2018年12月12日 (水)

『信貴山縁起繪巻』(1957)

藤田經世、秋山光和『信貴山縁起繪巻』東京大学出版会、1957年、2011年第2版第2刷

先頃、エルンスト・ハルニッシュフェガー、松本夏樹訳『バロックの神秘 タイナッハの教示画の世界像』(工作舎、1993年)について松本夏樹氏の話を聴いたというか見た。日本にも絵解きというものがあって、『信貴山縁起繪巻』が研究所にあるのを思い出した。引っ越す前のサントリー美術館で買った『国宝 信貴山縁起絵巻』の図録を読み解くために買ってあった。信貴山朝護孫子寺にも一度出向いたことがある。

本書は文化史懇談會で信貴山縁起繪巻の研究をした成果を二人の著者がまとめ上げたものである(P273)。前半と後半に分かれてている。目次を見るだけで明らかだが、藤田經世が漢字を使わな過ぎで読みにくい。ページが白っぽく感じるほどだ。

Ⅰ 繪巻をみながら 秋山光和
Ⅱ ものがたりのなりたち 藤田經世

文化史懇談会のメンバーは、中村義雄、鈴木敬三、杉山博、家永三郎、井上光貞、宮本常一、武者小路穰、多く者純夫、田中一松、熊谷宣夫、米澤嘉圃、福山敏男、石母田正、そして、藤田經世、秋山光和である。

2-53ページに「信貴山縁起繪巻」が掲載されているが、紙面の制約上見るに耐えるものではない。私はサントリー美術館の図録『国宝 信貴山縁起絵巻』(1999年)のカラーの図で満足している。

読んでいて、絵巻というものを色々と見てきたことが思い出された。「伴大納言絵巻」「鳥獣戯画甲巻」なども素晴らしい。その中でも面白さでは「信貴山縁起縁起」が最右翼だと思っている。

キーワード
#絵巻 #信貴山


2018年12月11日 (火)

『日蓮宗と戦国京都』(2013)

河内将芳『日蓮宗と戦国京都』淡交社、2013年

河内将芳氏はどのような視点で『日蓮宗と戦国京都』を書いたのだろうか。今谷明氏の『天文法華一揆〜武装する町衆』(洋泉社MC新書、2009年)を読んでいるので山門と法華宗の対立を描く以上のことが期待される。

本能寺の変を考えるにあたり、「そもそも信長や信忠は、なぜ本能寺や妙覚寺にいたのであろうか」(P14)という問いに推測以外の答えはないことが予想される。その推測にどこまで蓋然性が高い説得力を与えられるか。

「この時期の京都における法華宗や日蓮宗の歴史をかえりみることなく、その実際に近づくのがむずかしいことはあきらかといえる。本書の目的は、信長の時代をふくめた戦国時代の京都における法華宗や日蓮宗の歴史について、主に古文書や古記録など、できるかぎり当時の人々によって記された史料、すなわち同時代の文献史料でもって歴史を考える歴史学(文献史学)の手法によりみていこうと試みるものである」(P15)。

法華宗や日蓮宗が京都で既存の宗教勢力や世俗権力とどのような関係にあったかをみていくことは、信長の視点を考える際にも重要なことであることは分かる。しかし、テーマの抽象度が上ると結論も抽象的になることが予想され、個々の意思決定の問題との関係を考えるのが難しくなる。

参考文献をちらちら眺めていたら、湯浅治久『戦国仏教ー中世社会と日蓮宗ー』(中公新書、2009年)があった。鎌倉仏教から戦国仏教という視点も興味がある。この本も箱の中に入っているらしく、暮れまでは探せない。Amazonでポチするのを我慢して、本書を読む戦略を立てる。

目次
第一章 題目の巷へ 南北朝・室町時代
第二章 戦国仏教へ 室町時代から戦国時代
第三章 天文法華の乱 戦国時代
第四章 十六本山会合の成立と展開 戦国時代から信長の時代
おわりに 附 本能寺の変と秀吉の時代

目次から判断するに、私の興味によって、おわりにから第四章へ遡るのがよいかとが分かる。

おわりにでは、本能寺の変が扱われるが、この本能寺の変は史料が検討され尽くしているので、最近読んだ『宿所の変遷からみる 信長と京都』(2018年)と変わってはいない。

第四章は先行研究では扱われていなかった『京都十六本山会合用書類』が1982年に発見されたことが大きい。日蓮宗(著者は便宜上、法華宗と日蓮宗を分けずに使っている。日蓮宗を宗祖日蓮の宗教を継承する教団全体の意で使うと断っている。P19)が天文法華の乱の後、その社会的地位を上げ、武装的闘争に訴えずに戦国京都を生き抜いてきたことを活写していた。

本書の趣旨を著者がまとめている。
「これまでの研究では手薄であった、天文法華の乱と安土宗論のあいだにあたる時期の歴史をできるだけ具体的にうきぼりにしていくことをとおして、その前後の時期の歴史をとらえ直すとともに、応仁・文明の乱前後、さらにはその前の室町時代の歴史までみつめ直すことことであったといえる」(P254)。

このようなスケールを考えていたことを改めて読むと、信長が京都の宿所をどこにしたかを調べ上げる研究者の仕事がニッチにしか見えない私のような読書人には分からない世界であるといえる。

キーワード
#京都 #河内将芳 #信長 #秀吉 #日蓮宗 #天文法華の乱 #京都十六本山会合用書類 #戦国仏教





2018年12月10日 (月)

『国宝 信貴山縁起絵巻』(1999)その2

サントリー美術館編『国宝 信貴山縁起絵巻』サントリー美術館・信貴山朝護孫子寺、1999年

さて、信貴山縁起絵巻と信貴山朝護孫子寺とはどのような関係にあるのか。鈴木凰永師(当時、信貴山真言宗管長・総本山朝護孫子寺第百丗二世法主)が「信貴山・朝護孫子寺の歴史と信貴山縁起絵巻」を解説に書いている。

信貴山寺は聖徳太子の時に物部守屋を滅ぼすことに毘沙門天の御利益があり、聖徳太子創建と伝えられている。

信貴山縁起絵巻は信貴山寺の中興の祖というべき命蓮上人のエピソードが三卷で描かれている。第二卷のエピソードでは延喜の世の帝の病気平癒に効があったことが語られ、寺号である朝護孫子寺のいわれにつながるという解説が書かれているが、詞書にはそのような記載がない。信貴山縁起絵巻といっても、信貴山朝護孫子寺のいわれではないのである。

2018年12月 9日 (日)

『国宝 信貴山縁起絵巻』(1999)

サントリー美術館編『国宝 信貴山縁起絵巻』サントリー美術館・信貴山朝護孫子寺、1999年

サントリー創業100周年記念展Ⅳ
特別公開 国宝 信貴山縁起絵巻
会期1999年9月14〜10月24日

国宝 信貴山縁起絵巻はカラーの図録3冊と解説が箱に入っている。
1.山崎長者の巻
2.延喜加持の巻
3.尼公の巻
4.解説

このような図録は見たことがない。流石にサントリー株式会社(現 サントリーホールディングス株式会社)の記念事業に相応しいといえる。

各巻は巻物ではなく、折り畳みされており、巻物を見るような感じでめくることができる。辻惟雄氏が「空飛ぶマジックの鉢 信貴山縁起絵巻を見る」を書いていて、もうこれだけで充分楽しめた。それでも、信貴山朝護孫子寺を訪れたりしたし、絵巻の中身に入っていくために藤田經世、秋山光和『信貴山縁起繪巻』(東京大学出版会、1957年、2011年第2版第2刷)を買い求めたのであった。

2018年12月 8日 (土)

奈良その奥から 一「霞の奥」

奈良その奥から 一「霞の奥」
岡本彰夫『ひととき』2018年11月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「奈良その奥から」という連載を始められた。初回を読み返してタイトルの元となった歌をメモしておきます。幕末・明治の歌人、八田知紀が吉野山の桜を詠んだ歌に岡本彰夫氏は何を共感したのでしょうか。

吉野山 霞の奥は知らねども 見ゆる限りは 桜なりけり

吉野山の上方にかかる霞、下千本、中千本と称する山桜の花で山が埋め尽くされているように見えます。霞の先にも上千本やその奥に桜が咲いているに違いありません。日本の伝統的な絵は雲か霞がかかっていてすべてを見せてはいません。しかし、見えないところも、ないのでなく、あるのが日本のお約束のような世界です。霞が移ろえばそこに桜が見え、今まで見えていたところが霞で見えなくなります。

岡本彰夫氏は「日本人が誇りを取り戻すこと」をテーマにするといっています。これから楽しみが続きます。

2018年12月 7日 (金)

飛鳥資料館

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の奈良」歴史作家の関裕二氏の4回目は「飛鳥資料館」でした。奈良文化財研究所飛鳥資料館には発掘された山田寺東回廊の一部が再現されています。本尊の仏頭は興福寺の国宝館で観ることができます。

プラス1は「山田寺跡」でした。山田寺は蘇我倉山田石川麻呂の発願で創建し明治時代に廃寺となりました。

2018年12月 6日 (木)

『アール・デコの時代』(2005)

海野弘『アール・デコの時代』中公文庫、2005年

アール・デコの時代の音楽を聴いて、本棚の中にアール・デコに関して3冊目があったことに気がついた。やはり、レファレンス図書はCDとまとめて置かないと、間違って買ってしまいかねない。記憶が役に立たないので、この本を記録しておく。気軽にパラパラするのが、休みの読書に相応しい。

書誌情報
『アール・デコの時代』(美術公論社、1985年)を文庫化するにあたり、原稿を一部追加した。




2018年12月 5日 (水)

『宿所の変遷に見る 信長と京都』(2018)その2

河内将芳『宿所の変遷にみる 信長と京都』淡交社、2018年

信長の京都の宿所を永禄十一年(1568年)から天正十年(1582年)まで日にちで追求した本である。太田牛一の『信長公記』などの二次資料を極力使わずに同時代の日記に基づき記述している。マニア御用達の本である。

河内将芳氏は信長と京都の関係は「不幸な関係だったといえば、いいすぎだろうか」(P160)とあとがきにかえてに書いている。宿所からみると、信長は京都に城を構えていない。寺院を宿所にしており、配下にも屋敷を持たせていないという。しかも、洛外や上京を焼き払ったり、京都に住む者にとっては迷惑この上ない存在であった。日蓮宗の寺院が度々宿所となっており、著者の『日蓮宗と戦国京都』(2013年)も内容を忘れていたので、読み返してみたい。

いったい、歴史地理学なるものは好き者であって、読んだからといって何に役立つものでもない。好奇心が刺激されればそれでよくて、新たに知ったことで、また興味が湧くのである。著者の「信長在京表」も決定稿ではないという(P12)。しかし、改めて「信長在京表」を見ると信長は暮れから正月を京都で過ごしていない。天正十年は3日間しか京都にいない。安土城は1日の距離であると思うと油断するのも無理はないと思った。

堀正岳氏の『知的生活の設計』(KADOKAWA、2018年)でいう積み上げが少しはされた分野であるから、読んでいてあそこはどうなっているか、気になるのである。となるとなかなか本も処分が叶わぬわけである。

キーワード
#京都 #河内将芳 #信長

2018年12月 4日 (火)

『宿所の変遷にみる 信長と京都』(2018)

河内将芳『宿所の変遷にみる 信長と京都』淡交社、2018年

河内将芳氏の本はニッチなので楽しい。おかげで、『信長が見た戦国京都』(2010年)、『日蓮宗と戦国京都』(2013年)、『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』(2014年)などを買ったばかりでなく、雑誌まで読んだりした。

河内将芳 「第3章 京の城と信長―なぜ信長は京都に城を構えなかったのか(武家御城―足利義昭御所、旧二条城;信長の宿所)」千田嘉博、下坂守、河内将芳、土平博『城から見た信長』ナカニシヤ出版、2015年

河内将芳「戦国期・豊臣政権期京都の御霊祭ー文禄五年を中心に」日本歴史学会編集『日本歴史 2018年9月号』吉川弘文館、2018年

それでもって、今回の本は、『信長が見た戦国京都』『城から見た信長』の続きに位置する。昔の絵や現地の写真も豊富で楽しい。読めば、次には現地を見に行きたくなる。

キーワード
#京都 #河内将芳 #信長



2018年12月 3日 (月)

奈良その奥から 二「儀式の解読」

奈良その奥から二 「儀式の解読」
岡本彰夫 『ひととき』2018年12月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「春日若宮おん祭り」について『ひととき』2018年12月号に書いていました。この祭礼で神楽などとともに「田楽」が奉納されますが、おん祭りの田楽は世襲となっていて、たとえば「高足(こうそく)という芸は「十文字に組んだ棒に片足を掛けて、袖を大きく上げる。これは元々曲芸の一種で、この棒の上に乗って飛び跳ねるという芸を儀式化したもので」す。「因みにこの姿が豆腐や茄子を串に刺して焼き、味噌をつけて食べる料理に似ていることから、これを「でんがく」と呼んだ」といいます。なるほど味噌田楽の名の由来でしたか。知りませんでした。

ここで岡本彰夫氏は「棒に足を掛けて袖を翻すだけの簡素な芸」について、「もし曲芸の高足に拘っていたならば、熟練したプロにしか、この芸は伝承出来ず、いつしか歴史の波浪に呑み込まれ、その存在すら判らなくなってしまってしただろう。しかしこの芸を儀式化した事により、誰もがこれを行えて、かつての姿を後世に留める事が出来た」と「儀式化」の意味を読み解いています。

2018年12月 2日 (日)

京の年中行事

新幹線に乗るのも久しぶりの気がする。
海側の席にしたので、大磯丘陵や熱海から初島を見たりして、いつしか眠っていた。いつだって名古屋で起こされる。

京都駅についたら、まずはイノダコーヒと行きたいが、まだ、紅葉の時期なので混雑していた。ふたば書房京都駅八条口店で本を探すのはいつものことだ。

地下鉄で烏丸御池で降り亀末廣で上生菓子を買い、御池通りの紅葉を見て二条御幸町の柳櫻園茶舗で抹茶とかりがね玄米茶を買って、お茶屋へ行き、チケットを受け取る。

相方と南座の前で待ち合わせて、中に入る。久しぶりの南座である。當る亥歳 吉例顔見世興行の初日であった。しかし、今年の昼の部はスタート時間が早く10時30分で終わりは16時15分が予定されている。長い。そのとばっちりは夜の部で終わりは21時55分という。終わってから食事どころではない。

昼の部
第一 菅原伝授手習鏡 寺子屋

第二 鳥辺山心中

第三 ぢいさんばあさん

第四 恋飛脚大和往来 新口村

出し物はいつも思うのだが、年の瀬になって暗いものが多い。歌舞伎も心中物を二本も出すことはないだろうにと思う。目出度いで終えたいのが庶民の気持ちだが、興行サイドは違うらしい。

相方がイノダコーヒでビフカツサンドをテイクアウトしてくれたので、幕間のランチはそれをスパークリングワインで食べることになった。テイクアウトはなかなかよいことが分かった。相方はハムサンドである。去年はかじ正さんの弁当だった。取りに行ったりして慌しいので、今回は池波正太郎好みということに誘導したのだった。

昼の部が終わって、16時10分である。
紅葉見物を兼ねて、法然院へ行く予定は変更せざるを得ない。まあ、明日の朝に行けば良いのである。

2018年12月 1日 (土)

110「白餅の効用」千宗室

ひととき 2018年12月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「白餅の効用」というタイトルでした。冬の訪れを庭に来る鳥の行動から知ることが前振りとして書かれてました。冬の長点前(ながてまえ)のため、水分摂取を控えるといいます。そして、朝は小ぶりの丸い餅の白焼きを2、3個で済ますのだそうです。そうやって粗相のないように務める茶道の家元でした。

今年は、お供えの餅がスーパーに並ぶのが早かったと思いました。この町では角が立たぬよう餅は丸いものを良しとするといいます。竹皮もどきの紙で包んだものが、いらぬ湿気が少ないと思っているようです。クリーニング屋のワイシャツもビニールの端を切り取り、シャツがカビ臭くならないように気をつかっているということでした。

2018年11月30日 (金)

宗我座宗我都比古神社

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の奈良」歴史作家の関裕二氏の3回目は「宗我座宗我都比古神社」でした。蘇我氏の始祖を祀った神社です。宗我座宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社とはなかなか読めません。

プラス1は「入鹿神社」でした。蘇我入鹿を祀る神社です。

注)明日香村ではなく橿原市にあります。

2018年11月29日 (木)

2018年11月購入図書

2018年11月購入図書
霜月も足早に過ぎ去ろうとする。今年もあとは師走を残すのみ。読書というままならないものをして世を過ごす。

(購入後記)
8年かけて読んできた『湖底の城』が完結した。もう、こういう読書はないだろうなあ、私の春秋には。

室町時代のマイブームはまだ続いている。

いっとかなあかん店の三都物語は完読した。思うに、食べて飲むという当たり前の行為に幸せがあるのであって、それをインスタントに済ますことに何の意味もない。

教示画について検索すると出てくるのはこの本である。

国木田独歩の『武蔵野』を赤坂憲雄氏がどのように精読したのか。ちょっと気になった。

Lifehacking.jpで1章無料の宣伝に引っかかる。堀正岳氏の文章の上達ぶりに驚く。読みやすい。しかし、『ライフハック大全』のようにkindle版にしておけば良かった。紙では始末に困りそう。


【思想】
エルンスト・ハルニッシュフェガー、松本夏樹訳『バロックの神秘 タイナッハの教示画の世界像』工作舎、1993年

【歴史】
日本史史料研究会監修 平野明夫編『室町幕府全将軍・管領列伝』海星社新書、2018年

【京都】
バッキー井上『いっとかなあかん店 京都』140B、2018年

【知】
堀正岳『知的生活の設計』KADOKAWA、2018年

【文学】
宮城谷昌光『呉越春秋 湖底の城 第9巻』講談社、2018年

赤坂憲雄『武蔵野を読む』岩波新書、2018年

2018年11月28日 (水)

