に比べて薄いにも関わらず読むとすぐに眠くなるのは、最初に出てくる用語の定義のせいである。これを越えないと先に進めない感じがするのが、「論」のせいで、『武田氏滅亡』(2017年)のように武田勝頼の生涯を扱った本と違って「国衆」の特徴を明らかにすることが目的だからである。戦国大名の歴史を扱うのと権力構造を扱うのとでは大分、論の進め方が違うのである。

第1章では「国衆」、次に武田氏の場合を例に「先方衆」を取り上げ、なぜ「戦国領主」という概念を使わないで「戦国大名」を使うのかを説明する。第2章では「国人」、「国人領主制」、「室町期荘園制」が説明され、これが終わって、海野領の形成という具体的な事例に入っていく。やっと視界が開ける感じである。

目次に出る用語の説明が終わると、目次そのもので本書の主張が見えてくる仕組みだ。

第1章 戦国期の国衆と先方衆
第2章 室町期国人領主の成立と展開
第3章 国人領主から国衆へ
第4章 戦国大名領国下の国衆「領」(「国」)
第5章 国衆の武田氏従属
第6章 先方衆としての国衆と武田氏
終章 武田氏滅亡と国衆

それにしても、通勤時間では、40頁以上ある章毎に読むことができないので、読み直ししながら読む本である。まとめて読もうとすると、週末になるが、先週末のように飲み歩いたりすると、読めないので、コツコツと仕事の合間に読むしかない。





2019年1月31日 (木)

2019年1月購入図書

2019年1月購入図書
今年は積読はしないという方針で新刊本と付き合うことにする。研究会で使う本とか考えると、新刊本5割、古書2割、往来3割くらいになると理想的だなあ(去年の実績は45%、35%、20%)。新聞、定期購読誌、メルマガ、ブログ、オンライン教材、Podcastなど私を維持してくための膨大なインプットを考えると、本当に本と付き合う時間を大事にしたい。

注)往来とは、このブログを始める前までに買ってあった刊行本(過去の読書生活)や借りて読む本である。これがなければ、新刊本オールでもよいのだけど、調べごとしていると、古書に突き当たるし、買ったことすら忘れているのは当たり前(^^)

(購入後記)
幸せとは何かという根本を考えなければ、欲望に負けて文化は滅びてしまうだろう。文化は農耕に始まり、景色を切り拓いてきた(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』)。欲望に溢れた「日本文化」というメタ文化の気持ち悪さを感じる。

戦国時代を扱う歴史書は決してビジネス戦士の教養にはならない。まして、「国衆」は戦国の終わりとともになくなったものであり、現代の状況の理解に直接繋がるわけではない。しかし、歴史観なくして現代を考えることはできないのも事実である。

そういえばハイエクは読んだことがなかった。入門書を読んでみることにする。

ルソーの『社会契約論』(桑原武夫、前川貞次郎訳)が読めないのは翻訳のせいではないかという疑問を持った。そもそもタイトルは『社会契約論』じゃないだろう。Du Contrat Social ou Principes du droit politiqueは『社会契約について、もしくは政治的権利の原理』である。フランス語の原文を見たら少し古いフランス語であるので、フランス語の現代語訳があれば読みやすいと思った。しかし、探せなかったので、英訳版にした。現代英語なので分かりやすい。仏英和の力で読み通したい。

課題図書としてAction for Readingで読むためにkindle版でなく買うことになった。野中郁次郎氏の本もこれが最後になるのか。

課題図書を読んでいたら、タネ本の紹介がされていた。「制作」というと、荻生徂徠の聖人という制作者を思い浮かべてしまうのは、一つの読者傾向なのだろうか。

【思想】
丸山俊一『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』NHK出版、2018年

Jean-Jacques Rousseau『The Works of Jean-Jacques Rousseau: The Social Contract, Confessions, Emile, and Other Essays (Halcyon Classics) (English Edition)』Halcyon Press、2009年 Kindle版

ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』ちくま学芸文庫、2008年、2018年第6刷

【歴史】
平山優『戦国大名と国衆 』角川選書、2018年

【経済】
BOUDREAUX, DONALD J. 『The Essential Hayek』Fraser Institute、2015年 kindle版

【経営】
紺野登、野中郁次郎『構想力の方法論 ビッグピクチャーを描け』日経BP社、2018年

2019年1月30日 (水)

2019年1月購入古書

2019年1月購入古書

去年の購入書籍は100冊を切ったので、積読率は改善されたと思っているが、過去の積み重ねは如何ともし難く、部屋を圧迫し続けている。古書はほとんどリサイクルできないので、燃えるゴミとなる。比較的綺麗な新書はリサイクルで古書市場に行ってもらおう。献本やサイン本などは私とともに古びていくしかない。

(購入後書)
基本的なことが分からなくなってきている。どうしたことだろう。和歌を説明するのは難しい。渡部泰明氏の切り込み方がいい。

【文学】
渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

2019年1月29日 (火)

『和歌とは何か』(2009)その5

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

第5章 本歌取りーー古歌を再生する

この本は各章のサブタイトルが気になる書き方をしていると思う。
さて、本歌取りの定義も実にやっかいだということから、少し端折って、定義に入る。

「本歌取り」とは「ある特定の古歌の表現をふまえたことを読者に明示し、なおかつ新しさが感じられるように歌を詠むこと」(P102)。

「過去の和歌と同じ表現を用いて新しい歌を詠むこと」(P97)は「類歌」と呼ばれるという。

「ある特定の和歌の表現をふまえて新しい歌を詠むこと」(P98)は「参考歌」と呼びならわしている。

なるほど、「本歌取りは、縁語の発展した形式」つまり「縁語は言葉そのものの類縁性に依存するのに対して、本歌取りでは本歌によってそれらの語句の関係性が根拠づけられている」(P108)ことの違いだ。

