2019年2月20日 (水)

『京都思想逍遥』(2019)

小倉紀蔵『京都思想逍遥』ちくま新書、2019年

著者が京都大学の授業で「悲哀する京都」をテーマとした文献を読みながら、学生を連れて逍遥したという(謝辞 P293)。

著者は「京都」を「悲哀するひとびとの記憶の集積したまち」(P022)という。そして記憶にはフィクションを含むという。なるほど、源氏物語の所縁の地というものである。

著者が「悲哀する」とは「悲しむことそのものではない。生を、その極限まで生ききることである。その一瞬の極限に、生の絶頂をかがやかすことなのである。そのはかなさを生ききることが、悲哀することなのだ」(P023)という。

著者はヒュームの「わたしとは、知覚の束である」という言葉をとりあげ、「わたしは知覚像の束である」と言い換える(P014)。そして、「この知覚像の闘争的なひしめきあい、そのはたらきを、わたしは<たましい>と呼んでいる。そしてその<たましい>に、なにか特別に生き生きした感じをうけながらそれに気づくとき、ひとはそれを<いのち>と呼ぶのだろう」(P015)。

「あらゆる土地には、その土地の歴史にまつわるさまざまな知覚像が立ち現われる」(P015)。だから、「古典から現代までの文学作品を読みこんで、その日本語の知覚像をよみかえらせながら京都を歩けば、生き生きとした<いのち>と遭遇する可能性は高まる」(P016)。

「七条大橋をわたるとき、源融の栄華と無常感を、わたしのこころのなかに谺させる。そのときわたしのこころはすでにわたしの内部にあるのではなく、まさに時空を超えて先年以上前の六条河原院にあるのだ」。「それが能の世界でいう夢幻である。夢と現実が、こころという場で混淆する。この混淆を、祈りという」(P016)。

「すべての祈りは、学問に通じていなくてはならない。なぜか。(省略)、間違った知識にのっとって祈ることは、間違った世界を構築することになる」(P017)。

著者は、能の「融」のシテよろしく鴨川を六条正面通辺りから東南に向かって幻視するのである。

「このあたりを歩くとき、わたしの身体に変化が起こり、突然目のまえに藤の森や深草や伏見あたりの景色が見えるような感じにとらわれるのだ」(P014)。

こうして、九鬼周造、尹東柱、道元、三島由紀夫の『金閣寺』の溝口らの<たましい>が呼びだされていく。

2019年2月19日 (火)

『沖縄の聖地 御嶽』(2019)

岡谷公二『沖縄の聖地 御嶽 神社の起源を問う』平凡社新書、2019年

このシリーズも4作目となった。
神社を起源を訪ねる旅として読んできたので、御嶽(うたき)の起源を沖縄、済州島、慶州への旅として楽しむことにしよう。

第1章 御嶽とは
第2章 御嶽遍歴
第3章 御嶽と神社
第4章 貝の道
第5章 済州島
第6章 新羅の森

2019年2月18日 (月)

ベルリンの壁の向こう側

ZERTIFIKAT Original Berliner Mauerstein

若者からベルリンの壁の土産をもらった。
ベルリンのレンガはドイツの歴史のピースである。
vom 13. August 1961
bis 9.November 1989.

ベルリンの壁が壊される前について思い出すのは、スティーヴン・L・トンプソン、高見浩訳『A10-奪還チーム出動せよ』(新潮文庫、1982年)で東ベルリンのアメリカ軍の駐在地のベルリン・パトロールの活躍だった。手に汗握るカーチェイスが東ドイツを舞台に繰り広げられる。バーでの会話が冒険小説だった頃があった。




2019年2月17日 (日)

テクスト選びから始める。

小林勝次訳『孟子(上)』岩波文庫、1968年、2003年第46刷

古典を読む場合テクストをどう選ぶかは悩ましい。注なしで読めるものではないが、新しければよいというものでもない。谷沢永一が取り上げていた本は今では入手が難しくなってしまった。図書館でパラパラめくって比較できればよいかと思ったが、そもそもテクストをいく種類も置けないのが図書館である。古書店を歩きまわるか、谷沢永一の挙げている本を通販やオークションで入手することになるのだろうか。