2018年11月購入古書

2018年11月購入古書

だいたい、岩波書店の『図書』は買ったことがない。田村書店で本を買ったついでにもらってきて読むくらいだ。だから、いつも田村書店の印が押されている。神田古本まつりで店内1割引だったので、ワゴンを漁っていないで中の本の背表紙を見ていって、勘で引っこ抜いた。パラフィン紙で背表紙の字など読めやしない。デカルトの本の近くにあったのであたりをつけたわけだ。

哲学者の書簡集なのでカテゴリに困ったが、解題のアンドレ・ブリドゥ氏の「大作家の書簡は常に彼等の著書の最も貴重な註釋である」という発言を受けて、「思想」とした。

谷沢永一氏が「"デカルト論語"の読み方」(1982年)共著『古典の愉しみ』(1983年)収録及び単行本『論より証拠』(1985年)収録の中で、大学生のときに創元社の『デカルト選集』(全6巻)を携えて、瀬戸内海に浮かぶ六島という小さな漁村に、2ヶ月間、籠もったとき、第5巻と第6巻の書簡集を読んで「物の見方、考え方、考えの進め方、その掘り下げ方、それらの根本を、私は、ここから教わったという気がする」と書いていた。

この話は丸山有彦氏のブログで教わったので、去年の神田古本まつりで『古典の愉しみ』(1983年)を手に入れて読んでみた。デカルトの書簡集は『デカルト全書簡集』全8巻が知泉書館から2012年から2016年にかけて刊行されている。しかし、デカルトの自然科学に関する書簡を今更読んでも仕方がない。むしろ、方法論を読み取るためには創元社版がいいのであるが、Amazonにはなかったのであった。

今回、手に入れたデカルトの書簡集は、初版紙型をそのまま使用したという断り書きの紙が挿んであったので、『デカルト選集』と同じ内容と思う。下巻は初版に於る書簡排列の年代的錯誤を訂正したほかは、初版紙型をそのまま使用したとある。いずれも訳者の校閲を得る暇がなくと断り書きに書いてあった。紙質は戦後すぐのため悪い。しかし、何故再版を急いでいたのかは気になるところだが、追求はまたの機会に譲ろう。

そういう訳で、谷沢永一氏が読んだ本と同じ内容ということが分かった。そして、谷沢永一氏が引用した部分を、原典から書き写して、味わうのを朝の日課にしたのだった。自分が使うには孫引きではダメである。

#cafeikkAさんで「団地茶論vol.1」があった時、2階の#甘夏書店さんで『団地の整理学』を買った。「完全なる整理」はないとある。整理も「家事」であるという。勇気づけられる本である。

【思想】
佐藤正彰、川口篤、渡邊一夫譯『哲學叢書 デカルト書簡集(上)』創元社、1940年、1947年第2版

渡邊一夫、河盛好藏、市原豊太譯『哲學叢書 デカルト書簡集(下)』創元社、1940年、1947年第2版

【知】

香住春吾『団地の整理学』中央公論社、1971年再版



2018年11月27日 (火)

『知的生活の設計 10年後の自分を支える83の戦略』(2018)

堀正岳『知的生活の設計 10年後の自分を支える83の戦略』KADOKAWA、2018年

2018年11月22日にLifehacking.jpで堀正岳氏が11月24日発売予定の『知的生活の設計』(KADOKAWA、2018年)の第1章をwebに無料公開していたのを読み、23日には松戸のKUMAZAWAに1日早く並んでいたので堪らず本をゲットして読みました。『ライフハック大全』(2017年)はkindle版で読んだので、kindle版を待てばよいのに、ペーパーバックを買ってしまったのは、好奇心のせいですかね。「知的生活」に反応してしまうのはこのブログの特徴ですね。

1つの戦略は2頁から4頁の軽い内容ですけど、実践に裏打されています。「知的生活」ではなく「知的生活の設計」が著者のポイントです。今まで数字で語る人はいなかった。10年先を見据えて、書籍の数や収納スペースのバランスをとり、自分の好奇心を満足させるライフスタイルを続けられたらいいなと思いました。さっそく、strategy38で紹介されていたscrapboxを使い始めました。新しいことは、若者に学ぶことと考えています。

Evernoteも著者が使い続けているので、私も少し安心しました。もっとも、「万が一Evernoteがなくなった場合でも致命的なダメージを受けないように移行手段についても目を配るようにしています」(P177)とは、慎重ですね。#タグを使って検索性を上げることを考えることにしてみます。Evernoteが少し重くなってきたので、「情報の一時置き場のノートブックと」「価値のある情報が蓄積するノートブック」を明確に分けることを考えないといけなくなったようです。クリッピングを収集するのと、重要なノートを蓄積するのを分けた運用が必要になっていることに気がついたわけです(P135)。サイクルでの振り返りが必要で、置いておくだけではノイズになってしまうのです。使えなければないも同然と割り切るしかありません。

strategy83では10年先を見据えた「パーマネントスキル」(執筆能力や、情報を選別する能力、あるいはロジカルに思考する能力や、膨大な経験からやってくる一般的な知識といった、どこにでも応用可能なスキル)と「アダプティブスキル」(時代とともに技術や流行が変化したとしても適用させることが可能な動画編集の技能やプログラミング言語など)に自分自身のフィルターを通して得た情報の蓄積を掛け合わせたたった一つの世界観が紹介されて終わります。

スキル×情報=自分だけの世界

「団地茶論vol.1」で団地マニアの活動を知ったことも刺激になりました。15年も団地を追いかけていれば専門家です。居酒屋で独り飲みながら、このあとの人生を考えてみたい。研究所に行けば本を読んでしまうに違いないので、サードプレイスが必要になるのでした。

#知的生活の設計




注)梅棹忠夫『知的生産の技術』、渡部昇一『知的生活の方法』『知的生活の方法<続>』の時代と異なり情報のインプットが本やTV等だけではなくなり、アナログとデジタルを扱い、夫婦共稼ぎの生活設計を想定するのが現代風です。

2018年11月26日 (月)

武蔵野雑感

国木田独歩『武蔵野』青空文庫、1998年、2004年修正版

国木田独歩の『武蔵野』を読むのは決まって秋の深まった空が高く見える頃だ。この短い文章を高校生の頃に岩波文庫で読んで野火止に行ったのが武蔵野を歩いた最初だった。平林寺辺りの景色も今では変わっているだろうことは想像に難くない。

読み飛ばしていたが、源平の闘いが小手指原・久米川であったことから記述は始まっている。新田義貞が鎌倉方と戦った古戦場である。中世史を読んできた身としては、この記述が後に展開しないのが気になった。鎌倉道についても国木田独歩は言及していない。

ツルゲーネフ著、二葉亭四迷訳の「あいびき」の冒頭の一節を長々と引用して、雑木林の美を展開したのが国木田独歩の取り柄である。『武蔵野』は今更読んでも仕方がない小品であるが、当時読んでいた村野四郎編『西脇順三郎詩集』(新潮文庫、1965年)に武蔵野が出てきたのがあって、それで行って来る気になったのを思い出した。

武蔵野を歩いてゐたあの頃
秋が来る度に
黄色い古さびた溜息の
くぬぎの葉をふむその音を
明日のちぎりと
昔のことを憶ふ

(『旅人かへらず』44番)

国木田独歩の『武蔵野』へのオマージュとも思える。
私は西脇順三郎の『旅人かへらず』に言及していない赤坂憲雄氏の『武蔵野を読む』(岩波新書、2018年)には少し不満である。

注)馬酔木の花が咲く頃になると堀辰雄の『大和路・信濃路』を読みたくなる。「浄瑠璃寺の春」で寺の娘が柿の木の自慢をしていて、秋に来ることを進めるくだりが思い出された。年中行事は楽しい。私も京の年中行事は好きだ。大晦日にTennsonの詩を朗読するのもなんとなく続けている。山で年越した日々が懐かしい。風が木々を揺さぶる音を聴きながら、いつか眠りにつく日まで。

2018年11月25日 (日)

『The ART DECO music collection』(2003)CD3

The ART DECO music collection、River Records、2003年

CD3 FALLING IN LOVE AGAIN
sophisicated songs from European cabaret

MARLENE DIETRICHのFalling In Love Againから始まる20曲、61分9秒。

JOSEPHINE BAKERなどほとんど聴いたことのない曲にもかかわらず、大戦間の時代の映画の中でかかっていても違和感がないほどの雰囲気がある。

これで眠れなければ薬に頼るしかない。

2018年11月24日 (土)

『The ART DECO music collection』(2003)CD2

The ART DECO music collection、River Records、2003年

CD2 TOP HAT AND TAILS
Songs and dance from the stars of Silver Screen

FRED ASTAIREのPuttin' On The Ritzから始める21曲で61分58秒だ。FRED ASTAIREの歌が8曲もある。

TOP HATの時代だね。眠くなる。

2018年11月23日 (金)

『The ART DECO music collection』(2003)

The ART DECO music collection、River Records、2003

VICTORIA AND ALBERT MUSEUM LONDONの箱書からしてV&Aのshopで売っていたCDであることに間違いない。どこの展覧会で手に入れたかは忘れてしまった。取り敢えず封を切る。

ART DECOの時代は1920sである。米国の禁酒法時代(Prohibition)は1920年〜1933年と重なっている。この時代の音楽のコンピレーションを3枚のCD にしている。

CD1はCOTTON CLUB STOMP - great jazz from New York and the Cotton Club
DUKE ELINGTONのcotton club stompに始まる20曲が詰まって62分2秒だ。

酒がでないクラブでどうやって楽しんだのだろうか。jazzの演奏だけでなく、お酒も出ていたことは、TVドラマでもいくつかのシーンの記憶がある。密造酒の樽を壊すシーンなど派手だった。大戦間の時代でもあった。

The UntouchablesをTVで観ていた世代には酒の密造で儲けるアル・カポネをエリオット・ネスが追いつめる物語だったと記憶している。何故、禁酒法が米国で成立したかについては理解していなかった。これはいつか調べてみようと思っている。今回はこの時代に流行していた音楽を聴くことにする。最初はjazzだ。この時代のサウンドの特色だろうか、jazzの単調なリズムが眠気を誘うのだ。これを聴いて毎日眠ることにする。



2018年11月22日 (木)

笠置寺

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の奈良」歴史作家の関裕二氏の2回目は「笠置寺」でした。笠置寺の正月堂で修正会を行い、その1ヶ月後に東大寺二月堂でも同様の行法が行われ、それが、今に続く「お水取り」だと関裕二氏がいっています。

プラス1は「後醍醐天皇行在所跡」でした。元弘の乱で笠置寺に篭った後醍醐天皇の行在所は焼けてしまいました。その時、磨崖仏も表面が焼けて剥離しました。

注)笠置寺は京都府相楽郡笠置町にあるので、地図上は京都なのですが、奈良県との県境にある浄瑠璃寺も含め木津川の上流は奈良の文化圏になっています。東大寺大仏殿建立のための物質を木津川で運んだのでした。

2018年11月21日 (水)

『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』(2013)

堀米庸三『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』中公文庫、2013年

ヨーロッパを考えるにはキリスト教による中世というものをどう考えるかという問題を扱わなけばならなくなる。『バロックの神秘』で書かれたドイツ三十年戦争の後の世界がどのような歴史の流れの中で生じたのかについては、遡って、正統と異端についてから考えてみることにしたい。答えはここにないかもしれないが、デカルトの精神を考える上でもヒントになるのではないかと考えている。

書誌情報
『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』(中公新書、1964年)を文庫化したもの

目次
まえがき
Ⅰ 問題への出発
Ⅱ 論争
Ⅲ 問題への回帰
解説 樺山紘一

解説を読むのは2度目になるが、問題意識があるので、ポイントはつかめた。解説を読み、はじめにを読むと、流石に記憶が蘇ってきた。堀米庸三のはじめにの文章に比べ樺山紘一氏の文章は力みがある。

樺山紘一氏は読後の意外感を二つ挙げている。
第一の意外感
「おもに取りあげられるのが、十一世紀から十二世紀にかけて、グレゴリウス改革にともなって表面化する正統と異端の問題であること。ふうつに理解される中世キリスト教異端ではない。一般的に想起されるのは、カタリ派やワイド派であろう」(P265)。
第二の意外感
「そのグレゴリウス改革が、(省略)、教会の粛清と改革をかかげ、ローマ法王権の圧倒的優位を実現させた。「カノッサの屈辱」(1077年)を表徴とする法王・教会の権力と権威の確立こそが、グレゴリウス改革の主要モチーフであろうから。しかし、そうだとすれば、いったい「正統と異端」問題は、そのなかのどこに位置するのであろうか」(P266)。

そもそも「正統」と「異端」という概念は一般に受け取られているような遣い方ではないことに注意する必要がある。

樺山紘一氏は秘蹟に関する主観主義・人効論(秘蹟という名で表現される洗礼や叙品などは、それを施す人物の値打ちのゆえに有効に機能する・執行者重視論)と客観主義・事効論(秘蹟を与えた人物が誰であれ、それが公式の規則に従って行われたのなら有効・聖務重視論)を説明したうえで、中世キリスト教会は客観主義こそが正統な立場であり、人効論は異端であったという。「じつは、グレゴリウス改革は、秘蹟についての異端ぎりぎりの人効論を楯として、教会の粛清と改革を推進した」(P268)。

そして、「正統と異端という視点を、グレゴリウス改革からイノセント三世にいたるほぼ一世紀半のなかにすえてみるとき、中世カトリック教会をおおう巨大なダイナミズムが姿を現わす。教義上の疑点をあえて冒しつつも、教会改革のエネルギーに訴えて、それを現実上の運営にまで展開させること。逸脱にすら向かいうるこのエネルギーこそ、教会とその改革をささえ、信徒たちを覚醒し、行動にいざなう力の源泉であった。それは、正統の立場を踏みはずし、ほとんど異端の際にまで立ちいたったけれども、それゆえにこそ、逸脱に瀕した「異端」者たちを教会内に回収しえた。それは、あまりに鮮烈なダイナミズムと形容したいものだ。このような観察として本書を読むとき、わたしたちは、冒頭にかかげた二重の意外感をすっきりと解消することができるように思われる」(P269-270)。




2018年11月20日 (火)

『東山魁夷 唐招提寺御影堂 和上に捧げた障壁画のすべて』(2005)

『東山魁夷 唐招提寺御影堂 和上に捧げた障壁画のすべて』凸版印刷、2005年
DVD、20分

以前のDVDを観て、唐招提寺御影堂に行った日々を回想している。

山川異域
風月同天
奇諸仏子
共結来縁

長屋王が唐の僧侶に贈った袈裟に刺繍されていた詩である。この言葉に鑑真和上はいたく感動し、日本に渡る決意をしたという。

唐招提寺は鑑真和上により創建された。私が、唐招提寺の御影堂を訪れたのは鑑真和上の命日である6月6日の前後の3日間の開山忌の時であった。国宝鑑真和上坐像のレプリカが造られる前だった。門を潜ってからしばらく並んで、御影堂に上がっても、縁側から外を見ていた。「濤声」が描かれた寝殿の間に入ると、松の間からが厨子が移されていて、間近に厨子から出られた鑑真和上坐像と厨子の扉絵「瑞光」を拝見できた。「濤声」の16面の群青の障壁画に圧倒された。一段高い上段の間に「山雲」があり、第一期は群青の世界だった。桜の間に「黄山暁雲」、松の間に「揚州薫風」、梅の間に「桂林月宵」と水墨画が第二期の奉納である。墨の滲むのを嫌った東山魁夷の工夫は「美の巨人たち」東山魁夷「唐招提寺御影堂第二期障壁画」(平成30年11月10日)で解説されていた。

「生誕110年 東山魁夷展」が京都国立近代美術館に続いて国立新美術館で開催されている。2018年10月24日(水)〜12月3(月)



2018年11月19日 (月)

土居市太郎名誉名人の『必死と詰将棋』(1958)

土居市太郎『必死と詰将棋』大阪屋號書店、1958年

奥付を見ると、定価80円、地方定価85円とあった。将棋ポケット文庫の中身は必死問題70題、詰将棋60題である。200頁の中でのやりくりを想像してもらえると面白い。必死問題は1問で解答合わせて2頁、詰将棋問題は2問で2頁と窮屈になっている。

それでもって、問題は易しいかというと、そんなことはなく、私でも初見ではなかなか解けない。必死問題は、可能性のある手を全て読む必要があるので、難しいところがある。詰将棋問題も5手詰の易しいのから、27手詰まであり、自力で解ければ有段者の実力はあると思われた。

土居市太郎名誉名人のはしがきを読む。

「本書は極く初心の方にも判る様に、最も基礎的な問題七十題を系統的に解説し、一問毎に棋力向上に資する様努力を傾注した。
後編の詰将棋も初心型六十題を撰び、終盤の實力養成に遺憾なからしめたが、尚進んで研究される方には拙書「詰将棋ポケット虎の巻」「最新詰将棋讀本」の並讀を願って置く」。

初心という言葉の意味は深い。

注)難易度は個人的な感想であるので、参考程度にしかならない。プロの作る図はアマチュアの詰将棋作家が作るものより解き易いと感じるのは、教えるべき基礎を考えて余計な枝葉は切り落としているからであろうか。