「読者に明示」いうところが肝である。「本歌取りというのは、その基本として歌人たちの集まる場に興趣をもたらすという、場に規制される」(P116)から、同じ文化的背景を持った人々(つまり貴族)のサークルでしか成立し得ない。

「本歌と贈答歌の関係になるように本歌取りした歌は、「贈答の体」の本歌取りと呼ばれ、本歌取りの基本的なスタイルの一つとされた」(P111)。

こうして、色々な概念を並べてみたけど、実際の和歌を鑑賞しないと分からないのであるが、そもそも元歌である本歌が何故それか分からないので、解説されたものを読んでも、その鑑賞に入って行きにくい。しかし、本歌を基にした歌を作ることは、サブタイトルにある本歌を再生することでもあるというのは分かるきがする。

2019年1月28日 (月)

綜合文藝同人右左見第3号

綜合文藝同人右左見第3号(平成三十秋冬号)を遅ればせながら買う。年二回発行になるという。

右左見中道氏が巻頭言に代えて「新しき傍流」宣言を書いていた。主流なき時代には「己の魂を歓ばせる」ことに注力せよという。反抗すべきものすらもない傍流のなかで、反発したり他を蔑すむ時間も無駄と知れ、己の道を行くだけである。

2019年1月27日 (日)

『和歌とは何か』(2009)その4

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

第4章 縁語ーー宿命的な関係を表す言葉

縁語の定義は難しいらしい。「今回は、間違いなく縁語と認められる例に限定し、禁欲的に考えてみることにしたい」(P79)と著者が「禁欲的」ということで慎重なスタンスであるが、それだけに選んだ歌の鑑賞は熱くなっている。

著者は縁語という特殊な関係には「二重性(掛詞(広義)」と「文脈の超越」が欠かせないという。

例として、以下の歌をあげている。

秋霧のともに立ち出でて別れなば晴れぬ思ひに恋やわたらむ
(古今集・離別・386・平元規)

「秋霧」と「晴れぬ」が縁語である。「晴れぬ」が霧が晴れぬと心が晴れぬの二重の意味があっても、文脈は二つに別れない。晴れぬ思いは心が晴れないことを言っているだけである。

次に、有名な伊勢物語第九段東下りの条の歌であるが、古今集では在原業平の歌としている。

唐衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

この歌は「かきつばた」を五句の先頭に据えた折句というレトリックで詠まれただけでなく、「唐衣」に対して「つま」(妻・褄)、「はる」(遥・張る)、「き」(来・着)が縁語になっているという非常に技巧的な歌である。しかし、一行は皆泣いた。感動しすぎのようにも思える。著者の解釈を引用することにする。

「意地悪くいえば、所詮言葉の偶然の組み合わせにすがった歌、と言えなくもない。が、話は逆である。偶然こそが大事なのだ。偶然の力、すなわち人の意思を越えた運命的な力によって、ある形がぴたりと決まる。その運命的な力を感じ取ることが、人々の心を一つにするのである。業平の歌は、たんに望郷の悲しみを表現しているのではない。望郷の悲しみが、今この場所での逃れがたい運命であることを、言葉において実現しているのだ」(P84)。

縁語が「二つの内容を結びつけ、それによって今ここの場、という現在性を強く浮かび上がらせる」(P87)というのだ。

著者は百人一首のなかで「一番うまい歌」として、皇嘉門院別当の歌をあげている。

摂政右大臣の時の家の歌合に、旅宿(りよしゆく)に逢ふ恋といへる心をよめる
皇嘉門院別当

難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ身をつくしてや恋わたるべき
(千載集・恋三・807)

百人一首では「難波」の次が「江」「潟」「津」なのかで札をさらうことしか考えないが、「澪標(みをつくし)」など、ここで習うかあとは源氏物語でしか習うことはないと思う。

「「難波江」「芦」「かりね」「身をつくし」「わたる」と次々に繰り出される縁語も、最初から予定されていたかのように、居るべき場所に居る、という印象を与える。とくに、「一夜ゆゑ」と絞り込んでいった直後に、一転して「身を尽くしてや恋ひわたる」と心が暴走していく呼吸は、感嘆する以外にない」(P92)と解釈に力が入っている。

私は渡部泰明氏の解釈で歌を読んでいきたくなった。三十一文字による一回限りの表現がここまで感動を生むのは縁語による技巧を共有する心の働きがあるからであろう。

2019年1月26日 (土)

『和歌とは何か』(2009)その3

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

第1章 枕詞ー違和感を生み出す声

枕詞も分からないものの一つだ。知ってはいるが、理屈で考えることはできない。

著者は枕詞を三点から説明している。
主として五音で
実質的な意味はなく
常に特定の語を修飾する

例えば「あまざかる」は「鄙」を修飾する。

「修飾語はそれを含む文脈の中に位置付けられ、他の語との関係を生み出しながら、その文脈の中で定着していく。一方枕詞は、文脈の中に溶け込まない。いつまでも違和感を生み出し、孤立し続ける」(P27)。

「枕詞の意味が多くの場合分からなくなっているのも、一つにはこの孤立性が原因となっている」(P28)。

「枕詞とは、文脈から孤立した、不思議で不可解なものとしてあり続ける言葉」(P29)という。

うつせみの人目を繁み石橋の間近き君に恋ひわたるかも(万葉集・巻4・597・笠女郎)

この歌の枕詞が「石橋の」で「間近き」を修飾しているのが分かれば大したものだ。「石橋の」に意味はなく孤立している。私などは「うつせみの」が「世」や「人」の枕詞であると思ったが、この場合、「「うつせみの人目を繁み」の「うつせみの」は「世間の人の(人目)」という意味を持っていて、一首の文脈の中で生かされている、と見ることもできる」ので枕詞にしない説もあるという。