注)「必死」か「必至」か。
今の本は「必至」とする場合がほとんどだ。自分の中では、次に必ず詰む場合は、「必至」にしている。プロも問題を出す場合は「必至」と使うことが多い。「必死」問題には、玉方の応手により次の手で即詰みにならないものもあるが、「詰めろ」を逃れられないため「必死」といっている。これは、手筋を教示するためのものであり、すっきりした問題にはならないが、勝つためには覚えておくべき知識となる。




2018年11月18日 (日)

『室町幕府全将軍・管領列伝』(2018)

日本史史料研究会監修 平野明夫編『室町幕府全将軍・管領列伝』海星社新書、2018年

542頁もある新書を立たせて写真を撮ってTwitterに載せたのがタイムラインに流れたのは、執筆者の一人である亀田俊和氏がリツイートしまくっていたせいだった。

室町幕府の成立時期にも議論がある。そういうところから、室町時代を知る必要がある。室町時代の人物を扱った歴史書を何冊か読んできたが、そういう話は出ていなかった。鎌倉幕府の成立は歴史の教科書でも話題になったのは覚えている。室町幕府も同じことだったのだ。すると、幕府の成立と時代呼称の関係はどうなのかという議論もあって良いと思うが、細かい詮索は無用だろう。

鎌倉時代が鎌倉幕府滅亡の1333年で終わって、建武の新政が1334年から1335年、室町時代は1336年から1573年と習った。建武三年(1336年)十一月に『建武式目』が制定され、足利政権が成立したとされる時期から、十五代足利義昭が信長に攻められ京都を退去して政権としての室町幕府が滅亡するまでを室町時代という。その後も足利義昭は征夷大将軍であり続け備後の鞆で幕府を開いているが、もはや政権と呼ぶ状態ではない。足利尊氏が征夷大将軍に就任したのは暦応元年(1338年)八月である。源頼朝が征夷大将軍になる前に鎌倉幕府が成立したとみる歴史学会からみれば当然のことだろう。幕府が成立しても南北朝の抗争は続いていたので、南北朝時代という区分も重なっている。時代区分論はどこまでいっても議論は尽きない。

本書を編集した平野明夫氏が総論の最後で、「室町幕府は、管領を軸とした政権であった。ところが、これまで管領全員の伝記は皆無であった。本書で、将軍に加えて、管領を取り上げたのは、室町幕府における管領の重要性に鑑みた上に、これまでの状況を考慮したものである。本書が、室町幕府を見る基礎となることを祈念する」(P13)と書いていた。本書の的確な価値提示である。

残念なのが足利直義である。兄尊氏の項で扱われ将軍となっていないので立項がされていない。



新書も厚いが文庫も厚い(^。^)

2018年11月17日 (土)

『森有正 感覚のめざすもの』(1980)

辻邦生『森有正 感覚のめざすもの』筑摩書房、1980年

三部構成になっいて、第一部 の「森先生のこと」は思い出を語っていて、第二部の「森有正論」への入口をなしている。第二部のうち『経験と思想』の解題はすでに読み返した。問題はすっかり忘れていたが、第三部の「ある試みの終わり」は、森有正論というよりは、吉田健一論になっていたのだった。森有正(1911-1976)と吉田健一(1912-1977)は同時代を生きていた。森有正が「経験」や「変貌」を考え、晩年の吉田健一が「時間」や「変化」を書いていたことの根底に、西洋との対峙がある。

辻邦生の「パリの秋 日本の秋」では吉田健一がエリオット・ポオルについて書いた文章を『思ひ出すままに』(1977年)より引用して、西洋と日本を対峙する意味を書いている。

辻邦生は「森さんが晩年に近いある時期、自分から何か憑きものが落ちて、昔からあった自分に立ち戻る経験を書いている」という。そして、吉田健一の『時間』(1976年)や『変化』(1977年)を語るなかで「われわれが変化なり時間なりを忘れるとき、自分を喪っているからであって、時間のなかを生き、変化を感じるということが、吉田さんにとっては自分を取戻し、自分の「暮し」を楽しむことであった」というのはほとんど同じことを言っていると思う。

簡単にヨーロッパに行き来できる世代は、この世代の西洋との対峙の苦闘を知ることもない。



2018年11月16日 (金)

東大寺ミュージアム

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の奈良」歴史作家の関裕二氏の1回目は「東大寺ミュージアム」でした。2011年10月にオープンしたときから何回か行きました。国宝の金堂八角燈籠火袋羽目板がいいですね。

プラス1は「龍美堂」でした。東大寺二月堂の南隣にある甘味処です。ここでお茶して、行法味噌を土産に買うことが楽しみでした。

2018年11月15日 (木)

2018年11月書籍往来

2018年11月書籍往来

森有正を読み始めるとすぐに辻邦生にぶつかった。そこで、辻邦生のまとまった森有正論を読み返そうと思う。だいぶ前なので忘れていたことばかりだが、最近読んだ解題も内容がうろ覚えだった。読書とはそんなに儚い行為なのか。

【思想】
辻邦生『森有正 感覚のめざすもの』筑摩書房、1980年

2018年11月14日 (水)

『バロックの神秘 タイナッハの教示画の世界像』(1993)を垣間見る

エルンスト・ハルニッシュフェガー、松本夏樹訳『バロックの神秘 タイナッハの教示画の世界像』工作舎、1993年

翻訳者の松本夏樹氏のお話を聴く会があった。まあ、こんなこと企画するのは、Le Petit Parisienの石川氏くらいしかない。

僅か2メートルほどの教示画の翼扉の表と裏、そして主画面に描かれたキリスト教世界の絵解きが2時間経っても終わる気がしない。松本夏樹氏にスライドで一通り見せていただいたが、解説がないままに、庭の植物や鉱物、レリーフなどが映されていく。

扉絵に、天上で待つキリストに祝福される人々の魂が雲の上に何段も列をなしているのが、女性であることが印象的であった。ドイツ三十年戦争は、戦争で男達が死んでいない世界をもたらし、女性が中心となって生きていく世界を作ったのだろうか。

主画面の旧約聖書と新訳聖書の世界が左右に配置され、定規とコンパスで計算された幾何学的構成のなかに配置された人物、動物や植物の数々、中心となるマリアの真珠、一つ一つを読み解いていくためには、聖書の知識以外にキリスト教カバラ、錬金術など足りないことばかりだ。



2018年11月13日 (火)

たまには落語もいい

すみだ向島亭の落語会に出かけ、Hoegaardenを飲みながら二つ目さんの落語を聴く。

顔見世なので演目は3つであったが、敢えて演題は出していない。演題が分かると面白味が減ることもある。落語ファンならどこかで聴いたことがある話だ。

1.柳家こもん 「つる」もちろん江戸版
2.桃月庵こはく「 お見立て」 もちろん別題の「墓違い」では面白くない。
3.柳家こもん 「蜘蛛駕籠」

柳家こもんさんは柳家小里ん師匠のお弟子さんで、5代目柳家小さん師匠からみて孫弟子にあたる。

桃月庵こはくさんは桃月庵白酒のお弟子さんで、五街道雲助師匠の孫弟子にあたる。

これから、2人が月に1回づつの落語会を1年やるという。

次回以降
平成30年11月18日(日)14時〜
於:向じま ぜんや
席料:1,500円
柳家こもん 「死神」他

平成30年12月02(日)14時〜
桃月庵こはく 「湯屋番」他

2018年11月12日 (月)

『愛読の方法』(2018)

前田英樹『愛読の方法』ちくま新書、2018年

めくっていったら、デカルト『方法序説』(1637年)、吉川幸次郎『読書の学』(1975年)や「最上至極宇宙第一」の本の話が出てくる。そうなると買わざるを得ない。

前田英樹氏は本とは何であったかという根本を問う

プラトンの『パイドロス』から始める。

前田英樹氏はソクラテスの「問答法」のなかに言葉の力と理想を見出す。

「自分自身にみならず、これを植えつけた人をもたすけるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ばぬままに枯れてしまうことなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また、新たなる言葉が新たなる心の中に生まれ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。そして、このような言葉を身につけている人は、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである」(藤沢令夫訳『パイドロス』岩波文庫 P170、277A)。

前田英樹氏は「ほんとうに教え、学ばれる言葉は、生身の人間の、その口から出る言葉のなかにしかない、というのがプラトンの動じない信念なのだ。」(P021)という。

ここには「私たち人間種は、独りでいる時でも、自分に向かって、心の声で話し続けている。私たちの意識、言い換えると、「精神」は、言語という時間から、それが創り出す意味の振動から、決して離れて生きることができない」(P027)。

にもかかわらず、文字に書かれた言葉は、動かない。

中島敦の「文字禍」を読んでもここまで読み取れない

文字禍とは、読んで字のごとく文字がもたらす「禍(わざわい)」のことを指す。「文字禍」は文字という道具をについてのイロニーを含んだ寓話だが、文字への批判がある。

「言葉は、話されることにあるのでも、書かれることにあるのでもない。言葉だけの領域で運動している。その運動が、話し手と聴き手とを交互に創り出す。いや、話している者も、自身が話す言葉の聴き手なのだから、話すこと、聴くことは、いつも同時に成り立つ運動なのだと言える。それが動物のなかに人間を、意味を求めてやまない人間を創り出している。<物>だけの世界にはない、<意味>という類例のない運動を求めて生きる不思議な動物を、である。この事実を、文字は巧妙に、時には、ほとんど狡猾に隠す。そのことが、どれだけ人間を損なうか。文字に対して最もふかくから為される批判は、どこで、いつ為されようと、このことを撞いている」( P039)。

「私たちが恐るべき「文字禍」から救われる道は、愛読という行為にある」(P047)。

「書かれたものには、愛読という行為が成り立つのだ」(P047)。




2018年11月11日 (日)

東都手帖2018年12月【編集中】

2018年12月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

とうとう師走を意識しなければならなくなった。年は暮れゆき、新たな始まりを待っている。今年の計画を実績と比較して、来年の計画を用意する。精神にも当然に限界があり、一年の使い方は人生そのものだ。

ルーベンス展 バロックの誕生 国立西洋美術館 2018年10月16日(火)〜2019年1月20日(日)

天文学と印刷 印刷博物館 2018年10月20日(土)〜2019年1月20日(日)

歳の市(羽子板市)浅草浅草寺 2018年12月17日(月)〜19日(水)

たまには、佐倉まで。

日本の中世文書ー機能と形と国際比較ー 国立歴史民俗博物館 2018年10月16日(火)〜12月9日(日)

2018年11月10日 (土)

四都手帖2018年12月【編集中】

2018年12月の私的な愉しみと記憶

師走の頃、親しい人と会話する午後の時間は風のように舞って過ぎ去っていっく。下世話な話から、技術の話まで、笑いと話題は尽きないけど、終わりは知っている。

一年の贖罪をしたり、花街に足を向ければ、年中行事の季節になったのだなと思う。忘年会で繰り返される挨拶も時間が経っていくことを知らせてくれる。「過ぎゆく時間こそ最高の肴である」と人が云う。来年は来年さ。また、来年。

【古都】
雨月陶齋 作品展 法然院 2018年11月26日(月)〜12月2日(日)9時から16時半、最終日は16時まで。

當る亥歳 吉例顔見世興行 京都四条南座 2018年12月1日(土)〜26日(水)

空也踊躍念仏 六波羅蜜寺 2018年12月13日(火)〜31日(土)16時頃、31日は非公開、以前の記憶はこれだ。モーダナンマイトー

かぼちゃ供養 矢田寺 2018年12月23日(日)10時から、並ぶのは必至。

『いっとかなあかん店 京都』も出版されたことだし、ゴキゲンに飲んで「もうあかん」とかいってみたい。

【湖都】
滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。2019年3月31まで展示予定はないという。

本尊大開張 櫟野寺 2018年10月6日(土)から12月9日(日)秘仏十一面観世音菩薩坐像を2016年9月に東京の国立博物館で観たとき、33年に一度の大開張の予告があったのを覚えている。ついにその時が来た。

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櫟野寺の大観音

【旧都】
若宮おん祭 春日大社 2018年12月15(土)〜18日(火)
2018年12月17日(月)の深夜の遷幸の儀から1日間がメイン。

【水都】
今年は、水都のバーに何故か縁がなかった。
ルーブル美術館展 大阪市立美術館 2018年9月22日(土)〜2019年1月14日(月)

2018年11月 9日 (金)

南禅院

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の京都」美術家の横尾忠則氏の4回目は「南禅院」でした。横尾忠則氏は南禅寺の三門でなく、南禅寺の庭が絶景とのことです。池泉回遊式庭園の池から方丈を眺めています。日向大神宮から山道を行き、鐘楼を通り水路閣へ降りたことがありますが、そこが南禅院の庭園で、紅葉が池に映えていました。

プラス1は「光雲寺」でした。南禅寺禅センターです。特別公開のときに庭園を眺めた記憶があります。こちらは借景です。

2018年11月 8日 (木)

『いっとかなあかん店 京都』(2018)

バッキー井上『いっとかなあかん店 京都』140B、2018年

出ると思っていたけど、意外に早く出た。手にとって、「喜幸」から始まっているのをみて、現在、バッキー井上氏が最高と考えている店が分かろうと言うものだ。ミシュランガイドがいっとかなあかん店とならないところがいい。そういう店はガイドブック片手の観光客に任せておけばいい。ごきげんなお店にまで入ってきてもらっても困る。

読んでいくと、なぜか、行ったことのある店が多い。それもそのはず、バッキー井上氏の140Bの記事を読んで出かけていたのだった。この本もDancyuで読んだ話が多くてその意味で新鮮さはないけど、懐かしさに十分浸れるのは間違いない。そして、橙など載っていない店を寂しく思うのだった。

また、「喜幸」に行きたくなった。川魚を揚げてもらってちびちび飲む酒が冬の宿題だった。喜ぶに幸せと書いて「きいこ」と読むと書いてあったので読み方は確定した。



2018年11月 7日 (水)

『バテレンの世紀』(2017)

渡辺京二『バテレンの世紀』新潮社、2017年

あとがきで渡辺京二氏が読者の催促でザビエルを日本に上陸させた経緯が書いてあり、「ちょうどスペイン・ポルトガルのモルッカ諸島争奪戦を書こうとしていたところだったが、それを省いて急遽ザビエルを日本に上陸させることにした。これは今も心残りになっているのだが、モルッカについては生田滋さんの『大航海時代とモルッカ諸島』(中公新書)を読んでほしい。ポルトガルのアジア進出史中でもとび切り面白い」という。

こんなお勧めを無視するわけにはいかない。

生田滋『大航海時代とモルッカ諸島』中公新書、1998年

2018年11月 6日 (火)

『哲学講義』(2012)

アラン、中村雄二郎訳『哲学講義』白水iクラシックス、2012年

本書は『アラン著作集1 思索と行動のために』(白水社、1981年)を改題し、一部改訂したとある。
底本は Élements et philosophie, Editions Gallimard, Paris, 1941.
前田英樹氏が解説「哲学講義」に寄せてを書いている。

アランの序論を読むと、哲学は「欲望や野心や恐れや悔恨を規制するための、善と悪とに関する正確な評価を意味する」。そして、「哲学がつねに倫理的もしくは道徳的な学説をめざしていること、そしてまた、哲学が各人の判断の上にただ賢者の忠告のみ助けとして築かれることが、わかろうというものである」と書かれている。

リセの哲学授業がこの本だったりすると、何とも楽しいだろうと思う。

2018年11月 5日 (月)

『論より証拠』(1985)その2

谷沢永一『論より証拠』潮出版社、1985年第2刷

谷沢永一が「"虚学"の醍醐味」で福澤諭吉の「実学」に対する対照語として「虚学」を書いていた。

「実学」は福澤諭吉が『學問のすゝめ』(1872年)の初編の有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。」の次のパラグラフに登場する。長いが引用する。

「学問とは、唯むづかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を云うにあらず。これ等の文学も自から人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すようさまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者も少く、和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、其子の学問に出精するを見て、やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟其学問の実に遠くして日用の間に合はぬ証拠なり。されば今斯る実なき学問は先次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬へば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱等を心得、尚又進で学ぶべき箇条は甚多し。地理学とは日本国中は勿論世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、其働を知る学問なり。歴史とは年代記のくはしき者にて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。脩身学とは身の行を脩め人に交わり此世を渡るべき天然の道理を述たるものなり。是等の学問をするに、何れも西洋の飜訳書を取調べ、大抵の事は日本の仮名にて用を便じ、或は年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押へ、其事に就き其物に従ひ、近く物事の道理を求て今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、皆悉くたしなむべき心得なれば、此心得ありて後に士農工商各其分を尽し銘々の家業を営み、身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり」(石田雄編『近代日本思想大系2 福沢諭吉集』(筑摩書房、1975年))。

改めて、「実学」について福澤諭吉の言っている範囲が広いことが分かった。

谷沢永一は福澤諭吉の「実学」で日本はやってきたという。「実学至上主義」である。しかし、社会が変わり、フラット化してくれば、対人関係も命令するだけでは上手くいかない。人財育成は人を見る目を養う必要がある。大量生産ラインに従事する人には同じ職能ということで説明が不要だったが、職能が複雑化すれば説明が必要になる。「実学」は「虚学」とセットでなければ十分機能しなくなるという。

「福澤諭吉が提唱したところの「実学」は、すぐに明日から間にあうような技術についての学問である。とするならば、そうした「実学」を身につけることを円滑にするような、そしてその人物の「貫禄」を高めるようなもう一つ別の学問、別の教養、別の栄養が必要となるであろう」(P19)。それを「虚学」というわけである。

昨今の、人文系学部が不要という議論も、経済界が「実学至上主義」という伝統なるものを引きずっているということだろう。米国と違い、日本は国内だけではやっていけない。海外に出ていけば、文化も法律も人間性も異なるところで勝負していかなければならない。尊敬されなければ相手にされないところで、「実学」でやれるのは単なるワーカーである。

谷沢永一が「実学」を支える「虚学」の裏付けを5ヶ条挙げている。いつものように本を読む効用を言っているのに過ぎないのであるが、勘所が分かって読むのとそうでないのとでは「其有様雲と泥との相違あるに似たる」と福澤諭吉に言われてしまいそうである。

第一条 歴史物語に着目する。
第二条 人間性を知ること。
第三条 推理小説を読むこと。
第四条 日本人の感受性を知ること。
第五条 自分のひいきの作家、ライターを持つこと。

2018年11月 4日 (日)

『呉越春秋 湖底の城 第9巻』(2018)

宮城谷昌光『呉越春秋 湖底の城 第9巻』講談社、2018年

完結!

毎年のように読んできた日々が20年を超えた。山から下りてから、宮城谷昌光氏の本にどんなに慰められたことか。それにしても宮城谷昌光氏が描いてきた登場人物は何と魅力的なことだろう。『晏嬰』のなかで活躍する晏嬰の父晏弱。『孟嘗君』の風洪(のちの白圭)。『楽毅』では中山国を望見する武霊王。そして『湖底の城』では范蠡の引き立て役になった感のある伍子胥。この9巻本の7巻に范蠡が登場するまで、伍子胥が主役だと思っていた。しかし、ここまで、主役が登場しなかったのは見たことがない。あとがきに宮城谷昌光氏が書いているのを読んで小説の構想というものの妙味を感じた。しかし、湖底の城というタイトルはここまで来ないと分からなかった。10巻まで行くと思ったが、『小説現代』が休刊するために、急に終わってしまった感が強いが、後味は悪くない。



2018年11月 3日 (土)

霜月の頃

霜月の頃、公園に木枯らしが吹いた。木の葉が光り、青空が枝の間に覗く。つかの間の休憩がこころを伸びやかにし、また、歩みを進めさせる。



2018年秋 とらや赤坂店の新装開店記念パッケージのスケッチは新店舗を設計した内藤廣氏だった。



2018年11月 2日 (金)

『パイドロス』(1967)

プラトン、藤沢令夫訳『パイドロス』岩波文庫、1967年、2016年第63刷

『パイドロス』とはパイドロスという青年とソクラテスとのアテナイの郊外の泉の辺にあるプラタナスの木陰での夏の日の対話である。プラトンはソクラテスに「ディアレクティケー」を実践させてみせた。

パイドロスが弁論術家のリュシアスの書いた作品をソクラテスに読んで聴かせる。テーマは「恋」(エロース)であるが、「一人の男が美少年に言い寄るのに、ひとは「自分を恋している者よりも恋していない者にこそむしろ身をまかせるべきである」と主張」(P242 解説)するパラドクシカルなものであった。これに対し、ソクラテスはこのテーマをもっと上手に扱えるとして物語をパイドロスに聴かせる。そして、エロースに対する冒瀆の恐れから、エロースを賛美する主張で反対の結論を導いてみせる。

このパラドクシカルな物語のなかで、ソクラテスはエロースというある種の狂気や魂の不死を語った。

「弁論術」への批判がテーマであるが、「恋を主題として宇宙的規模において展開される、人間の魂の遍歴の物語なのである」(P245)と解説で藤沢令夫は上手に要約している。

「「弁論術」の技術の基本的条件として要請される、真実の追求」(P252)は「ディアレクティケー」によってこそ達成させる。

そして最後に、ものを書くことの意義と限界が論じられる部分(P161以下、省略)まで来たとき、前田英樹氏の『愛読の方法』(2018年)で引用されたフレーズが出てきた。




2018年11月 1日 (木)

平等院

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の京都」美術家の横尾忠則氏の3回目は「平等院」でした。横尾忠則氏は平等院鳳凰堂の切手(昭和25年)を大事にしているそうです。それにしても池に映った鳳凰堂の姿は絵になりますね。この鳳凰堂の丈六の阿弥陀様を拝観するために池の側の切符売場に並んだことが思い出されます。

プラス1は「平等院ミュージアム鳳翔館」でした。ここで売っている平等院の消しゴムがお土産に人気とか。

注)鳳凰堂の内部が修理中です。拝観を予定する場合は事前にホームページ等で確認することをお勧めします。
2018年4月2日(月)~2019年12月上旬(予定)

2018年10月31日 (水)

2018年10月購入図書

2018年10月購入図書
10月27日から読書週間が始まる。

(購入後記)
この手の言葉に惹かれて彷徨う読書人の一人として、いつだってより良い方法を模索しているのだ。しかし、自分に合わない方法は長続きしない。私の場合、飽き易い性格のため、何事も成功は期待できない。それでも、好奇心が刺激されることではある。

上野千鶴子氏の『情報生産者になる』は知的生産の技術に関心のある私としては無視し得ない。もっとも、上野氏の他の著作には興味はない。

谷川多佳子氏の訳したデカルトの『方法序説』を読んだあと、他の岩波現代文庫の精読シリーズと同じかと思って買ってきたのだが、これは、講演を基にした分かりやすいガイドであった。

大学の教員を定年退職した著者はどこまで制約なく語れるというのであろうか。私のブログでも制約があり、書きたいことは私家版に書くことにしている。お茶屋とか料亭での話は表へ出せないし、男女の話も書けない。本に付いてもあからさまな批判はしていない。というか値しないものは載せていない。出版に伴う制約というものは免れないのではないかと疑うのは健全な批判精神だと思う。

京都モーニング事情を愉しみにしているものとしては、モーニングの話となれば買わざるを得ない。しかし、この本の取材に10年かかっているとは。

『パイドロス』は小林秀雄の講演CDを聴いて、読みたくなった。そして、前田英樹氏の『愛読の方法』を読んで、納得して購入した。

【思想】
谷川多佳子『デカルト『方法序説』を読む』岩波現代文庫、2014年、2017年第2刷

プラトン、藤沢令夫訳『パイドロス』岩波文庫、1967年、2016年第63刷

【知】
上野千鶴子『情報生産者になる』ちくま新書、2018年

前田英樹『愛読の方法』ちくま新書、2018年

【京都】
大貫まひろ編『気になる京都4 あの店・あの場所』風の駅・風の駅文庫、2018年

2018年10月30日 (火)

2018年10月購入古書

2018年10月購入古書
神無月の頃、神田の古書店街で神田古本まつりが開かれる。毎年見に行くが、買う量が減っているのは、研究所のキャパを考えてのことだ。7月に買った『徂徠集』が探せない。花火のドサクサで箱の中に隠れてしまった。外部倉庫から引き取ったせいで、書庫が麻痺したままだ。探すよりAmazonで買った方がマシになっている。居間と玄関の段ボール箱さらに和室の段ボール箱を片付けてから、書庫に挑戦しないと作業スペースがない。若者が7段積しているので、半端でなく、「倉庫番」やらされ感がある。

(購入後記)
荻生徂徠の『弁名』、『弁道』を読むとすると、まずは『事件としての徂徠学』を読みたくなって、Amazonでポチした。『徂徠学講義ー『弁名』を読む』(岩波書店、2008年)は段ボール箱の中で当分取り出せそうもない。

清水克行氏の『戦国大名と分国法』(岩波新書、2018年)を読んで、石母田正の解説が読みたくなった。上だけでよかったのであるが、古書店側がゴムでセット売りしていたのだった。図書館で借りてもよかったと後悔している。本当にソファーに置くには箱すらも邪魔になる。賢い消費者になったと思っていたが大間違いだった。

私の生活スペースはソファーと、和室の寝床くらいしかない。

「文字禍」を読むために岩波文庫版を手にする。

【思想】
子安宣邦『事件としての徂徠学』青土社、1990年

石井進、石母田正、笠松宏至、勝俣鎮夫、佐藤進一『日本思想大系21 中世政治社会思想 上』岩波書店、1972年

笠松宏至、佐藤進一、百瀬今朝雄『日本思想大系21 中世政治社会思想 下』岩波書店、1981年

【文学】
中島敦『山月記・李陵 他九篇』岩波文庫、1994年、2013年第29刷

2018年10月29日 (月)

『論より証拠』(1985)

谷沢永一『論より証拠』潮出版社、1985年第2刷

神田古書まつりといえば、いつも気がつくのが当日だったりして欲しい本が思い出せずに、手ぶらでは帰れないため谷沢永一の本を探している自分に気がつくことが多い。しかし、この頃の本は谷沢永一が鬱で苦しんでいた時期なので、気晴らし程度にしかならない。まあ、読書に気分転換の読書があっていいのは、仕事に関係する本や雑誌を読むことが日中の務めになっている自分の精神のバランスをとるためでもある。サラリーマンが推理小説を読むのも、仕事の理不尽さに対して、山崎正和氏のいう「謎解きの公平さ」(P26)を求めるのだというのも頷ける。

谷沢永一が論争家としてのネタの出どころは『プラトン全集』や『ペリーメイスンシリーズ』だいうことが書いてあり、「議論を戦わすための本としてこの二つは世界最高」(P39)といっている。E.S. ガードナーの描くペリーメイスンの法廷場面は面白かった記憶がある。テレビのシリーズはレイモンド・バー演じるメイスンの法廷戦術を愉しみにしていた。ペイパーバックで読むくらいだから推理小説は好きなのだろう。最近、読んでいないことに気がつき、読書について考える必要があると思った。プラトンはソクラテスに「ディアレクティケー」させることで「弁論術」を批判しながら、技術そのものをフィロソフィー(愛知)に至るものにまで高めた。藤沢令夫訳の『パイドロス』を読みながら対話の面白さを感じている。

谷沢永一が「生涯読書計画を実践する五つの鍵」の中で面白いことをいっている。「第五は(これがもっとも大切なのだが)、読書に関しては、できる限り嫉妬心を抑えること、である」。

「人間、年をとってくると、自分より若い人たちの書いたものに対して、無意識の軽侮感、侮る気持ちが必ずといっていいほど生じる」。

「己れより一回りも若い世代がさっそうと書いた本を身銭を切って買い求め、書斎で読んで勉強するのは、何ともいまいましい。はるか昔に死んでしまって、切手に顔がのっているような偉大なる人物のものなら、読んでいても自尊心は痛まない」(P39)。

なるほど『人間通シリーズ』を書いた谷沢永一である。人の心の暗部を知り尽くしたアドバイスである。軽侮感、嫉妬心をもたないように努力し、「中年・熟年層はいかに謙虚に、かつ、ずるく対応するかを考えなくてはならない」(P40)。

若者からは教科書にないアイデアやセンスを学びとり自分のものとしなくてはいけないのだ。谷沢永一は最後に寸暇を惜しむことであると書いている。私も、わずかな時間でも、読書のためにあてることで、残りの人生を過ごしたいと思っている。





2018年10月28日 (日)

神田古書まつり2018

神田古書まつり 2018年10月26日(金)〜11月4日(日)

また、例によって神田古書まつりに行く。金曜日から始まっていた。欲しい本はあるが、見つかるがどうかは分からない。欲しい本はAmazonで買えば良いので、論語塾が終わってから、懇親会に出ずに神保町へ向かった。人出が多いのと、鞄が重いので、一周して帰ることにした。

【思想】
今井宇三郎、瀬谷義彦、尾藤正英『日本思想大系 水戸学』岩波書店、1973年、1978年第4刷

【知】
大澤吉博編『叢書 比較文学比較文化6 テクストの発見』中央公論社、1994年

岡谷公二『殺された詩人 ー柳田国男の恋と学問』新潮社、1996年

【エッセイ】
谷沢永一『論より証拠』潮出版社、1985年第2刷



2018年10月27日 (土)

『山月記・李陵 他九篇』(1994)

中島敦「文字禍」『山月記・李陵 他九篇』岩波文庫、1994年、2013年第29刷

中島敦の「文字禍」という掌篇の寓話を読む。寓話であるからには何か背景があるに違いない。氷上英廣氏の解説には、「「名人伝」や「文字禍」などの寓話物も、その背景に哲学的な懐疑やニヒリズムがあって、そこから滲みでてくる笑いとイロニーを含んでいる。」(P403)とある。

以前読んだときは、「哲学的な懐疑」の背景を知らずに読んでいたが、話が巧みで面白かった記憶があった。

高島幸次氏は文化講演会「落語に学ぶ重層的な笑い」(NHKラジオ、平成30年9月23日放送)で、落語を聴いた人は様々な理由で笑っているのであり、「重層的な笑い」を誘うものが、古典落語として残ったという。この話の喩えによれば、私はアッシリアの楔形文字がアニメのように踊っているのを想像して愉快に思ったくらいであった。「哲学的な懐疑」の背景が分からずに「文字の霊」の禍を語る口調にある種のイロニーを感じて読んでいた段階である。高島幸次氏に倣って言えば、読み手の知識のレベルに応じて楽しむことのできる作品は名作ということができると思う。

前田英樹氏の『愛読の方法』(ちくま新書、2018年)のなかで「文字禍」を鑑賞するための「哲学的背景」なるものが語られていた。改めて「文字禍」を読んでみて、愛読書に加える作品であることが分かった。なお、岩波文庫版では老眼には少し辛いので、今度読むときはEPUB版でフォントを大きくして読みたい。

注)本もオンデマンドで買える時代になったので、印刷するなら、フォントを13ポイントで四六版の冊子とかにしてくれれば良いと思う。寝ながら読む身には、ハードカバーなどは重くて厄介だ。

2018年10月26日 (金)

酬恩庵

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の京都」美術家の横尾忠則氏の2回目は「酬恩庵」でした。横尾忠則氏は酬恩庵に伝わる一休宗純の頂相を「昔、瀬戸内寂聴さんの『幻花』の挿絵で登場人物の一休禅師を描いたとき、参考に」したそうです。一休宗純が大徳寺の住職となったとき、酬恩庵から、大徳寺まで輿に乗って通われたといいます。その輿を方丈で見た記憶があります。

プラス1は「モーネ」でした。京田辺にあるレストランです。

注)「そうだ、京都、行こう。」の2018年の秋キャンペーンは酬恩庵です。

2018年10月25日 (木)

『経験と思想』(1977)その2

森有正『経験と思想』岩波書店、1977年

前回は思い出を書いて終わってしまった。今回から内容に入ろうと思う。

『経験と思想』は岩波書店の『思想』に掲載された。森有正によれば第Ⅰ部である。その後は、第Ⅱ部は「『実存』と『社会』」と題することにすると書いて終わってしまった。

森有正は「経験」や「思想」を定義して使う人ではなかった。「経験」や「思想」をずっと考え続けた人だった。「経験」が人を定義するという遣い方をしている。

「経験」と「体験」については遣い分けがされていて、私の理解では、デズニーランドのアトラクションの「体験」は誰にでも味あわせることのできるものであるが、我々を取り巻く現実という「経験」は人それぞれによって受け止め方が異なるし、その「経験」がその人の「人生」を定義することになる。「経験」と「体験」は重なり合う部分があるが、本質は異なる。「体験」はそれを取り出して示すことができる。しかし「経験」はそれを取り出して示すことができないのは、我々の精神を形成しているからである。

私は少し極端に言っているのかも知れない。著者の言葉を説明するには、普通は著者の言葉を引用すればよい。しかし、森有正の長いフレーズを引用しても、私にはパラフレーズしかできない。説明にならないと思っている。

「経験」も「思想」も、それ自体では一つの名辞であって、ある一定の事態を命名するために使用されるものであり、その事態そのものは、各人が感じ、考え、これらの名辞を冠すべきものであることを見極めらような、そういう事態に外ならない。その場合、言葉ではなく、そういう事態そのものがこの二つの名辞を定義することになるのである(P1)。

経験こそ思想の源泉であり、この「経験」という「定義」するものこそ、「思想」という、言葉によって組織されたものに対する基底をなすものである。そして、「経験」は、人間が幾億いようと一つである、ということが私の確信である。それは現実(それは私によっては経験と同義語である)はただ一つしかないからである(P93-94)。

「思想」とは、「経験」が組織されて現実と等価値なるところまでその密度が高まることだからである(P94)。

「経験」や「思想」という言葉そのものを定義せずに進める論法はどうにも難しい。何度も読み返しをしてみたが、引用しても伝えきれなさを感じてこの先を進めることができないで、今日を終える。

2018年10月24日 (水)

『経験と思想』(1977)

森有正『経験と思想』岩波書店、1977年

辻邦生の解題を読むと当時のことが蘇ってくるようだ。森有正が1976年にパリで死去したため、『経験と思想』は第Ⅰ部で終わってしまった。著者の死とともに本は読まなくなった。その後、全集やエッセイ集成が出たことまで覚えているが、その頃は、登山に興味が移り、山の本ばかり読んでいた。

注)大学前から辻邦生と森有正を読んでいた。その後、読み始めた著者も相次いで亡くなり、死んだ人の本は後回しになった。本屋に新刊本として並ばないと町の小さな本屋では探せなかったのである。

1977年吉田健一死去
1980年河上徹太郎死去







2018年10月23日 (火)

2018年10月書籍往来

2018年10月書籍往来

事務所に行って床に平積みになっていた森有正と辻邦生の本を手にとって、半端でなく、よく買ったものだと思った。もうすっかり忘れてしまった本が私の選んだ本だったというのを知るのは不思議な気分になる。

今回は、『方法序説』を巡るデカルトからの繋がりで、森有正を読み直すことにする。それなら『デカルトとパスカル』からなのだろうが、森有正の最後の本を選んで辻邦生の解題を読んだ。40年の歳月が過ぎて、辻邦生の解題をもとに森有正の本を読む順番を考えている。40年前の自分がいるわけではないので、読み直すといっても、初めて読むのとそんなに変わりがあるわけではない。