第2章 序詞ー共同の記憶を作り出す

序詞はもっと分からない。「枕詞よりももっと長く(二句以上もしくは七音以上)、しかもつながり方が固定的ではなくて、使用されるそのつど、新しい表現が工夫される点が異なっている」(P39)。

「ある種の懐かしさをかもしだす表現」(P41)と言っている。

巻向の痛足(あなし)の川ゆ行く水のたゆることなくまたかへり見む
(万葉集・巻七・1100・柿本人麻呂歌集)

「巻向の痛足の川ゆ行く水の」が「絶ゆることなく」に掛かっている。

著者は「巻向の痛足川を行く水は絶えないーー絶えることなくまたこの川を見よう。」(P55)と訳を添えている。私はこの調子の良い歌の解釈に違和感を覚えている。恋の歌の多い「柿本人麻呂歌集」だけに。

第3章 掛詞ー偶然の出会いが必然に変わる

掛詞は分かりやすいと思ったけど、左にあらず。広義と狭義がある。「一つの言葉が二重の意味で用いられるもの」が掛詞(広義)である。ここでは「掛詞そのものを主眼とした表現のことで、「掛詞(広義)」との違いは、一語が二重の意味になっているだけでなく、文脈までも二重になっていること」(P59)、である。

そして、掛詞を「古今集」の時代区分から、「読み人知らず時代」「六歌仙時代」「選者時代」に分けて鑑賞する。

小野小町の歌はよく引かれる歌だ。

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

「小町の歌の掛詞は、巧妙である。「ふる」が「降る」と「経る」の、「ながめ」が「長雨」と「眺め」の掛詞で、それぞれのうちの前者が春の風景の文脈、後者かわが身の文脈を形作る」(P68)。

六歌仙時代の歌は少し演技が過ぎる気がする。

2019年1月25日 (金)

『和歌とは何か』(2009)その2

『和歌とは何か』(2009)その2
渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

何しろ序章のタイトルが「和歌は演技している」である。枕詞・序詞・掛詞・縁語・本歌取りといった和歌独特の修辞技法(レトリック)が演技の視点から説明される。

和歌について勘違いしていたのかもしれない。正岡子規によってレトリックが否定された和歌は、真面目で、気詰まりのするものとして私は敬遠してきた。

「どうやら和歌とは、わが思いを、それと等価な意味・イメージの言葉に置換して表現するという表現観では説明しきれぬものであるらしい。つまり、重要なのは「意味」「内容」だけではないということだ。和歌の言葉には、意味やイメージの世界に閉じこもらず、直接に人々のいる現実の世界に働きかける面がある」(P23)。

「働きかける力の源泉は言葉の「音」にある。言葉の音てあるから、正しくは「声」である。その声が合わせられる。するとそこに儀礼的な空間が生み出される」(P23)。

「儀礼的な空間とは、複数の人間が、ある区切られた場所の中で、何らかのルールや約束事を共有しながら、特定の役割意識に基づいて行動する空間である」(P5)と定義されていた。

儀礼的な空間とは「役割意識に満ちた行為、すなわち演技に満たされた空間である。皆で声を揃えたり、祈りを捧げたり、日常生活ではあまりお目にかかれない表現行為が、真摯に現実のものとして営まれる。そういう行為をいま演技と言った。演技という行為の視点を持ち込むことで、和歌のさまざまな謎をほどいてゆくことが、本書での私の提案なのである」(P5)。

和歌のレトリックが儀礼的な空間を呼び起こすだけでなく、和歌と儀礼的な空間の関係を、後半では贈答歌・歌合・屏風歌・障子歌・柿本人麻呂影供・古今伝授を題材に和歌を取り巻く行為を演技の視点から「行為としての和歌」として論じている。

楽しみな本になってきた。

2019年1月24日 (木)

奈良その奥から四「竃の飯」

岡本彰夫 「竃の飯」『ひととき』2019年2月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「竃の飯」について『ひととき』2019年2月号に書いていました。式年造替の時に神様が仮殿である「移殿(うつしどの)」へ渡るための「筵道(えんどう)」は百間(約180m)あります。藁薦(わらごも)を敷き詰めますが、この藁薦が百枚必要になります。この藁もコンバインで収穫すると丈が短くなるので手刈りするそうです。俵を編むのと同じように藁薦を編むための技もかつては知らぬ人のないものだったそうですが、二十年先を考えて映像で記録したそうです。

春日若宮おん祭で千人にも及ぶ奉仕者への食事は竃で煮炊きします。これが頗る美味いといいます。しかし、「おクドさん」で飯が炊ける人を探すのに苦労したといいます。かつて当たり前だったことが、二十年程前からできる人がいなくなってしまいました。一番伝承が難しいのは、みんなが知っていることなのだといいます。

2019年1月23日 (水)

112「地下から出ると」千宗室

ひととき 2019年2月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「地下から出ると」というタイトルでした。家元が昼飯を独りで食べるために地下鉄烏丸線に乗って北山へ行った時のお話です。地下鉄の出口の風が強いので、あと数十段のところで様子見したら、後からの人も止まった気配を感じたといいます。家元が風除けでした。昼は軽めと決めて蕎麦屋で鴨南蛮を食べました。北山通から北は冷えるので、丸太町通では時雨でも、北山通は雪と昔から言われてきました。

北山通で私が鴨南蛮を食べたことのあるのは権兵衛北山店だった気がします。文章からは家元が食べた店は分かりません。

2019年1月22日 (火)

『大坊珈琲店』(2014)