森有正の本は初期から晩年まであるし、全集の日記もある。『エッセイ集成』5巻の文庫も単行本と内容が重なってある。どうせマイブームが長くは続かないという見通しもある。辻邦生が『バビロンの流れのほとりにて』の系統と『遥かなるノートル・ダム』『旅の空の下で』『木々は光を浴びて』に収められエッセイを別個のものとしていることもあり(P182)、読む順番を考えてもよさそうだ。

中江兆民は昭和思想史研究会の課題図書になると思う。ルソーの社会契約論は制度論を考えるとき、参照されるはずで、日本では中江兆民を抜きにルソーを論じるのは難しいからだ。大学で政治思想史を学んだとき、中江兆民は特異な存在だった。この明治のジャーナリストの文体を読むたびに、近代日本を支えた文体、詔勅などとの違いを感じる。近代日本を支えた異様な文体についての興味もあり、漢文なしいは漢文書き下しの明治の書記言語というものを考えざるを得ない。

注)正しくは、饗庭孝男の本もかなり平積みになっていた。この評論家の本を残した理由は分からない。何かのきっかけでまた読むようなことがあるのかもしれない。

【思想】
森有正『経験と思想』岩波書店、1977年

森有正『デカルトとパスカル』筑摩書房、1971年、1977年第10刷

松永昌三編集『近代日本思想大系3 中江兆民集』筑摩書房、1974年

2018年10月22日 (月)

109「タダシ君と焼きめし」千宗室

ひととき 2018年11月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「タダシ君と焼きめし」というタイトルでした。タダシ君は2度目の登場になります。やっちゃいましたね。イタリアンでくさやの焼きめしを食べる会とは、家元はくさや好きだったのですね。

それから3日ばかり、店は空調メンテナンスのためにお休みしたとか。

59 「タダシ君の腕前」千宗室

2018年10月21日 (日)

浜松散歩

浜松に来たのはいつだったか忘れたが、観光したことはなかった。最初に来た時は北口が整備中でだだっ広かった。次に来た時はACT CITYができていた。

浜松駅に着いて、北口から地下に降りてバス乗り場へ上がる。バスターミナルには地上を歩いては直接行けない構造になっている。1番乗場から30系統のバスに乗り市役所南で降りる。地下道を通って反対側に渡る。浜松の街を歩くと地下道が多いことに気がつく。モータリゼーションの頃に作られたものだが、バリアフリーではないため、横断歩道に切り替えが進んでいるという。

浜松城は昭和33年に新天守(模擬天守)を建てた。野面積みの石垣は徳川家康の後に第二代浜松城主となった堀尾吉晴が造ったという。天守台の上に3階建、地下に井戸がある鉄筋コンクリート製の復興天守に登る。最上階から、360度の展望が得られる。三方ヶ原方面が北側から見えた。大手門跡は東海道に面して南側にあるが、市役所の建物があり見えない。徳川家康が武田信玄と戦っていた頃は天守はない。信玄が野戦に誘うくらいだから、樹々に覆われてよく分からないが、曲輪や空堀などもあり、簡単に攻略できるものではなかったのだろう。代々の城主の整備もあり、当時の状況は分からない。ちょうど天守台で発掘調査がされていた。バスで戻るものなんなのでACT CITYへ歩いて戻ることにした。





浜松市楽器博物館はACT CITYのDゾーンにあり平成7年に開設した。中は、1階と地階が展示スペースになっていて、楽器の演奏をヘッドホンで聴ける仕組みになっていた。1階の左手は第1展示室でガムランミュージックの楽器が並べられていて数に圧倒される。映像の説明を見ているだけでも、バリ島まで聴きに行きたくなる。右手奥の第4展示室の電子楽器にはRolandのSYSTEM-700が展示してあった。冨田勲が使ったことで有名になった国産アナログシンセサイザーは6つブロックを組み合わせると、縦91cm横176cm奥行30cmとどでかい。これにキーボードコントローラが付いて7ブロックからなっている。地階の第2展示室ではリュートなど弦楽器の音を聴きながら回り、第3展示室の鍵盤楽器のコーナーでは、技術の変遷が説明されていた。第2展示室にあったアフリカの楽器は素朴だが多彩という印象が残った。





さて、昼に近づいた。鉄道を潜って南側へ行く。浜松餃子で有名な「むつぎく」に向かうことにした。ロイヤルホストの裏側にあり分かりにくいと言われているが、そんな事はなかった。すでに15人くらい並んでいて、ちょうど前の人がオーダーを取られていた。私は中とオーダーした。私の後から並んだ組みは3つくらいまでオーダーを取りに来たが、そのあとは人数を確認されただけだった。

11時半前だが開店である。お一人様はカウンターへ順番に座る。段取り通りにしないとありつけない。調理場で鍋が三回転した後に、私の番が来て、餃子をいただけた。肉の入らない野菜餃子と聞いていたが、12個はなんとか食べられた。浜松ビールを飲みながら食べたいと思ったが、これから会議場へ行って4時間半ほど講演を聴く必要があったので、水で我慢した。ビールがあれば大も行けそうな気がする。ただ、味が変わらないので18個食べてどうするということはある。





講演を聴いて疲れた身体を癒すため、ホテルに荷物を置いて、千歳町へ行く。鰻料理あつみでよかったのであるが、落鮎の看板が出ていた店にした。カウンターが長い店で、予約席の間に通された。戻りカツオで喜久酔と正雪を飲んでいると、女性が一人できて、酒と海鮮重を頼んでいる。そのうち男性が入ってきて、同伴という事がわかる。すると右手隣もそうなるのかは興味があったが、落鮎を食べて引き上げたのだった。

注)ACT CITYは平成3年着工で平成6年から7年にかけ落成した。してみると、昭和の終わりと平成の最初に来てから、平成の半ばと平成の終わりに来たことになる。

注)浜松城は徳川家康の命名である。それ以前は曳馬城と呼ばれていた。信長もの読むと、徳川家康は岡崎殿と呼ばれていたが、嫡子信康に岡崎城を譲ってからは、浜松殿と呼ばれていたことを思い出す。

2018年10月20日 (土)

法界寺

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の京都」美術家の横尾忠則氏の1回目は「法界寺」でした。裸踊りで有名ですね。阿弥陀堂と丈六の阿弥陀仏が国宝に指定されています。本尊は日野薬師と言われ秘仏になっていて、特別公開の時に、横から覗いた覚えがあります。

プラス1は「長明方丈石」でした。鴨長明が日野の山奥に方丈の草庵を結んで隠棲した跡を示す石碑です。

注)法界寺の裸踊りは毎年1月14日に行われます。

2018年10月19日 (金)

『京ことばで綴る 源氏物語 紫の系譜 桐壺/若紫』(2003)

現代京ことば訳 中井和子、朗読 北山たか子『京ことばで綴る 源氏物語 紫の系譜 桐壺/若紫』King Record、2003年
桐壺 32分34秒
若紫 32分55秒

源氏物語千年紀で企画されたCD10巻の入ったBoxを手にしたのは京都だった。こんな重い代物を持ち帰ったのに、このCDを聴くこともなく歳月を過ごしてきた(いつものことであるが)。

BGMシリーズで沖縄民謡を聴こうと思ったが、ここに来て、急に冷え込んできた。そうなると、秋の夜を過ごすのに、朗読も良いかなと思って、段ボール箱の中から取り出して封を切ったのだった。

KBS京都が開局50周年記念で、2000年4月3日から2001年までの1年8ヶ月にわたり、中井和子訳『現代京ことば訳 源氏物語』をベースに朗読番組として月〜木曜日の夕方10分間放送した『京ことばで綴る 源氏物語』(361回)をもとにCD化したものであることが分かった。

CD化したタイトルを見ると、全部でなくて抜粋したものであった。この辺りは完全版でなくて残念ではあるが、361回×10分もお付き合いするのは大変なので、10巻×60分という6分の1の時間であれば、BGMとして聞き流してみようという気になる。

桐壺の巻が「どの天子さんの御代のことでございましたやろか」と始まると、何となう京都で過ごしている気分がする。

王朝の姫君となった気分でCDを聴くという設定である。ジェンダー的には難しいが、その分、気軽に聴けそうである。




2018年10月18日 (木)

『情報生産者になる』(2018)

上野千鶴子『情報生産者になる』ちくま新書、2018年

通勤電車の中で読んでいますが、382頁と厚い新書です。どうも、「情報」や「生産」とか「技術」とかいう言葉の組み合わせに弱いので手にしました。梅棹忠夫の『知的生産の技術』(1969)や渡部昇一の『知的生活の方法』(1976年)も知的消費ではなくて知的生産を扱っています。

上野千鶴子氏の『知的生産者になる』は社会科学の論文を書くという研究極道の勧めの本です。清水幾多郎の『論文の書き方』(1959年)は古すぎて言及がありません。川喜田二郎の『発想法』(1967年)で有名になったKJ法について言及していて、「うえの式質的分析法」が紹介されています。「ケース分析とコード分析とを併用して、データを事例の文脈においてと比較の文脈においての両方で分析するという方法です」(P241-215)。上野千鶴子氏は川喜田二郎が発案したKJ法を使い倒して上野流に改訂しているでした。詳しくは『生存学研究センター報告』27号に掲載されています。

本文を読まなくても、目次を読めば社会科学の論文の書き方について解説した実用書だということが分かります。使われているエピソードが上野千鶴子氏の指導した学生の論文であるのが面白いところです。

Research Questionの立て方から始まり読者に届けるまで「情報生産者」の後押しをしてくれる本です。私にとっては社会科学の入門書となりました。

注)
上野千鶴子 監修 一宮茂子・茶園敏美 編 『語りの分析〈すぐに使える〉うえの式質的分析法の実践』(『生存学研究センター報告』27号)立命館大学生存学研究センター、2017年03月03日)

注)
川喜田二郎の『発想法』『続・発想法』はデザイン思考の観点から読み直す必要があると思います。情報加工(KJ法)ばかりが強調されますが、本のタイトルを素直に見れば情報の質的分析法としてだけ見ることが狭い受け取り方であることが分かると思います。

2018年10月17日 (水)

『ロベルトは今夜』(1962)

ピエール・クロソウスキー、遠藤周作・若林真訳『ロベルトは今夜』河出書房新社、1962年第5刷

2016年11月3日にLe Petit Parisienで『ロベルトは、今夜』の映画を観て、クロソウスキーを巡る山口椿氏、大森晋輔氏、石川順一氏の知的格闘劇を愉しんだことがあった。書肆右左見堂で見つけて読むことにしたのだが、以前、原書と山口椿氏の訳を読んでいたので、どこまで原書に忠実な訳か確かめたくなった。発売当初からスキャンダラスな話題で刷を重ねていた。松岡正剛氏の千夜千冊と同じ本なので嬉しいが、松岡正剛氏は『歓待の掟』(河出書房新社、1987年)が「プロンプター」を加えた3部作なので本命だという。ならば、なぜ千夜千冊にしないのかは不明だが、やはり『ロベルトは今夜』というタイトルの本であることが必要なのである。2006年に『ロベルトは今夜』が河出文庫になり手に入りやすくなっている。読み比べた感じは山口椿氏の訳が一番淫に感じた。

2018年10月16日 (火)

『山家集』(1982)

後藤重郎校注『山家集』新潮日本古典集成、1982年、2011年第10刷

久しぶりに『山家集』を手に取る。カルチャーラジオの古典購読で上智大学の西澤美仁教授の「西行をよむ」を何回か聞いているうちに西行が読みたくなった。たまたま開けた段ボール箱に入っていたので、嬉しくなって読み始めた。岩波文庫を買おうかと思っていたところだった。

愛読書が自分を救う(前田英樹『愛読の方法』ちくま新書、2018年)を読んで、古典の読み方を改めて教えてもらった。先日、ふたば書房京都駅八条口店で買って読んで、自分にとって何度も読める本は詰将棋か歌集しかないと思った。エセーは今の私には疲れる。10分も読むと眠くなる。仕事の本は昼間に読んでいるので、夜、勤め先から帰って来て食事をとった後、ソファに座って精神を安らいでくれるものは、BGMか読書しかない。

西行はさまざまな人が引用するのを読んできたし、新古今和歌集で代表する歌は見てきた。松尾芭蕉が慕う西行について通しで読んでみたくなって本を買ったのだが、あれもこれもと手を出しているうちに、興味が移り、片付けられていた。箱付きの本からパラフィンを傷めないようにそっと出して後藤重郎氏の解説を読むと、西行(円位)の生涯にそって読むことは難しいことが分かった。

「和歌に関しては作歌年次不明のものも多く、従って、その歌風変遷の跡をたどることは難しく、全体として他の同時代歌人の差如何を問題とせざるを得ない」(P453)。

もともと、歌人の作歌年代が分かることのほうが稀なので、そこまで突き詰める必要はないので、自分がどう感じるかを判断して読むことにする。歌はもう西行の手を離れているのだから、受け止めるのは自分しかいない。誰も自分の代わりに受け止めてくれるわけではない。愛読とはそういう孤独な営みである。

『山家集』は春から始まる。春は立春から始まるのは古今集に始まる部立である。従って、すでに配列は作歌年次を離れている。

「近年、『山家集の成立に関してはさまざまな考察がなされており、何次かにわたる増補をへて、今日の姿にまで成長したと考えられている」(P455)。

そうしたわけで、ここに書き出す歌もなく、うぐひすの鳴き声の歌となった。立春の歌の工夫は、古今和歌集の時代ならともかく、新古今和歌集の時代では題詠としても面白味を感じない。

2018年10月15日 (月)

歌の時間2

小学校を過ぎるとき当然歓声が沸き起こった。運動会が開かれているのを観ると昔の記憶が思い出され、鳥肌が立つ気がした。

秋空に歓声上がる運動場
バトン握れば鳥肌ぞ立つ



2018年10月14日 (日)

歌の時間

永田和宏氏の「歌を読み込む力〜時間と歌〜」文化講演会2018年9月23日放送分を聴き逃しで聴いて、

朝起きて 死ぬ時間問う 歌人あり
心の底に 響く重さで



2018年10月13日 (土)

丹生都比売神社

週刊新潮の古都を旅する特別編「とっておき私の高野山」日本画家の千住博氏の4回目は「丹生都比売神社」でした。高野山の守護神で世界遺産です。

天野盆地は一度行きましたが、別天地というに相応しい土地です。

プラス1は「山荘 天の里」でした。天野にリゾートホテルができているのですね。

参考
『丹生都比売神社史』2009

2018年10月12日 (金)

『MESSIAH』を観る

『MESSIAH(メサイア) −異聞・天草四郎−』

花組東京公演を生徒席から観ました。上手の席から、まいこつさんが出世して、銀橋で台詞も、節のある歌もソロしたのも見れました。春は執事のセリフしかなかったのに何という幸せだ。

休憩は天草四郎だから、白ワインにするという人がいましたが、ちょっとうけませんでした。仕方がないので赤ワインにしました。

ショーは『BEAUTIFUL GARDEN −百花繚乱−』 で、懐メロもあり、楽しい時間が過ごせました。

2018年10月11日 (木)

『デカルト『方法序説』を読む』(2014)その3

谷川多佳子『デカルト『方法序説』を読む』岩波現代文庫、2014年、2017年第2刷

第3章では、デカルトの『方法序説』で書かれていない1部と2部の間のことが語られる。デカルトは学校を出て書物の学問を捨てて旅に出る。そして「わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに」(P66)学問を求めた。

まず、オランダのナッサウ伯マウリッツの新教軍に入りる。デカルト自身はフランス生まれでラ・フレーシュ学院(カトリックのイエズス会)を出たのでカトリックなわけで、理由が分からない。2部ではドイツでカトリック軍に入り、炉部屋の省察につながるわけだが、なぜ軍事組織なのかは推測の域を出ない。

オランダではブレダの街頭に貼られた数学の検証問題を解いたりした。このあたりは『天地明察』(冲方丁、2011年)でも、渋川春海が和算の問題を見に神社へ行くシーンがあって、「算額」の問題を関孝和が一瞥即解したことを思い出す。数学の問題の解答競争が江戸社会にもあったことで近代に向かう時代性を感じる。

第4章では、第2部の炉部屋の思索と学問の方法と第3部モラルの問題が語られる。

第5章では、4部から6部が語られる。神の存在証明の胡散臭やデカルトの時代の自然学には関心が向かない。やはり興味があるのはデカルトの『世界論』の刊行中止の話になる。『方法序説』(1637年)の書かれた時代はドイツ三十年戦争(1618年-48年)という宗教戦争の時代であり、ガリレオ裁判(1633年)にみる異端審問の怖さなど、デカルトを煩わせた宗教問題が詳しく語られる。なるほど、デカルトと言えども歯切れが悪くなるわけだ。学問とは違い、人生は慎重にだったデカルトがそこにいる。

第6章は谷川多佳子氏による『方法序説』と現代哲学が語られて終わる。

このあと、わたしの興味は何処へいくのだろうか。不得意な4択問題になった。

①森有正『デカルトとパスカル』筑摩書房、1971年

②ロディス=レヴィス、飯塚勝久訳『デカルト伝』未來社、1998年

③C. ヴェロニカ・ウェッジウッド、瀬原義生訳『ドイツ三十年戦争』刀水書房、2003年

④それ以外

注)①は7円。②は575円③は15,324円と中古価格が買った価格より高くなっている(2018年10月11日Amazon調べ)。

注)④ デカルトが読んだというモンテーニュの『エセー』など、60歳を過ぎたらモラリストを読めという谷沢永一の勧めに従うのが分別というものだろうか。

2018年10月10日 (水)

「シガモノ」

忍者といものはその正体がよく分からないが、今でも人気がある。私の世代は「伊賀者」や「甲賀者」といった遣い方を知っている。しかし、甲賀が滋賀県で伊賀が三重県に分かれていることまで知っている人は少ない。

東京日本橋にある滋賀県の物産館である「ここ滋賀」で酒を買ってみた。手提げ袋にSHIGA’s BARとあり、ニヤリとした。SHIGA’s BARはそら耳的にはjigger barと聴こえてもおかしくない。このアンテナショップを覗いてみたら喜楽長辛口純米吟醸があった。山田錦を使った酒のアルコール分は17度以上18度未満で、日本酒度は+14.0だ。生産年月は平成30年10月とある。喜楽長は東近江市の喜多酒造のブランドである。

喜楽長を知ったのは、長浜へ盆梅展を観に行った時に、酒屋で試飲した時からである。その後、祇園の割烹でも飲む機会があり、松の司とともに好きな酒となった。先日、馴染みの割烹で飲んだばかりであった。

滋賀の人にはまだ書くような触れ合いはないが、滋賀の物については、まず酒から付き合いが始まった。そんな滋賀について「四都手帖」のなかの「湖国」の都「湖都」として好きな場所であり、何度かこのブログにも登場した。相方の勤め先になったこともあり、この先縁が深まりそうなので、「シガモノ」というカテゴリを作ることにした。「忍びの者」に通じる謎めいたカテゴリ名で何が扱われるかはお楽しみである。




2018年10月 9日 (火)

温習會2018を観る

温習會は千秋楽であったが、台風の影響かインタネット販売のせいか、少し空き席もあった。まあ、祇園甲部歌舞練場の時も、贔屓の演目をみたら、さっと引き揚げて宴席へ向かう人達も見かけたので、実際のところは分からないが、引けは速い。

演目
長唄 春遊び (美月さん)
清元 猩々
上方唄 御代の始
一中節 新京の四季
常磐津 五色晒 (茉利佳さん)





温習會で京都の四季を味わったら、夜が来ていた。車窓から街灯の暗い京都の佇まいを見ながら祇園へ向かう。明るい街に着くと少しほっとする祇園である。馴染みの割烹で土瓶蒸しをいただくと、秋になったと感じる。喜楽長を飲みながら、相方と滋賀の話をしていた。

後はお決まりのお茶屋へ行くのであった。

2018年10月 8日 (月)

ドラマチックな古都の秋

この秋は台風21号の被害が出て京都や滋賀の観光にも影響が出ていた。台風24号の後の古都が心配だったが、台風25号が接近するなかで京都に行くことになった。

京都に着くと台風のせいか何やら蒸している。ふたば書房京都駅八条口店で本を買って蹴上へ向かう。髙木屋で珈琲を飲みながら、粟田神社の粟田祭の日程を親父さんに聞きながら、雨が小降りになるの待った。

レストランひらまつ高台寺
ふたば書房ゼスト店で本を買って、相方と待ち合わせ、車で高台寺へ向かう。高台寺南門通に入ると正面右手に山荘京大和のあったあたりにクレーンが見えた。ここはパークハィアット京都を新築中だった。もちろん料亭の方も立て直し中である。

その南側にあるレストランひらまつ高台寺へ初めて訪れる。レストランひらまつ高台寺は平松博利(通称 平松宏之)氏が創り上げた高級レストランブランドの京都店である。料亭「高台寺 土井」の跡を改修した4階建のビルを目指した。

レストランひらまつ高台寺は霊山歴史館の南側の高台に位置しているので、西山を背景に法観寺の五重塔が正面に見える。絶景である。台風21号で五重塔の法輪が歪んでいるのがよく分かった。この4階からの眺めは素晴らしい。西山は全体が見えているが、最近遭難者を出した愛宕山の上部は雲に覆われて見えない。南西手前、法観寺の南方の旧清水小学校の跡地にNTT都市開発が建築中のホテルのクレーンが見えた。店の人の説明ではプリンスホテルだといっていた。北隣のパークハィアットの工事もそうだが、近隣住民対策が大変そうだ。観光地はなおさらである。町家の瓦屋根の並ぶ景色を見ながらそう思った。




料亭十牛庵を見学
軽めのランチを頂いて、相方と話す午後の時間はすぐに経ってしまう。ベランダ席へ出てデザートをとり、ハーブティを飲んでいると、西山が雲に包まれ、降り出した雨がテーブルクロスまでふきつけだした。そろそろ退散かなと思っていたら、相方が見学の話をつけていた。エレベータで3階へ降りるとそこはブライダルルームである。隣に繋がるドアを開ける。靴を脱いで長い廊下を歩くと、そこは数寄屋造の料亭十牛庵で、東側の部屋に入り障子を開けると植治の庭が雨に濡れて目の前に広がっていた。舞台が付いた贅沢な部屋を見せてもらったり、階段を上がり、西に法観寺の五重塔が、振り返ると東に緑の庭が屋根越しに見える部屋などに案内してもらった。隠れ部屋のような三畳ほどの小部屋もあった。ちょうどよい腹ごなしになった。


2018年10月 7日 (日)

東都手帖2018年11月【編集中】

2018年11月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

霜月の頃、黄葉の季節が到来した。
「死ぬのはいつも他人」という墓碑銘が印象的なマルセル・デュシャン。

大報恩寺というとピンと来ないが千本釈迦堂なら何度も見に行った。

そして、この秋、嵯峨本謡本百帖が見られる。昔、辻邦生の『嵯峨野明月記』(1971年)を読んで嵯峨本の魅力に取り憑かれた三人の男のモノローグを思い出した。一の声は本阿弥光悦、二の声は俵屋宗達、三の声は角倉素庵。小説家の想像力をして語らせる。これは武蔵美へ行かねばならぬ。

特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」東京国立博物館、2018年10月2日(火)〜12月9日(日)

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」東京国立博物館、2018年10月2日(火)〜12月9日(日)

◯展覧会「和語表記による和様刊本の源流」武蔵野美術大学美術館・図書館 2018年11月1日(木)〜2018年12月18日(火)

2018年10月 6日 (土)

四都手帖2018年11月【編集中】

2018年11月の私的な愉しみと記憶

霜月の頃、紅葉が彩りを増し、北風が吹き始めるとなんだか人が懐かしく思い出される。カウンターで一人飲む酒が長くなるのは温かいものが欲しくなるからでもある。ライトアップされた古都の一段と冷え込んだ夜の街を靴音と一緒にいつまでも歩いているは、止まり木を求めているのだろうか。

花街は祇園東の祇園をどりで締めくくられ、お火焚があちこちで見られるようになる。紅葉の法然院で陶齋先生の個展をみるのが密やかな楽しみになっている。実際には師走に入って伺うのであるが、今年は顔見世興行が11月と12月の2ヶ月のロングランになっているので、面食らいます。

【古都】
祇園をどり 祇園会館 2018年11月1日(木)〜10日(土)

當る亥歳 吉例顔見世興行 京都四条南座 2018年11月1日(木)〜25日(日)、2018年12月1日(土)〜26日(水)

雨月陶齋展 法然院 2018年11月26日(月)〜12月2日(日)

特別展 京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ 京都国立博物館 2018年9月29日(土)〜11月25日(日)

いっとかなあかん店の京都版が出るそうです。

【湖都】

滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。2019年3月31まで展示予定なし。

本尊大開張 櫟野寺 2018年10月6日(土)から12月9日(日)秘仏十一面観世音菩薩坐像を2016年9月に東京の国立博物館で観たとき、33年に一度の大開張の予告があったのを覚えている。ついにその時が来た。

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櫟野寺の大観音

【旧都】
秋は正倉院展できまり。

第70回正倉院展 奈良国立博物館 2018年10月27日(土)〜11月12日(月)

【水都】

特別展「高麗青磁ーヒスイのきらめき」東洋陶磁美術館 2018年9月1日(土)〜11月25日(日)

ルーブル美術館展 大阪市立美術館 2018年9月22日(土)〜2019年1月14日(月)

◯「第Ⅳ期 ほとけの世界にたゆたう」中之島香雪美術館 2018年10月6日(土)〜12月2日(日)朝日新聞の創業者の村山龍平(香雪)のコレクションは凄かった。

いっとかなあかん店、ありませんかね。

編集
2018/10/08 中之島香雪美術館の開館記念展を追加
2018/10/21 京のかたな展を追加(記録として)

2018年10月 5日 (金)

奥之院

週刊新潮の古都を旅する特別編「とっておき私の高野山」日本画家の千住博氏の3回目は「奥之院」でした。一の橋より先は撮影禁止です。弘法大師御廟は一度訪れましたが、階段を上がって一回りしましたが、雰囲気があるところです。大師信仰という私的な領域です。

奥之院では、崇源夫人五輪石塔が一番石と呼ばれ、大きくて有名です。徳川幕府二代将軍徳川秀家夫人の石碑を三男の忠長が建てたものです。四国霊場八十八ヶ所の奉納経帳と高野山で入手した御朱印帳に奥之院の分が残っているので、いつかまた訪れたいと思います。

プラス1は「苅萱堂」でした。説経節の五説経の一つ「苅萱(かるかや)」の苅萱道心と石童丸の物語の所縁の地となっています。

注)高野山ケーブルカーの更新工事に伴い、2018年11月26日(月)〜2019年2月下旬、バス代行輸送が実施される予定です。

2018年10月 4日 (木)

『デカルト『方法序説』を読む』(2014)その2

谷川多佳子『デカルト『方法序説』を読む』岩波現代文庫、2014年、2017年第2刷

谷川多佳子氏が森有正のパリの家でみた『本居宣長全集』の思い出が印象に残ったところまでは書いた。森有正が本居宣長をどう読んでいたのか気になった。エッセイに書いてあるというが全く記憶にない。今度、事務所に行ったら、少し埃を払ってみることにする。

熊野純彦氏の週刊読書人ウェブのインタビュー「無償の情熱を読み、書く  『本居宣長』(作品社)刊行を機に」(2018年9月7日)を読んでいたら、熊野純彦氏が『本居宣長全集』を読んで『本居宣長』(作品社、2018年)を書き下ろしたことが書いてあった。熊野純彦氏は『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波新書、2006年)を2018年1月に読んだことがあるくらいで、全体の仕事は知らない。本居宣長について子安宣邦氏の言説的読み方以外の読み方ができるのではないか言っていた。『古事記伝』44巻を序論の「直毘靈」1巻だけで論じるのはおかしいと言っている。もっともだと思う。西洋哲学をやる人は後年、日本の問題に帰ってくるので、国学者とは別の読み方をする筈だ。その点、子安宣邦氏同様に興味をそそられるが、枕元の本を読むことを優先するしかない。

【新ルール】
新たに本を買った場合、本の良し悪しの判断ができるまで、次の本を買って積読を増やしてはいけない。

【そのこころ】
これまで積読で本の評価をしていたが、読まずに評価できるのであれば、買わずに評価できるのではないかという命題に答えねばならなくなった。若者には従うしかない(^^)

2018年10月 3日 (水)

『デカルト 『方法序説』を読む』(2014)

谷川多佳子『デカルト『方法序説』を読む』岩波現代文庫、2014年、2017年第2刷

本書は、岩波市民セミナー(1999年10月)の4回の講演を基にした「岩波セミナーブックス」(2002年)を岩波現代文庫としたもの。森有正と小林秀雄に触れることを編集部から要請されていたという。

そこら辺をチラ読みして購入した。最近、森有正の本を事務所で見たので、少し懐かしくなった。大学の頃だから1970代の後半である。辻邦生を読んでいると森先生が出てくる。それでもって買って見たのだが、難しいのだ。「体験」と「経験」を遣い分けるところから始まる。その頃読んだ本は丸山眞男のように難解な本が多かった。今になると、丸山眞男など独りよがりの文章と突き放すことが可能だが、当時は、分からないのは自分が未熟だからと考えていた。

第2章 『方法序説』の読まれ方、魅力
まずは、ヴァレリーを取り上げている。これは、ヴァレリーの「デカルト」を読むに書いたが、デカルトの自意識、自我の魅力をヴァレリーは言っているので、デカルトの原理を認めているわけではない。

お約束の小林秀雄の「常識について」という講演を取り上げる。小林秀雄の本はあるはずだけど、これを書いている間に出てこないのは明らかなので、谷川多佳子氏の本から引用する。

谷川多佳子氏は小林秀雄の指摘について、「思考を実践し、新しい創造的な思想をつくりあげ、学問を変えていったデカルト自身と、できあがった知識としてそれを受け取り議論する人たちとの間に、大きなずれがある」(P46)ということを取り上げた。谷川多佳子氏は、デカルトとデカルト主義の違いをいっている。デカルトの批判者は「デカルトをそれほど細かく読んではいない。むしろ当時のデカルト主義や、デカルトとして受け入れられた知識を批判している」(P47)。

谷川多佳子氏は森有正を大学に入る前後の二年余り熱心に読み、そのあと読んでいないという。どうもそういう経験は私と同じかもしれないと思う。何故だろうかと想像を巡らすが、本の中にはヒントはなく、谷川多佳子氏は森有正から推薦された指導教官を選ばす、ソルボンヌ大学のベラヴァル先生のもとでの5年間の留学を語っていた。

このあと、アドリアン・バイエの『デカルト殿の生涯』(1691年)などが紹介された最後に、ロディス=レヴィスの『デカルト伝』(未來社、1998年)について、「デカルトの伝記を一冊もちたいのでしたら、おすすめの本です」(P56)という。この本の帯に仮面の哲学者とあるのが気になっていた。

と、ここまで読んできて、『方法序説』を読むとはどういうことか。谷川多佳子氏は「考証的あるいは実証的なやり方もあるし、哲学の概念を出すこともできる。歴史的な背景や状況、デカルト自身の歩みや伝記、等々、いろいろありますが、いくつかの視点を組み合わせてやってみます」(P55)と書いている。

谷川多佳子氏が森有正を語るのを読むなかで、森有正のパリの家にあった『本居宣長全集』が気になったところで、時間切れである。勤め人である以上、ブログに割ける時間は限定的にならざるを得ない。もっとも、引退して年金暮らしになったとしても、ブログに費やすかというと、そうはならないと思っている。月に1回のブログの人もいるし、毎日書く人もいる。限られた読者と自分のための断片記憶なのだから、むしろペースは齢とともに落ちて行かざるを得ないだろう。

2018年10月 2日 (火)

『徳政令』(2018)

早島大佑『徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか』講談社現代新書、2018年

高校で徳政令を習ったときは何故このような不合理なことが鎌倉・室町時代に行われたのか理解できなかった。そんな徳政令についての本を手にした。戦国法の本を読んで中世と戦国を比較したくなったからでもある。

しかし、私の考えは間違っていた。
「かつて日本の歴史上、借金を帳消しにすることが当然とされた時代が存在した。世紀で言えば、11世紀から16世紀にかけての600年間、歴史学上で中世と区分された時代である」。中世と戦国は比較してはいけなかった。室町と戦国時代を比較するというべきだった(^_^;)

早島大佑氏は徳政観念の変遷を述べるところから始める。
①古代の為政者の政策理念
②中世前期、鎌倉幕府による、御家人救済政策としての債務破棄=徳政令
③中世後期、徳政一揆が主体となって主張した債務破棄としての徳政要求
④16世紀までに好ましくないものとしての徳政観

④では、それまで善玉として認識されていた徳政が、悪玉とみなされたのである。

本書の目的について早島大佑氏は、「15世紀から16世紀にかけて、すなわち室町・戦国時代から近世の成立に至る徳政の200年の歴史を追うことで、日本の歴史上、借金は返さなければならないという意識を共有する社会がいかに形成されてゆき、人間が内なる文明化を果たしたのか、その過程を明らかにすることを目的としている」(P32)。

ヒントは
①徳政令・徳政一揆の内実が時代とともに変化していたこと
②人々が嫌っていたのは、兵粮料の代わりに出された徳政令だったこと

面白くなったところで、時間になった。






2018年10月 1日 (月)

『沖縄 郵便船で行く離島』(2006)

『沖縄 郵便船で行く離島』Sony Music Direct(Japan)Inc.、2006年、DVD 76min

石垣島の離島桟橋から始まります。西表島へ渡るのは、中国琵琶奏者のティンティンさんです。3度目の旅だそうです。

西表島で泊まった宿で三線の練習会に顔を出して「鳩間節」を聴いたことで、郵便船で鳩間島に行くことになりました。

鳩間島は周囲を歩いても1時間ほどの小さな島です。鳩間島の民宿では垣根に生えてる草を天ぷらにしたり、ゴーヤチャンプル作りを手伝ったりします。海辺を散策中に楽器の音が聞こえてきて、公民館で島唄を歌っている地元の人達に混ぜてもらいました。「農民早起き」「鳩間節」そして「千鳥節」を聴いたりします。まさにSLOW LIFE TRAVELERでした。





2018年9月30日 (日)

2018年09月購入図書

2018年09月購入図書
9月は本を読まない月となった。

(購入後記)
国際日本文化研究センターの4人が「日本史の戦乱と民衆」というシンポジウムを元にした本をだった。

徳政令という不思議な制度は気になっていた。

原民喜は若松英輔氏の好きな詩人として購入した。

『日本歴史2018年9月号』は河内将芳氏の「戦国期・豊臣政権期京都の御霊祭」を読むために購入した。

【歴史】
磯田道史、倉本一宏、F・クレインス、呉座勇一『戦乱と民衆』講談社現代新書、2018年

早島大佑『徳政令 なぜ借金はかいさなければならなきのか』講談社現代新書、2018年

日本歴史学会編集『日本歴史 2018年9月号』吉川弘文館、2018年

松田壽男『古代の朱』ちくま学芸文庫、2005年、2017年第2刷

【文学】
原民喜『原民喜全詩集』岩波文庫、2015年、2017年第2刷

2018年9月29日 (土)

2018年09月購入古書

2018年09月購入古書

さて、また課題図書を読む季節になった。だからといってすぐに買ったりしなくなった。もっと早く賢い消費者になっていれば、本の片付けで時間を取られることはなかったのに。