大坊勝次『大坊珈琲店』誠文堂新光社、2014年

『大坊珈琲店』(2014年)の封を切る。普及版であるが、今までとっておいた。Cafe Violonで愛蔵版を見たとき、欲しくなったが、もうなくて、普及版を手に入れた。そのCafe Violon が去年六波羅の店を閉めた。西木屋町に移転した方にはまだ尋ねていない。

本箱をふと見たら『大坊珈琲店』があった。大坊珈琲店は閉まってしまったけど、大坊勝次氏が残してくれた本はそのまま残っている。シュリンクラップされたままで封を切っていない。珈琲の話が読みたくなって封を切ってみた。

本は3つのパートからなっている。
大坊珈琲店のマニュアル
写真
寄稿(35人)

マニュアルらしくないのがよかった。
内装の設計、音楽、焙煎などの物語を読むと、大坊氏が何を大切にしていたのかが分かってくる。

長いーカウンターは木場に浮いていた松から造られた。生木だから松脂を拭き取るのが日課になった。

「ポール・デズモンドなどの落ち着いたジャスを音をしぼって流します」(P19)とあるのは、好きな「テイクファイブ」のことである。

「私の個人的な感覚なのでしょうが、クラッシックやロックは、音楽の世界に自分を移行させる感じを持っていました。ジャスは幾分こちらに引き寄せられるような、自分は動かずに自己でいられるような思いがありました」(P19)。

珈琲を飲む時間が自分自身に返って一休みできることを望んだのだった。



2019年1月21日 (月)

大島書店の閉店に思う

神保町の大島書店が2019年1月26日で閉店になるという。八木書店に行ったときに覗いてみたが、小さな店の中と外が混み合っていた。棚の本が片付いてきたが、独逸は捌けが悪い。洋書はタトル商会が閉まってから、北澤か丸善で買ってきたが、考えてみると、この数年はネットショッピングになっていた。

米国ではkindleで読むのが当たり前の時代になったようだ。紙とkindleではkindleの方が安いし、置場に困らない。本もデジタル化すれば、所有というより利用する感覚である。月額料金で読み放題にシフトしていくだろう。そんな風潮にも関わらず、モノとしての本を買ってしまうのが、本屋街だと思う。kindleにならない本も多いし、本の質感が好きなので、足は東京堂書店へ向かったのだった。



2019年1月20日 (日)

「奈良絵本を見る!」を観る

神保町の八木書店の3階の八木書店古書部で展示会「奈良絵本を見る!」を観た。配られた展示解説の冊子は石川透氏が執筆している。展示品は様々であり善本で絵本の色がよかった。展示解説は白黒なのでやはり実物を見るのがよい。参考にデジタル奈良絵本のリソースをあげておく。

奈良絵本についてのリンク
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/fujiwara/naraehon-library.html

慶應大学Digital Collection
http://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/naraehon/explanation




会期 2019年1月10日(木)〜26日(土)
27.「玉水」は今年のセンター試験の古文に出た「玉水物語」だった。狐が妙に生々しい絵に見えた。

2019年1月19日 (土)

『和歌とは何か』(2009)の読み方

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

あらゆること問い始めると、基本的なことが分からないことだらけであること分かる。通常、「和歌とは何か」と問う人はない。三十一文字による詩であること以上に説明を付け加えようとすれば、「解釈」の問題が出てくることに気がつくからである。従って、和歌というカテゴリを説明しょうとすれば、「和歌」の全てを読むことはできないので、概念として提示することになる。すなわち「仮説」を持ちいる必要がある。その「仮説」で説明できればその概念は有効といえよう。和歌のように1,300年以上に長い歴史を有していれば、伝統的な解釈というのも成り立ってくる。そもそも過去・現在とも和歌が詩である以上、作者の意図や心は解釈者による推定でしかなく、解釈に関する「共感」は受け止める人に依存するため相対的である。

本書で渡部泰明氏は「和歌とは何か」とストレートに切り込りこんでいる。私の長い和歌の鑑賞の歴史に揺さぶりをかけている。しばらく通勤電車のお供にしょう。



2019年1月18日 (金)

『プリンキピアを読む』(2009)


和田純夫『プリンキピアを読む ニュートンはいかにして「万有引力」を証明したのか?』ブルーバックス、2009年

『構想力とは何か』(2018年)を読んでいたら、ニュートンが「万有引力」を思いついたエピソードを構想力の例としてあげていた(P71)。

なぜそれが気になったのかというと、前日に『プリンキピアを読む』(2009年)を読んでいて、和田純夫氏が「誰も理解できない」と同時代の人々に噂されたこともある書物とはじめにで書いてあったから、紺野登氏はニュートンのエピソードをどこから持ってきたのだろうかと思った。参考文献を見たがそれらしきものはない。

和田純夫氏は「リンゴが落下するのを見て万有引力という概念を考えついたという逸話」は「ニュートンを回顧した人の記録の中に残っている話なので真偽ははっきりしないが、彼は地球上の物体に働く力と,地球が月に及ぼしていると思われる力を比較して,その力が距離の2乗に反比例するならば,同じ力とみなされるという計算をしている(1966年)」と書いていた(P19)。『プリンキピア』など読まなくても良い話であったが、『プリンキピアを読む』を読んでいて、紺野登氏の400字足らずの要約からのイメージが近かったので気になったのだった。

月もリンゴと同じように落ちているのであるが、月は地表に平行な方向に速度をもっているため地球の周りをまわっているという。

本書はプリンキピアの第Ⅲ編から読み、第Ⅰ編、第Ⅱ編と読むことから構成されている。したがって、私も200もある命題や定義、公理など、まるでスピノザの『エチカ』のような世界を味わうことにしょう。




2019年1月17日 (木)