(購入後記)
花もよのバックナンバーを買ったついでに、日本の名著を買う。

安東次男は何で評釈の手直しを3度、4度と刊行本でしたのだろうか。伊藤仁斎は手直しを入れ続けたが、刊行はしていない。

右左見堂の100円本コーナーに置いてあった、見たことのある本は、ROBERTE ce soirだった。

【思想】
上山春平『日本の名著 西田幾多郎』中央公論社、1970年

【芸術】
『花もよ 2018年第35号』ぶんがく社、2018年

【文学】
安東次男『芭蕉 百五十句 俳言の読み方』文春文庫、1989年

ピエール・クロソウスキー、遠藤周作・若林真訳『ロベルトは今夜』河出書房新社、1962年第5刷

2018年9月28日 (金)

壇上伽藍

週刊新潮の古都を旅する特別編「とっておき私の高野山」日本画家の千住博氏の2回目は「壇上伽藍」でした。根本大塔を背に写真に収まってますが、素敵ですね。千住博氏が「まさに、山上の立体曼荼羅。圧倒されます。」といっています。19棟の堂塔を曼荼羅とするのは、ちょっと違うと思いますが、歩いて見ると大きさを感じます。

プラス1は「高野山霊宝館」でした。高野山の貴重な文化遺産を収蔵・展示しています。本館も登録有形文化財です。国宝の八大童子立像もいいですが、快慶の重文 孔雀明王像はなかなか外では見れません。

注)高野山ケーブルカーの更新工事に伴い、2018年11月26日(月)〜2019年2月下旬、バス代行輸送が実施される予定です。

2018年9月27日 (木)

『日本の名著 西田幾多郎』(1970)

上山春平『日本の名著 西田幾多郎』中央公論社、1970年

上山春平は解説「絶対無の探求」のなかで、西田幾多郎の生誕百年の意義をNHKからの電話で問われたエピソードから始めている。西田幾多郎の評価はすでに難しいものとなっていた。上山春平は西田幾多郎の『善の研究』を読むことにより哲学の道に入ることになっが、西田幾多郎の哲学からは離れている。私は上山春平を最近読み直すことが多くなった。昔読んだ本が、私の基盤をなしているのであろう。しかし、『日本の名著 西田幾多郎』の上山春平の解説を読むために買ったのであるが、途中でやめて、月報を読むことにした。

月報の田中美知太郎と上山春平との対談は面白く、読み続ける元気をもらった。西田幾多郎を宗教的なところがあると思っていた上山春平が編集にあたって西田幾多郎を読み直した結果、漢学の古典だけでなく、西洋の古典を読んでいることや、数学への関心があることに上山春平が言及すると、田中美知太郎が明治時代の人はヨーロッパの古典を直接読んでいたが、大正以降のインテリに全然この古典感覚がないという。西田幾多郎がギリシャ古典を踏まえていて、以降の日本の哲学者との比較で、スケールが違う点が分かった。

さて、解説に戻る。上山春平が西田幾多郎を読んだ内容が紹介され、本の編集方針があったので、書誌情報をまとめておく。

本書への収録作品は、西田の思索の出発点をなした『善の研究』が中心であるが、上山春平は第二編「実在」だけで、あとの三編は割愛してもよいと書いている。底本は『西田幾多郎全集』岩波書店、1964年〜1966年によっている。表記は現代かなづかいに、漢字は新字に改め、より読みやすくするため、適度に漢字をかなに直したとある。

難解な文体を読むにはもう少し秋が深まったほうがよいと思った。



2018年9月26日 (水)

2018年09月書籍往来

安東次男『与謝蕪村』講談社文庫、1979年

大学を卒業した年に出た文庫である。この頃は文学青年だったのだろうか。事務所に積んである辻邦生、森有正、饗庭孝男の本が捨てられないでいる。

『ヴァレリー・セレクション』を読んで、デカルトの『方法序説』にデカルトの生き方を読むという視点をヴァレリーに教わったばかりである。久しぶりに『与謝蕪村』を読みながら、著者である安東次男の生き方に共感を持った。以前読んだときは、通説に対して安東次男の新解釈に興味があったが、今回読んでみて、なぜ、安東次男がそう読めるのかに興味は移っていた。安東次男が三校の頃の思い出、豪徳寺の家が文士の麻雀狂の巣になっていること、好きでもない蕪村に付いて書く話が、まるでデカルトの話を読むような気がして面白かった。

骨董に狂った安東次男が、突如骨董を売り払ってしまったりする話で感心したことをメモしておく。

「しかし、そのためには、捨てるべきものをまず手に入れる必要がある。というよりは、捨てるに値するものを、というべきだろう。振捨てるのに必死になるほど、愛着の断ちがたいものを、探すことが先決だ。この単純なことに気づかせてくれたのは、青年期の智慧ではない」。

「捨てうるということは夢中になりうることだ。そう思って見ると、夢中になりうるものなど、そうわれわれの回りには転がっていない」。

評釈を読むのは作品を深く理解するためであるが、そのためには評者を知るという当たり前のことがなければ読み間違う。

2018年9月25日 (火)

108「月の井戸」千宗室

ひととき 2018年10月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「月の井戸」というタイトルでした。川端の近くで飲んで八坂へ向かう途中で見当識を失った家元は、とある路地に迷い込みます。そこで井戸にさす月の光に心が浄化される経験をしました。その後、花見小路から夕方に行ってみたら、簡単に辿り着けましたが、その井戸は生気を失っているように見えました。月が必要だったのでしょうか。それを確かめに月の夜にまだ行けていないとのことです。

注)松原通近辺はよく歩いたけど、「庇を寄せ合っている」ような路地に迷い込んだことはないです。また、カフェ ヴィオロンで休憩したいな。

2018年9月24日 (月)

『戦国大名と分国法』(2018)その3

清水克行『戦国大名と分国法』岩波新書、2018年

この『戦国大名と分国法』について、いつものようにまとめずに終わっていたのであるが、日経新聞に平山優氏が書評を寄せていた(2018年9月22日)のを読んで、私なりに整理しておく必要性を感じた。

「本書は最後に、なぜ分国法を制定した大名は滅ぶか不遇の末路をたどり、制定しなかった大名が躍進したのかという難問に立ち向かう。著者の結論をどう捉えるか。それは、終章まで読み進んだ読者各位の判断に委ねよう」。

だいぶ記憶が曖昧になっていたが、5章と終章をまとめる。

第5章 武田晴信と「甲州法度之次第」

武田晴信が駒井高白斎にまとめさせた「甲州法度之次第」は天文16年(1547)に制定された。26条からなる「甲州法度」は「今川かな目録」からの影響を受けたことが研究により明らかになっている。12カ条を対比して表にされていた(表2 「甲州法度」と「今川かな目録」の影響関係、P163)。

ただし、「甲州法度」は26条本、55条本などがあり、前後関係が論じられている。著者は26条本の9条に「今川かな目録」の「自由の輩」を抹消して「姦謀の輩」と書き直している26条本を上げて、55条本が増訂したと考えるのが妥当としている。

「「法」の整備に意を注ぎ、「法」の充実を心掛けた武田家は、なぜ滅んでしまったのか? ここで私たちは再びその問いに立ち戻ることになる」(P185)。

終章 戦国大名の憂鬱

清水克行氏は分国法に共通する特徴を4つ挙げている。
(1)自力救済の抑制
(2)大名権力の絶対化
(3)公共性の体現
(4)既存の法慣習の吸収・再編
これらは、大名側の「志向」であって、実現できたかは別問題としている。

分国法を定めた大名は10家しかないという。そして「いずれも多くは惨めな運命をだどってしまっている」(P192)。また、権力基盤が不安定な大名が起死回生策として分国法を制定した例として、六角氏や今川氏を挙げ「分国法を戦国大名の自立性の指標とする通説にも疑問が生じることになろう」(P192)と批判している。

分国法について制定者の意図したことが機能したかどうか分からないことが問題である。戦国のパワーポリティクスの時代に領国経営が分国法だけで成り立つわけではない。目まぐるしく変わる状況の中で軍事・外交政策を誤った戦国大名が消えていったと考えられる。分国法を制定し、法整備をすすめた大名自身が大名権力を縛られたことから、臨機応変に対応できずに滅んでいったという議論はやや説得性に欠けると思う。

戦国大名の領国支配を分国法だけで論じることはできないし、まして、分国法が原因で戦国大名が滅亡したという因果関係は言えそうもない。著者も「分国法はいらなかった」といってるくらいなので、戦国時代の興亡の決め手にはならなかった。

2018年9月23日 (日)

『方法序説』(2001)を読む

デカルト著、谷川多佳子訳『方法序説』ワイド版岩波文庫、2001年、2003年第3刷

さて、ヴァレリーの「デカルト」を読んでいよいよ和室の本棚にある『方法序説』を取り出して読むことにする。

『方法序説』は6部に分かれている短い本だ。もとは、3つの科学論文集の序文だった。

本書は1997年の岩波文庫版をワイド版にしたものである。ワイド版があるものはワイド版に限る。

流石に、4部の神の存在証明や5部の解剖学は面白くない。ヴァレリーの読み方が面白かったが、デカルトの文章は曖昧にしか書いていないところもある。訳注を読みながら本文を読むのだが、三十年戦争当時の思想状況をして著者名なしで出版しただけあって、気を遣って書かれており真意を受け取りにくい点もある。そもそも400年近く昔に書かれた本がそのまま分かるものではない。

翻訳した谷川多佳子氏の解説でヴァレリーがでてきた。

「…デカルト自身が語ったことや希求してことを、ここでもう一度直接に読み直してみるのも、無駄ではないと思う。ヴァレリーが言いあらわしたように、ここには、デカルトの生涯を語る魅力に富む話と、彼の探求のきっかけになった状況とから始まって、一つの哲学を告げる序曲のなかに、デカルト自身が目のあたりに存在しているのだから」(P136)。

ヴァレリーに始まった読書であった。なかなか読めない『方法序説』だったが、とりあえず読み通すことができた。しかし、解説が物足りないと思った。調べてみたら、著者から本が出ていた。

谷川多佳子『デカルト『方法序説』を読む』岩波現代文庫、2014年

2002年に岩波セミナーブックスで出したものを現代文庫化したものである。



2018年9月22日 (土)

ヴァレリーの「デカルト」を読む

東宏治・松田浩則編訳『ポール・ヴァレリー ヴァレリー・セレクション 下』平凡社ライブラリー、2005年

改題で「デカルト」が1937年7月31日「第9回国際哲学学会」の開会式に際してソルボンヌ大学で行われた講演がもとになっていることが分かる。もっとも、「デカルト」の最初にそのことが書いてある。

共和国大統領閣下
大臣閣下
紳士淑女のみなさん
アカデミー・フランセーズは、第9回国際哲学学会組織委員会からの丁重なお招きをお断りするわけにはまいりませんでしてので、わたくしはアカデミーの名において当委員会にまずお礼を申し上げねばなりません。アカデミーは、『方法序説』出版三百年にあたってデカルトを記念する機会に出席する義務があります。


「デカルト」(P196-226)を読む目的を忘れて、デカルトの自己意識を強調している点を抜き出した。本当はヴァレリーの「やり口」ともいうべき明確化の方法を読み取るはずだった。

彼にあってわたしを魅了し、わたしの眼に生き生きとして見えるもの、それは彼の自己意識、彼の注意力がとらえる自分の存在全体の意識、自分の思考の営みを見張る鋭敏な意識、意思的でかつ厳密なあまり自分の「自我」を一種の道具に変え、その道具の信頼性はそれにたいする彼の意識の度合にもっぱら依存する、といったふうな彼の意識力です」(P217)。

わたしたちをいつまでもとらえて離さないものは、あのいくつかの原理自体ではありません。わたしの眼を惹きつけるのは、彼の人生やそもそもの研究が開始される状況の魅力的な物語から始まって、このひとつの哲学への序曲のなかに、ほかでもない彼の姿がずっと見えているということなのです」(P219)。

ヴァレリーは原理でなく、Cogitoというデカルトの自己意識に感動した。だから、私も原理についてはこだわらずに『方法序説』を読むことにしたいと思う。



2018年9月21日 (金)

『ヴァレリー・セレクション』の宣伝文句に引っかかる

東宏治・松田浩則編訳『ポール・ヴァレリー ヴァレリー・セレクション 上』平凡社ライブラリー、2005年

Paul Valéry(1871-1945)の批評を22篇選び新たに訳したもの。『ヴァリエテ』を中心に選んでいる。

研究所の本棚に挿してあった。ヴァレリーを読もうと思ったのは特に意味があるわけではない。訳者の東宏治氏がまえがきで「ヴァレリーを読むよろこび」を書いていた。

わたしにとってなにより面白かったのは、何を論じても多様で複雑な現象を分かりやすく明快に解き明かすその語り口であり、やり口なのです。そのやり口については、彼はあるところで、比喩的に、どんな多数の敵を相手にしても、たとえば壁を背にして一人しか入ってこられないような狭い入口に立っていれば、大勢の敵とつねに一対一で相手にできる、そんなふうな戦術、安全で確実な対処法に似た方法、現実世界に起こるどんな現象や対象にたいしても対応できる方法を若い頃に発見したと書いています。本書で言えば「デカルト」のなかで、読者はそうした彼なりの方法にちょっと言及しているのを見つけるでしょう」(P12)。

その誘い文句に載って、下巻を読むことにした。



2018年9月20日 (木)

金剛峯寺

週刊新潮の古都を旅する特別編「とっておき私の高野山」日本画家の千住博氏の1回目は「金剛峯寺」でした。高野山開創1,200年を記念して千住博氏が金剛峯寺主殿の「茶の間」と「囲炉裏の間」の襖絵を完成させ、2020年に奉納します。完成記念の巡回展が各地を回っているところです。奉納される前に見たいものです。千住博氏といえば、なんといっても滝を思い出します。

プラス1は「蓮華定院」でした。高野山にある宿坊の一つで真田家の菩提寺です。

注)今後の巡回展
秋田私立千秋美術館/秋田県立美術館 2018年9月22日(土)〜11月4日(日)そごう美術館 2019年3月2日(土)〜4月14日(日)

注)しかし、古都を旅する特別編「とっておき私の高野山」は初めてなのでカテゴリがありません。取り敢えず「四都手帖」としておきます。

2018年9月19日 (水)

『芭蕉 百五十句』(1989)

安東次男『芭蕉 百五十句 俳言の読み方』文春文庫、1989年

安東次男(あんどう つぐお)は何で評釈の手直しを3度、4度と刊行本でしたのだろうか。伊藤仁斎は手直しを入れ続けたが、生前刊行はしていない。安東次男はそれだけ松尾芭蕉の徘徊に腰を据えて取り組んだのであるが、注文をもらって書くという職業上の性格もあったのだろう。安東次男の本はこのブログでは、『完本 風狂始末 芭蕉連句評釈』(ちくま学芸文庫、2005年)と『百人一首』(新潮文庫、1976年)が検索で引っかかる。他に何冊か研究所に眠っているので、何かの折に読みたいのであるが、パラパラとは読ませない文体であるため、こちらも用意がいる。

例によって『芭蕉 百五十句 徘言の読み方』の書誌情報を書いておく。
『芭蕉発句新注 徘言の読み方』(筑摩書房、1986年)を基に、14句を追補したもの。

『芭蕉 百五十句』は芭蕉の発句を評釈する。昼日中読むのではなく、盃を手に数句をおさらいして、またにするという稽古事として読む。

注)解釈ということー解説にかえてーで、「振売の雁あはれ也ゑびす講」という発句を四度にわたって評釈したものを掲載している。念の入ったことだ。





2018年9月18日 (火)

『花と木の文化史』(1986)

中尾佐助『花と木の文化史』岩波新書、1986年

「花はなぜ美しいか」という命題を取り上げて、本能的美意識と文化的美意識を論じている。

「植物界を広くみて、また人間の文化を通し、人間の歴史を通して植物をみて、花や植物の世界と人間との関係は複雑多様であることが、この頃になって私にもよく理解できるようになってきた」。

生物学の重鎮の発言だけに興味深い。

「花の美しさというものは、生物進化史からみると、かなり簡単なプロセスで生まれたものということになる」。

要約すると、
藻類、菌類、シダ類などの隠花植物は花がないため、胞子で繁殖する。花があるのは顕花植物で、マツ、スギなどの裸子植物は風媒花で大したことない。被子植物は原則として虫媒花なので、花は昆虫をひきよせる装置として進化した。イネ科の植物は風媒花であるが、単子葉植物として進化的に遅れているとは考えられていない。

そして、「花らしい花の咲く双子葉植物の花は、開花すると花の大きさ、色彩、集合の美術なので、もっぱら視覚によって昆虫を誘引しているようだが、じつはたいてい別な誘引装置も用意している。それは花の香りと蜜である」。

次に、「花と庭木を人間が鑑賞するときは、枝ぶり、葉の特色なども重要だが、花についで多いのは果実を賞美することである」。

鑑賞の中心は赤い果実である。しかし、小鳥は赤だけでなく紫黒色の果実を食べて種子を散布している。

さて、本題の本能的美意識と文化の違い美意識についてである。

「美しい花に昆虫が集まり、赤や紫黒色の果実に小鳥が集まって食べるとき、これらの動物が遠くからその存在を認識するのは、最初はたぶん視覚や嗅覚によるものであろう。そしてそこに集まっていくのは本能的な反射行為であるのか、あるいは色、形、香りという信号をうけてから、なんらかの価値判断をして、その結果そこに集まるのか、たいへんむつかしい問題である」と断定をひとまず避ける。