2019年01月書籍往来

2019年1月書籍往来

「購入後書」がないのが「書籍往来」だ。事務所や研究所にある過去に買った本は、ブログの「書籍目録」に載せてないので、書籍往来で扱うようにしている。詰将棋の本を別にして2014年10月購入の本は「購入図書」か「購入古書」として書籍目録を作ってきた。だから4年分しか登録されてないので、あとは書籍往来で少しずつ目録化していく。


【知】
反町茂雄『日本の古典籍 その面白さ その尊さ』八木書店、1984年、1993年第3刷
八木書店のサイトで「奈良絵本私考」の連載に気がつき、本棚から取り出してきて、「奈良絵本私考」の続きを読む。

【文学】
村野四郎編『西脇順三郎詩集』新潮文庫、1965年、1971年第7刷

『現代詩読本7 西脇順三郎』思潮社、1979年


2019年1月16日 (水)

「奈良絵本私考」を読む

反町茂雄『日本の古典籍 その面白さ その尊さ』(八木書店、1984年、1993年第3刷)を本棚から取り出してきて、「奈良絵本私考」を読む。

「奈良絵本私考」は 1979年に私刊700部が『C. ビーティ ライブラリー蔵日本絵入本及絵本目録(Japanese Illustrated Books and Manuscripts in the Chester Beatty Library )』を著作し、頒行した記念にまとめられた(P515 あとがき)。『日本の古典籍』(1984年)に収録するにあたり、著者が調査した388種の書目の分類を記載したものは省略されている。

反町茂雄氏が奈良絵本の時期を寛永以前と以降で分けていた。この短い論考を味わいながら、展示会へのチャンスである週末を待つこととしたい。

‪八木書店のページで展示会に合わせ、コラムに「奈良絵本私考」の連載が始まっていた。歓迎すべきことである。‬

八木書店/コラム‬

2019年1月15日 (火)

梅原猛氏逝く

2019年1月12日に梅原猛氏が肺炎で亡くなられた。

『隠された十字架ー法隆寺論』(1972年)を読んだのが最初でした。修学旅行の前に高校の物理の先生が熱心に勧めてくれたのがきっかけでした。今まで読んだことのないような熱い語り口が印象的でした。修学旅行はグループ行動のため、国立博物館と東大寺を見ましたが、法隆寺は記憶に残っていません。50歳を過ぎて修学旅行のやり直しをした時には、もう、すっかり本のことは忘れていました。

『仏像 心とかたち』(1965)を読み、仏教への興味を持つようになりましたが、その後の梅原猛氏の論考は、荒削りなので検証作業が素人の私には手に負えないため、読み方が難しくなりました。仮説思考という考えるヒントを与えてくれたことは間違ありません。至心合掌。

2019年1月14日 (月)

読書ノート003

鎌田東二、南直哉『死と生 恐山至高対談』東京堂出版、2017年

第1章 出会い
第2章 恐山 死と生の場所
第3章 危機の時代と自己
第4章 生きる世界を作るもの
第5章 リアルへのまなざし
第6章 生命のかたち

2019/01/11
第4章
経験を語る言葉・言語と、それが形作る思想が話題とされる。
南氏「思想には、仏教と仏教以外の二種類しかないと私は思っています。そしてこれらを分ける大きな問題は、言語をどう考えるかという点なのです。言語が真理を語り得ると考えるか、または、言語は真理には届かず、言語で語られるものは仮説物、虚構でしかないと考えるか、そのどちらかだと思います。そしてこれが人間の考え方を大きく分ける一つのラインだと思っています。露骨に言うと、ゴータマ・ブッダの教えとそれ以外しか、この世にはないような気がしますね」(P137)。

[言語に対する不信は中島敦の『文字禍』の話やプラトンの『パイドロス』の話をする前田英樹の『愛読の方法』(2018年)を読んでいたのでピンときたが、突き詰めれば経験と言葉との間の問題でもある。南氏は佛説は真理には届かないとする。だからお経は方便という。]

南氏「ブッダが発見したのは「無明」という実存の状況だということです。つまり、これによって人間は苦である、悲惨であるという話。キリスト教では原罪にあたるものだと思います。
「無明」というのは「認識の間違い」という意味ですから、認識を成立させる言語こそが、この人の言っている無明だと思ったんですよ」(P138)

[自意識は言葉である。南氏は坐禅という身体技法で自意識を解体することができるという。鎌田氏の心身変容技法は何を目指していたのか?]

2019/01/12
第5章
[思い込みというのはあって、四国八十八箇所巡りは西国三十三所観音巡礼と同じ観音信仰だと思っていた。本尊が観音菩薩30か寺、薬師如来23か寺、地蔵菩薩6か寺、大日如来6か寺など。]
「メタノイア」という言葉で、美学者の高橋巌の話が出てくる。
鎌田氏
「高橋先生に学んだ核心的な命題は「悔い改め」です。カトリックでは、「懺悔(ざんげ)」、仏教では「懺悔(さんげ)」。この悔い改めを、高橋先生はギリシャ語で「メタノイア」と言っていました。メタ(〜を超える)、ノイア(ヌース、精神)。その意味は、これまで自分が感覚的に捉えてきた世界を、メタ、つまり転換せよ、という意味です。」(P190)。
[メタノイアは「人の視座や志に起こる変化」を意味する。ギリシャ語の新約聖書を「悔い改め」と訳したのは凄い。懺悔は正しく受け止められていない言葉だと思う。]
この章では「欠落感」が語られる。生死のリアルである。

2019/01/13
第6章
南氏の生と死の問題を捉えるために何が大切かという質問に答えて、鎌田氏は「歴史認識と詩や物語」と答えた。死に向き合うため、「自分の人生をひとつの物語にすることが大切な」のだという。
鎌田氏は「無常」と「むすび」は同じことを言っているという。
「むすひ」は自然が持っている生成の力を指しているという。関係性からものごとが生起する。南氏は「むすひ」を縁起に近いと受け止めた。
[死の受容というテーマのなかで、空海、道元、親鸞が語られるが、笑って死ねたのは誰なのか?]

2019年1月13日 (日)

『長浜盆梅展inここ滋賀』を観る

2019年1月12日(土)から16日(水)の5日間、日本橋「ここ滋賀」屋上テラスにおいて『長浜盆梅展inここ滋賀』が行われるというので、観てきました。紅梅、白梅ともに咲き始めといったことろでしたが、「映える春」を味わってきました。
聞いたら10日から始まった長浜の慶雲館では八重白梅「花音(カノン)」が7年ぶりに展示されているそうで、それも満開だということでした。久々で焦れ込んだのでしょうか? 3月10日まで開催期間があるのに見頃は1月末までと言っていました。オイオイ。私は紅梅の「不老」の写真を観て以前のことを思い出して懐かしくなりました。

長浜盆梅展を観に行く



1Fで売ってたシガモノであるつるやの「サラダパン」と「スマイルサンド」に長浜エールで寿ぎたいと思います。




盆梅展の招待券と絵葉書まで頂いちゃいました。




2019年1月12日 (土)

東都手帖2019年02月【編集中】

2019年02月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

一年で1番短い月、如月。寒いけど、日も長くなる。

企画展「酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり」根津美術館 2019年1月10日(木)~2月17日(日)

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」東京国立博物館 2019年1月16日(水)〜2月24日(日)

「生誕130年記念 奥村土牛」展 山種美術館 2019年2月2日(土)〜3月31日(日)

2019年1月11日 (金)

読書ノート002

鎌田東二、南直哉『死と生 恐山至高対談』東京堂出版、2017年

第1章 出会い
第2章 恐山 死と生の場所
第3章 危機の時代と自己cw
第4章 生きる世界を作るもの
第5章 リアルへのまなざし
第6章 生命のかたち

2019/01/09
第2章
南氏の「リアル」の定義が語られ、「思い通りになるものがヴァーチャルで、思い通りにならないものがリアル」だとされる。死者は関係者にとっては「リアル」とされる。
仏教では形而上学的な問いに是と否を答えない「無記」の態度が本来とされる。
[三木清が死は観念であるといった言葉を思い出した。]
恐山とイタコなどの民間宗教が語られるが、恐山が何故曹洞宗なのかは語られない。開基は天台宗の円仁と伝えられる。

2019/01/10
第3章
南氏「釈尊の時代と、道元禅師の時代と、われわれの生きている時代は、構造的にそっくりだと思います」。

南氏「それまでの物語が通用しなくなり、自己な存在様式を作る作法が混乱し、自己が作りづらくなった時代。それが鎌倉期だと思います」。

南氏「今はグローバル化の時代で、これまでの自分や自己というありようを規定していた作法や構造が、もう通用しなくなった時代です」。

現代を中世と同じ変革の時代と認識する点では鎌田氏と南氏も同じであった。
[鎌田氏の「スパイラル史観」は『世直しの思想』(春秋社、2016年)でも書いてあった。]
慈円の『愚管抄』の時代認識について南氏に鎌田氏が突っ込まれた形になった。
[『愚管抄』に関しては読み直したくなった。少し探したが見つからない。]

2019年1月10日 (木)

四都手帖2019年02月【編集中】

2019年02月の私的な愉しみと記憶

如月の寒い時分の古都を思い出すと、節分ということになる。吉田山で松井酒造の升酒で節分を祝ったのはいつの頃だったか。天神市と梅花祭が重なった如月は平日でも大変な混みよう。週末なら更なり。

水都にもフェルメールが来る。

湖東に春が来る。
長浜盆梅展についての懐かしい記憶がよみがえる。
長浜盆梅展を観に行く

【古都】
節分祭 吉田神社 2019年2月2日(土)3日(日)、4日(月)は神事のみ

節分会 壬生寺 2019年2月2日(土)3日(日)壬生狂言

追儺式鬼法楽 廬山寺 2019年2月3日(日)15時頃 境内は超混み

梅花祭 北野天満宮 2019年2月25日(月)

いっとかなあかん店に行きたいね。

【湖都】
滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。2019年3月31まで展示予定はないという。

長浜盆梅展 慶雲館 2019年1月10日(木)〜3月10日(日)


【旧都】
第10回しあわせ回廊 なら瑠璃絵 奈良公園 2019年2月8日(金)〜14日(木)

特別陳列「お水取り」 / 特別陳列「覚盛上人770年御忌 鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」奈良国立博物館 2019年2月8日(金)〜3月14日(木)

【水都】
フェルメール展 大阪市立美術館 2019年2月16日(土)〜2019年5月12日(日)

特集展「高田コレクション・尾形コレクション ペルシアの陶器-色と文様」大阪市立東洋陶磁美術館 2018年12月8日(土)〜2019年2月11日(月)

編集履歴
2019/01/12 長浜盆梅展を追加

2019年1月 9日 (水)

読書ノート001

鎌田東二、南直哉『死と生 恐山至高対談』東京堂出版、2017年

メモをとってなかったので、読み直すことにする。
対談は2016年10月28日恐山菩提寺
2017年2月23日上智大学グリーフケア研究所鎌田研究室

第1章 出会い
第2章 恐山 死と生の場所
第3章 危機の時代と自己
第4章 生きる世界を作るもの
第5章 リアルへのまなざし
第6章 生命のかたち

2019/01/08

第1章 南氏が空間の美学、空間処理の問題に興味を持っていることが語られる。
永平寺に20年も居たことは変わりものであると思っていたが、修道院のように終生居られるサンガを志向していた。
永平寺を含め日本の寺院は修行道場で通過点である。
[それにしても、恐山が曹洞宗の寺院だったとは知らなんだ。]