動物の繁殖期の二次性徴から動物の本能的美意識というものが共通的にうかびあがるとして4点を挙げている。

(1)体から大きくなり強力である。
(2)特色のある形の付加的装飾物が発達する
(3)原色華麗で艶のある色彩をもつ
(4)強い体臭をもつ

「これは異性のもつ美意識に訴えるものと想定できる。また求愛行動やダンス、ディスプレイなどの動作もやはり異性の美意識に作用する。このような美意識はいわば本能的だと見なして、ここに動物における本能的美意識ということを設定できることになる」。

人間も花の原色華麗で艶のある色彩に本能的に美しさを感じるということができる。

文化的美意識は、例えば、ヒガンバナは可憐な花が咲くが、今まで日本人はそれをむしろ嫌い、庭に植えたりしていない。死者との関連づけがされていたからだ。また、ヒマラヤのシャクナゲの花に現地の人は関心がない。葉に毒があるため、牧草の邪魔になる。さらに、古典園芸植物に高い値段がついても一般の人々にはよさが分からない。これらは、文化的美意識の問題である。やっと導入部が終わった。



2018年9月17日 (月)

RIP KIRIN KIKI

樹木希林さんが2018年9月15日に亡くなられた。8月13日に左大腿骨骨折の大怪我をして、16日のNHKの生番組で白沙村荘から五山送り火を見るはずが、電話出演になった。それが、見たというか聞いた最後になった。ご冥福をお祈りします。

2018年9月16日 (日)

鈴虫の音

いこいのおばちゃんが飼育していた鈴虫が、今年の夏の暑さでほとんど死んでしまったという。残った一匹が金属的な高い音を出すのを聴きながら晩酌していたのだった。


鈴虫の 鳴き声高し 土間の闇

独寝の 鳴き声高し 床の下

ひとりなく 虫の音高し 土間の奥

ひとりなく 虫の音高し 耳の奥

2018年9月15日 (土)

『大坂堂島米市場』(2018)

高槻泰郎『大坂堂島米市場』講談社現代新書、2018年

読んでからまとめをしないで放置していたが、思わぬところで本書が役に立った。金融庁が主催した「明治150年」関連シンポジウム〜明治時代の金融制度が果たした役割〜(2018年9月6日)で、宮本又郎(大阪大学名誉教授)氏の「江戸から明治へ、商品・証券取引所の展開」という講演を聴いた。堂島米市場の話になったので、正米商いや帳合米商いなどの用語が出ても、すっとついていける。高槻泰郎先生様々である。

本書に興味を持ったのはパラ見していて、柴田昭彦著『旗振り山』(ナカニシヤ出版、2006年)を第10章江戸時代の通信革命の参考文献として発見してからで、柴田昭彦氏を旗振り通信研究の第一人者として紹介(P290)しているのを見て嬉しくなって買ったのであった。だいぶオタク的な理由である。

金融庁の後援なので、堂島米市場は商品先物取引であり、管轄外であるが、短期金融市場の役割もあったと宮本又郎氏が気にしていたことが面白かった。

堂島米市場は明治2年に一旦停止になる。江戸時代の堂島米市場を扱った本書のあとの展開を宮本又郎氏から聴けたので、非常に満足しているのであるが、資料をまとめるのは難しく、講演資料をPDF化してEvernoteに保存するのが精一杯である。





2018年9月14日 (金)

『妖精画談』(1996)

水木しげる『妖精画談』岩波新書、1996年

水木しげるが西洋の妖精(フェアリー)を解説した本。オールカラー。西洋の妖精も水木先生にかかれば日本の妖怪と地続きだ。目に見えないものの存在は世界中で語られてきた。

Ⅰ 水に出るもの 30
Ⅱ 里に棲むもの 42
Ⅲ 森にまつわるもの 30

東の妖怪に対し西は普通はモンスター(怪物)だが、水木しげるは妖精をとりあげた。妖精を精霊という目に見えない存在として水木しげるが書いた短い解説を読みながら、見開きの絵を見ていると、日本にも共通にあるものや、西洋にしか無いものがあって、人間の想像力と共感力について興味深かった。

英文学者の井村君江氏が「ひと味違う妖精捕獲の成果」の中で、「ゲゲゲの鬼太郎」の魅力の秘密は「妖精化された妖怪」であるという。

水木しげるの対談中の発言をそのまま引用する(孫引き)。

「妖怪も妖精みたいに愛されるべきで、私は日本の妖怪を妖精化したわけです。日本は四谷怪談などのイメージが大きすぎて暗い感じになってしまった。必ずしも暗いだけでなくて、明るいのもいていいはずです。それで私は一生懸命、鬼太郎で妖精化していったのです」(「対談 日本の妖怪、韓国のトッケビ」『よむ』1993年8月号)




2018年9月13日 (木)

やわらぎ会館

週刊新潮の「とっておき私の奈良」ジャズピアニストの山下洋輔氏の4回目は「やわらぎ会館」でした。山下洋輔氏が『やわらぎ』作曲したのは、奈良県北葛城郡王寺町にある「やわらぎ会館」の館長だった福島秀行氏からの依頼だったといいます。やわらぎは「以和為貴」の「和」でした。

プラス1は「達磨寺」でした。聖徳太子のエピソードに出てくる飢えた人は達磨だったとの伝承があります。

2018年9月12日 (水)

『戦乱と民衆』(2018)

磯田道史、倉本一宏、F・クレインス、呉座勇一『戦乱と民衆』講談社現代新書、2018年

国際日本文化研究センターの一般公開シンポジウム「日本史の戦乱と民衆」(2017年10月)をもとに、ディスカッションを加えて作られた本。

2018年3月8日にクレインス氏の講演を聴いてオランダ商館の史料を使った話が新鮮だった。今回も、1614年8月4日から1616年12月29日までの平戸オランダ商館長か受け取った書簡を使った話で、大坂冬の陣と夏の陣が伝えられていた。オランダ人が堺など商売先に来ていて現地の情報を報告したていた。このあたりはイエズス会の報告しか知られていなかった。

大坂夏の陣図屏風(大阪城天守閣所蔵)がアントワープの大虐殺(アムステルダム王立美術館所蔵)の銅版画に似ているという指摘や、徳川軍の乱取りが行われた状況について、家族を伴った大坂方の牢人が冬の陣で空き家になった家を占拠していたとからと想像すると分かりやすい。

磯田道史氏は禁門の変の庶民の回想を扱った『京都日出新聞』の「譚淵 甲子兵燹(かっしへいせん)」という連載(1900年9月から10月)を取り上げて、同時代の一次史料を絶対視する見方を批判して、「同じ時代を生きた人の証言であれば、のちにその当時を回想して語った記録の方が同時代史氏よりも事実を語っているということもあります」(P89)として示した。一次資料の記述だから正しいという訳ではない。

京都に火を付けたのは、証言によれば、屋敷に火を放った長州はもとより、会津、桑名、薩摩が長州兵を追って火を放ったことが大きな原因で「どんどん焼け」となった。会津と桑名が一橋中納言の下知で放火したことで京都の町衆、公家や大名の恨みをかったとある。

呉座勇一氏は足軽の定義が難しいということから始め、土一揆の性格を論じていた。

倉本一宏氏は白村江の戦いついて、テレビで話した内容と同じことを書いていた。

このあと、座談会が二部と三部にあり、三部では井上章一氏も登場するのだが、時間切れである。




2018年9月11日 (火)

『古代の朱』(2005)その2

松田壽男『古代の朱』ちくま学芸文庫、2005年、2017年第2刷

古代朱砂産地の露頭は点在的であり、露頭部を取り尽くすと竪坑になる。当時は排水技術が無いため、地下水位に達すれば竪坑は廃止される。

丹生氏は『新撰姓氏録』の載る古代の名族である。丹生氏は朱砂を求めて全国へ移住した。古代の安房国を例に説明している。安房国に丹生川がある。平久里川があって平群郡が置かれていた。奈良からの入植がその他の地名に残っている。松田氏は地名に丹生の名前が残っているものを45箇所あげている。松田氏は先に和歌山の高野山系の丹生神社を除いて丹生神社を47数えている。ただし、重複があり総数は46である。これら土地の試料の水銀の含有量を調査している。

丹生氏の植民で水銀の女神(ニウズヒメ)が祀られていた。しかし、水銀が採取できなくなると、別の土地へ向かう。その間に、水の女神(ミズハノメ)となって水分(みくまり)という水の配分を掌る神となったり、中国的な雨師であるオカミ祭祀に変わっているところもあるという。祀りこんだ水がね姫がどういう神なのか、わからなくなって、「淫祠」という悪名を掲げられて捨てられた丹生神社が岡山県に2例ある。神捨場があったという。大多羅寄宮趾だ。

松田氏によると、ニウズヒメを祀る丹生神社が減るのは、水銀の産出が忘れ去られたことによる。天武天皇による神武天皇を顕彰した丹生川上神社はニウズヒメからミズハノメへ変身したという。高野山系の丹生神社は高野明神と丹生明神のセットで祀られた。

私が見たのは丹生都比売神社であった。祭神は丹生都比売大神、高野御子大神、大食津比売大神、市杵島比売大神の4柱である。

『丹生都比売神社史』(2009)を読んだときは、丹生氏の理解が十分でなかった。松田氏の本を読んだので、丹生川上神社と丹生都比売神社の関係がすっきりした。

2018年9月10日 (月)

東都手帖2018年10月【編集中】

東都手帖2018年10月【編集中】

2018年10月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

神無月の頃、燈火のもとで本を読む。それだけで良い。あと少しは、絵を眺めてみたい。

特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」東京国立博物館、2018年10月2日(火)〜12月9日(日)

禅僧の交流 根津美術館 2018年9月1日(土)〜10月8日(月)

2018年9月 9日 (日)

四都手帖2018年10月【編集中】

2018年10月の私的な愉しみと記憶

神無月の頃、夜は長くなり、そして哀しくもなります。兼好は人恋しくて歩いたのでしょうか。花街は締めくくりの踊り季節になりました。毎週のように忙しかった時も今はありません。記憶は作られ再構成されます。無に帰るにしても、常に不安を感じて時間旅行を続けるのが人生なのでしょうか。馴染みの小料理屋で亭主と話しながら酒を飲めば、また明日から働ける元気がもらえます。

【古都】
台風21号の被害があちこちで報告され、観光にも影響が生じています。樹木の被害が大きいので樹木が多いところは復旧(安全確認)に時間がかかりそうです。岩屋山志明院も甚大な被害がでたとtwitterの報告があり、道も通行止めだといいます(9月5日)。
平野神社も甚大な被害でしばらく境内立入禁止だといいます(9月5日)。twitterでは8日でも復旧していません。東門からの参拝が可能になりました(9月14日)。
鞍馬寺もしばらく拝観中止(9月6日)。
醍醐寺の金堂と三宝院の屋根瓦が落下。三宝院は7日から拝観再開しましたが、上醍醐、伽藍・霊宝館は拝観停止中です。
伏見稲荷の千本鳥居が傾き一部通行止め。稲荷山登拝中止。
大覚寺は板戸や襖が外れる被害が出て、拝観は当面中止。観月の夕べ(22〜24日)も中止。
そんな悲しいニュース(9月7日京都新聞)を見たあと、届いた踊りの番組を見れば、彼女達の字も上達しているのでした。

◯温習會 京都造形芸術大学春秋座 2018年10月1日(月)〜6日(土)
みずゑ会 宮川町歌舞練場 2018年10月11日(木)〜14日(日)
寿会 上七軒歌舞練場 2018年10月8日(月)〜13日(土)
水明会 先斗町歌舞練場 2018年10月25日(木)〜28日(日)

時代祭にはそれほど興味がなかったのでほとんど見ていません。見知った芸妓さん舞妓さんがでるという話を聞いた時に観に行ったくらいです。夜の鞍馬の火祭は帰りの交通機関を含めて気になります。22日(月)なので今年は難しいです。そういえば2017年の時代祭は台風21号で中止でした。
台風被害で今年の鞍馬の火祭が中止になった。

特別展 京(みやこ)のかたな 匠のわざと雅のこころ 京都国立博物館 2018年9月29日(土)〜11月25日(日)

【湖都】

滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。2019年3月31まで展示予定はありません。

大津祭 大津市街地 2018年6日(土)宵山、7日(日)本祭 曳山が懐かしい。

本尊大開張 櫟野寺 2018年10月6日(土)から12月9日(日)秘仏十一面観世音菩薩坐像を2016年9月に東京の国立博物館で観たとき、33年に一度の大開張の予告があったのを覚えている。ついにその時が来た。

関連する記事
櫟野寺の大観音


【旧都】
秋は正倉院展できまり。

第70回正倉院展 奈良国立博物館 2018年10月27日(土)〜11月12日(月)

【水都】
プーシキン美術館展 国立国際美術館 2018年7月21日(土)〜10月14日(日)

特別展「高麗青磁ーヒスイのきらめき」東洋陶磁美術館 2018年9月1日(土)〜11月25日(日)

ルーブル美術館展 大阪市立美術館 2018年9月22日(土)〜2019年1月14日(月)

「第Ⅳ期 ほとけの世界にたゆたう」中之島香雪美術館 2018年10月6日(土)〜12月2日(日)朝日新聞の創業者の村山龍平(香雪)のコレクションは凄かった。

いっとかなあかん店、ありませんかね。




編集
2018/09/14 平野神社の状況を変更。東門からのみ参拝可能。
2018/09/25 鞍馬の火祭中止
2018/10/01 櫟野寺の本尊十一面観世音菩薩坐像 大開張
2018/10/08 中之島香雪美術館の開館記念展を追加
2018/10/21 京のかたな展を追加(記録として)

2018年9月 8日 (土)

『古代の朱』(2005)

松田壽男『古代の朱』ちくま学芸文庫、2005年、2017年第2刷

朱に興味がある人は読むことをお勧めする。私は丹生に興味があり、朱と丹生も水銀のことであり、水銀の文化史としてこの本は面白いと思った。松田壽男が調査した土地が手書きで立体式に表現した地図となっていて、見ているだけでも楽しくなる。

書誌情報を載せておく。
『松田壽男著作集』第六巻(人間と風土』、六興出版、1987年7月25日刊行)から三篇を抜粋したもの。
古代の朱
即身仏の秘密
学問と私

白洲正子を読んで、丹生都比売神社へ行った時より、丹生に興味をもったので、古代の朱5章以下は読まずには寝られないところだが、眠くなったので、続きは明日以降にしょう。

5 日本のミイラ
6 水銀の女神
7 丹生氏の植民
8 水がね姫の変身
9 漢字から生まれた神
10 丹生高野明神
11 丹生と丹穂
12 石鏡を考える



2018年9月 7日 (金)

元興寺

週刊新潮の「とっておき私の奈良」ジャズピアニストの山下洋輔氏の3回目は「元興寺」でした。極楽堂・禅堂の屋根瓦に感嘆する山下洋輔氏でした。元興寺の本尊は智光曼荼羅です。相方が買い求めていたのを思い出しました。

プラス1は「御霊神社」でした。元興寺の鎮守社です。寺+鎮守のパターンが多いですね。

2018年9月 6日 (木)

『植物の世界』(1950)

日本植物学会編『植物の世界』共立出版社、1950年、PDF、92P

新制中学生のための植物学の課外読物として作られた本がPDFとして日本植物学会のページで入手できる

漫画もあって楽しい読物となっている。
昭和25年(1950)の文章でり、「あります」調のため少し古めかさを感じる。

高山植物はなぜ美しいか

「高山では茎や葉は小さくなりますが、花は比較的大型であります。しかし、花の形が平地のものより大形であるというのではなく、茎葉に比べて大形なので、特に目立つのです。花の色が鮮やかなのは強い光の影響で、フラボンや花青素の形成が盛んなためであります」。

高山植物と平地の植物を比較している。茎葉と花の比率が花をより目立たせ、花の色がより鮮やかだという。「花はなぜ美しいか」を問うものではない。こちらは『花と木の文化史』(中尾佐助、1986年)で問われていた。







2018年9月 5日 (水)

「戦国期・豊臣政権期京都の御霊祭」

河内将芳「戦国期・豊臣政権期京都の御霊祭ー文禄五年を中心に」日本歴史学会編集『日本歴史 2018年9月号』吉川弘文館、2018年

御霊祭について、先行研究に言及することから始まる。本多健一氏の一連の研究で「御霊祭が下京の祇園会と比肩しうる上京の祭礼としてみとめられる」という。室町第に近いことでもあり、御輿と風流で賑わったとみてよい。注をみて『中近世京都の祭礼と空間構造』(吉川弘文館、2013年)をチェックした。

戦国期の上御霊社と下御霊社にはそれぞれ御旅所があり、7月18日が「御霊御輿迎」で8月18日が「御霊祭」となり、両日をはさんだ30日のあいだ、御輿は御旅所に滞座することになっていた。祇園会は御旅所へ渡御するのは同じだが、7日間である。

秀吉時代の文禄5年(1596)の相論を河内将芳氏は取り上げる。本多氏が論じていない時期である。

相論は御旅所の若代(わかしろ)が閏7月がある場合に神輿の還幸を30日後とせず、月を基準とした8月18日と主張して留めため、上御霊社側は滞座は30日間と主張して訴訟に及んだ。

相論は慣行により上御霊社別当が勝訴する。古来より30日と決まっている理由による。御旅所若代が守護する御旅所について、上下の御旅所が中御霊に移った後なのか前なのか判断がつきかねているという。史料不足につきやむをえないところだ。

現在の上御霊神社の御霊祭は毎年5月1日に神幸祭(社頭の儀)が行われ、5月18日還幸祭(渡御の儀)が行われている。御霊祭かがり火コンサートが2015年から中止になったのは寂しい限りだ。ちなみに、下御霊神社は5月1日に神幸祭、5月20日(日)に還幸祭をしている。還幸祭を日曜日にしている。




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