2019年1月 8日 (火)

停滞前線

正月気分も終わった。

加速するビジネスの世界に身を置いているので、中世の歴史を扱った一般書つまり「読み物」を読むことは精神の安定に寄与しているのだろうが、世間で流行っているビジネスに役立つ歴史という訳にはいかないのがニッチなところである。話の話題に、信長の戦争や性格を取り上げることはあるにしても、信長が泊まった宿の話や戦国時代の日蓮宗の話を振ってもトリビアを超えているので誰の興味も引きそうにない気がする。

という訳で、しばらくは読書ノートを書くことで読書生活とブログを両立させたい。

今年の計画を見たら、ブログは一日置きのペースとなっていたので、その線で行こう^_^

2019年1月 7日 (月)

『天文法華一揆』(2009)再読

今谷明『天文法華一揆 武装する町衆』洋泉社新書MC、2009年

今谷明氏が事件史叙述として、西欧の歴史家に倣って書いた一般書である。

あとがきで「十六世紀の中葉、ユーラシア大陸の両端で奇妙に類似した二つの宗教弾圧事件が起った。一つは一五三六年日本の京都で起った天文法華の乱、もう一つは一五七二年フランスのパリを血で彩ったセント=バーソロミューの大虐殺である。共通しているのは、どちらも新教に対する旧教の、しかも権力者側からの弾圧であること、京都・パリという一国の中心都市で起った事件であるという点である」(P333)と書いている。天文法華の乱は「歴史家の極めて興味をそそられる政治的現象であるにもかかわらず、従来研究は少なく、単行本の形でこれを扱ったものは見当たらない」(P334)と書いている。

ついでにメモしておくと「本書はあくまで一般向けに書かれた「読み物」であって研究書ではないということである。研究者の方々には悪いが、専門家は最初から相手にしていないことをはっきりと申し上げておく」(335)とある。その割には付章 松本問答や文献解題・目録、法華一揆関連年表など力が入っている。

洋泉社新書MCに再版するに当たり、「解説 事件史叙述へのこだわり」を河内将芳氏が書いており、学問的な位置付けが簡潔になされていた。『日蓮宗と戦国京都』(淡交社、2013年)を後に書く著者を編集者は見抜いていたといえる。

しかし、何故、解説が必要なのか。一般書だからか。『天文法華の乱 武装する町衆』(平凡社、1989年)が出てから20年ということで研究が進んだことで、専門家による解説が必要になったと考えられる。

キーワード
#今谷明 #河内将芳 #天文法華一揆

2019年1月 6日 (日)

『承久の乱』(2018)

坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年

書誌情報
本文は序章、終章で挟まれた6章からなり主要参考文献と関連略年表が付い277頁と少し厚い。地図や系図も豊富で、適度にルビが振ってあり安心して読んでいける。それでも登場人物が多いので、名前は読み方を忘れてしまう。

本書の視角は二つだと坂井孝一氏が「はじめに」で書いている。
第一 院政および鎌倉幕府の成立・発展という大きな歴史の流れの中に乱を位置づけること
第二 一般の読者にも理解しやすいよう、現代社会との比較、現代であればどのような事象に相当するかといった点を意識しつつ歴史像を描き出すこと

第二の視角は理解が難しい点である。成功しているかどうかは後ほど分かるであろう。

気になるのは史料の問題である。同時代史料がほとんどないという(iv )。承久の乱の一般的イメージは後世の編纂物により作られたのであるとすれば、それを突き破るのはなかなか大変ではないのか。そういった問題意識を持って、しかも、漫然と海苔ピーを齧りながら読み始めたのであった。

後鳥羽院の新古今集の歌が出てきた(P52)。

思ひ出づる をりたく柴の 夕煙 むせぶも嬉し 忘れ形見に

昔、新井白石の『折たく柴の記』(岩波文庫、1949年)を読んだ時には題名の由来までは考えなかったのが不思議な気がする。

北条義時追討の院宣・官宣旨をいち早く押さえて、後鳥羽院の目的を「倒幕」にすり替えた鎌倉方の対応をみていると危機管理能力の高さを感じる。「チーム鎌倉」vs「後鳥羽ワンマンチーム」という初戦の分析が著者のいう第二の視点であった。

追い詰められた後鳥羽院が延暦寺の僧兵に期待をかけたときの、著者の記述がいい。

「延暦寺の衆徒が祈禱のような宗教的手段ではなく、武力によって都を守護したことはなかった」(P183)。

承久の乱は、「実戦経験の有無、合戦に対するリアリティの有無を加えれば、そのまま乱全体の勝因・敗因になると結論したい」(P209)と著者が総括してたのはもっともな気がした。

キーワード
#坂井孝一 #承久の乱




2019年1月 5日 (土)

『城から見た信長』(2015)再読

千田嘉博、下坂守、河内将芳、土平博『城から見た信長』ナカニシヤ出版、2015年

河内将芳氏は「義昭のために「武家御城」を築いた信長がなぜ、みずからの城を京都に構えなかったのか、その理由をあきらかにしてくれる史料は残されていない」(P93)という。理由として安土城が京都と1日の距離に築かれたことがあげられる。もうひとつの理由は「京都は、信長にとって、城を構えるほど警戒する必要のない場所と認識されていたことも考えられるだろう」(同)。結果的には誤った認識であったが、何故信長はそう認識したのか。足利義輝が二条御所で攻め滅ぼされたのを知ってるので、義昭のために城を築いたのに、自分は寺院を宿舎にして過信があったのだろうか。河内将芳氏は近著『宿所の変遷からみる信長と京都』(淡交社、2018年)のあとがきで「信長が「畿内文化」をとり入れつづけてきた織田弾正忠家で育ったという点」(P160)をあげていた。「京都への遠慮」があったという。「必要最低限以上に京都には滞在しなかったこと」を史料であきらかにしたのである。

キーワード
#京都 #戦国 #信長 #河内将芳





2019年1月 4日 (金)

美術館で初詣

国立西洋美術館でルーベンス展を観ることになった。正月休みは短いのと、店も開いていないので余り出歩く気はしていなかったが、博物館で初詣というコピーに連れられて行く気になっていたところにお誘いがかかった。正月はだらだらと朝からコンビニおせちでお酒を飲んでるのが相応しいのである。それくらいだから午後からということで承知した。

17世紀のバロック絵画は19世紀印象派以降を見慣れている眼には過剰な表現に映る。テーマが宗教であり神話であることで、そのコンテクストを知らないと退屈するのは以前、メトロポリタンミュージアムの展示室で感じたことだった。どの部屋いっても茶色にしか見えなかった。我々は美術館で一度に多くのものを見すぎるのである。感受性は鈍麻するに決まっている。精神はそこまで強くない。

ロダン地獄の門の前で会って、中に入る。チケットはさっき並んで買っておいた。アントワープ聖母大聖堂の祭壇画を4K画像で見ることから始まる。これは持ってこれない。クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像画が可愛い。トルソーの脚を見た目で、キリストを見たら、おんなじ脚させてどうするのだ。ギリシャの英雄とちゃう。ヘラクレスとか女性ヌードに羞らいを感じる時代の絵だったのか。やはり、群像劇を見た方の印象を残るので、展示順はよかった。

上野のイタリアンと思ったけど、混んでいたので、浅草の鰻屋で食事して、ほぼ閉まりかけた仲見世を歩いたのだった。

ルーベンス展 バロックの誕生 国立西洋美術館 2018年10月16日(火)〜2019年1月20日(日)1,600円



2019年1月 3日 (木)

コンビニのおせち2

これからはコンビニのおせちを肴に酒を飲むのが正月の風景になるのか。以前はデパートか料理屋のおせちを食べるか、知り合いのところへお呼ばれしていただいていた。今年もお呼びがかかってお年賀を用意していたが、知り合いが東京へ出てくるというので断った。それで昨日からコンビニおせちをいただいている。知らなかった。料理屋もおせち作りは負担になるので、やめてるところもある。そんなところへコンビニおせちは参入したのだ。

昨日は適当に買ってきて食べたら、それなりだったので、今日は少し量を減らした。何しろ夜は外食が決まっている。料理人もスケッチするか頭の中で絵を描くと思うが、パックの量は素材の値段で決まるので、皿に並べると量が適当ではなくなる。そこで、封を切って量が多いものはその場で口の中へ。つまみ食いがうまいのはそういうことである。皿に盛り付けする前に考えればよかったのであるが、書と同じに一度置いたら、汁がでるので直せない。奥を高くする基本と彩りの組合せはいくつかあった。いつも食べてた里芋がないな。京人参の色もないな。おせちという文化と自分の好みを改めて考えさせられた。



岡晋吾さんの皿があれば寂しくない。
雨月陶齋先生の山桜の盃で初春を寿ぐとしよう。


2019年1月 2日 (水)

コンビニのおせち

コンビニのおせちで初春を味わう。器が大きければ素材を活かせることを知る。





2019年1月 1日 (火)

2019年元旦

明けましておめでとうごさいます。

近江名所図のカレンダーを見ながら、正月を迎えています。人は変化し続けるものです。変化を恐れない一年でありたいと思います。



鳥居が「上杉本洛中洛外図屏風」によく似ている。狩野派であることは間違いない。

2018年12月31日 (月)

ゆく年くる年

ゆく年を思う。
人は年ごとに区切りをつけなければ
のっぺらぼうな人生になる。
ああ、今年はもう後ろ姿になった。
暗き空の彼方からくる年を迎えて、今年もよろしくと言いたい。

Tennysonの詩を朗読して今年を終える。

Ring out, wild bells, to the wild sky,
The flying cloud, the frosty light;
The year is dying in the night;
Ring out, wild bells, and let him die.

Ring out the old, ring in the new,
Ring, happy bells, across the snow:
The year is going, let him go;
Ring out the false, ring in the true.

2018年12月30日 (日)

2018年12月購入図書

2018年12月購入図書
年の暮れである。今年は読む本だけ買うという方針でやってきたが、ちゃんと総括して、来年の方針を決める必要がある。我々は神ではないので有限である。精神も当然に有限である。読める本には限りがある。

(購入後記)
京都の本は京都で買いたい。ということで京都で買い求めた。写真の現場を訪ねるのは日程の都合でできなかったので、いつか計画してみたい。

承久三年(1221年)承久の乱はイチニーニーイチと語呂合わせでなく覚えたが、当時の政治状況はステロタイプ的理解だったので、本書で最新の研究に頭を切り替えたい。

【歴史】
河内将芳『宿所の変遷にみる 信長と京都』淡交社、2018年

坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年

2018年12月29日 (土)

2018年12月購入古書

2018年12月購入古書

年の暮れになると、本との付き合いがどうだったか振り返ることで、来年もよろしくということになる。デカルトの書簡を読んで朝の時間が過ぎて、夜はベルクソンをめくって寝てしまう。生産性は考えなくて良いらしい。忘己利他の精神でブログを続ける。

(購入後記)
背が欠けて可愛そうであるが、読むには支障がない。問題は1,482頁ある本文である。

【思想】
André ROBINET & Henri GOUHIER, OEUVRES-HENRI BERGSON, PRESSES UNIVERSITAIRES DE FRANCE, 1959

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