さて、『論語』はテクストとして岩波文庫の金谷治訳注が手頃だ。そして、子安宣邦氏の『思想史家が読む論語』(岩波書店、2010年)で朱子、伊藤仁斎、荻生徂徠、そのほかの読みを比べるのがいい。そして、朱子の読みが気に入ったなら土田健次郎訳注『論語集注 1〜4』(東洋文庫、2013年〜2015年)がある。土田健次郎氏が朱熹のテクストに対し、読み下し、現代語訳、そして伊藤仁斎『論語古注』、荻生徂徠『論語徴』の解釈を併記させた訳注本である。私は1巻を手に入れた。続巻が出るまでに、子安宣邦氏の市民講座を毎月聴くようになって、子安宣邦氏が『論語』に対して伊藤仁斎の解釈を取り上げ、荻生徂徠や吉川幸次郎の解釈をあげたうえで子安宣邦氏が評釈をしていた。『論語』読みにはぴったりだった。子安宣邦氏の市民講座が面白かったので本になった『仁斎論語 上下』(ぺりかん社、2017年)を時々読み返している。

さて、問題は『孟子』である。適当なテクストが何なのか分かっていない。『論語』と違って『孟子』は馴染みが薄い。朱子の注でよいのであるが、選んだ本は趙岐の古注であった。小林勝次の『孟子』は上巻と下巻で厚さがかなり違う。上巻264頁、下巻514頁。読んで行くと編集方針が異なっていることが分かる。もともと、『旧版』の訓読を元に今回、口語訳に改めたのが『新版』であり、訳文を付けている。その経緯はあとがきに書いてあった。

「注釈は『旧版』の脚注のように、普通一般に行なわれている説や異説などは殆ど略して紹介せずに、ただ訳注者の採る説や訳注者の私見つまり結論のみを述べておいたが、この「上巻」の簡略な結論だけの記載法に対して友人や読者などより強い要望もあるので、「下巻」では結論だけではなく、一般の通説や異説などもかなり詳しく載せ、且つ必要に応じて訳注者の私見も述べて、読者の理解の便に供することにした」(下巻、513頁)

何と上巻の反応を見てから編集方針を変えたのだ。大らかである。しかし、上巻はどうしてくれるのだ。「適当な機会に「上巻」の方も若干注を増し加えて「下巻」と足並みをそろえたいものである」という言い訳が514頁に残されている。

上巻
梁恵王章句 上下
公孫丑章句 上下
勝文公章句 上下

下巻
離婁章句 上下
万章章句 上下
告子章句 上下
尽心章句 上下

もともと、フランソワ・ジュリアン著、中島隆博・志野好伸訳『道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ』(講談社学術文庫、2017年)を読むための参照テクストとして買ったのであるが、注のポイントが小さいので明るくないと老眼には優しくない。しばらく、通勤電車で読むことになる。




2019年2月16日 (土)

TSUNDOKU ZINE vol.1 は読ませる

TSUNDOKU ZINE vol.1 2018年

積読本を紹介する冊子を甘夏書店で購入した。

『冬虫夏草』梨木香歩
『白百』原研哉
『徳川制度』上・中・下・補遺 加藤貴校注

紹介されていた45のタイトルの中で、私が知っているは上記の本だった。残念ながら私の場合は積読本ではない。『徳川制度』は中卷以降は買っていないので、積読本にならないのが幸いだった。読まない本を紹介することは当然できるし、私の場合は、読みながら、読んだところまでとかで本のことを書いているので、読み続けて書きたくなることがでてくれば、その2とかその3とか書き継いでいる。もっとも本を紹介するつもりは特にないので、たまにおススメであるとか書いたりするのは自分の感動の表現の仕方である。要は本を読んでも忘れてしまうので、どんな本だったかよりどこが面白いと感じたかをメモすることが重要だと思っている。そこで試しに検索してみたら、なんと記憶は裏切るもので、『徳川制度』中巻が購入図書の中あるではないか。しかし、読んでいない『徳川制度』中巻については何も書くことができないのであった。というわけで積読本について書いてしまったのである。



2019年2月15日 (金)

『神道の虚像と実像』(2011)

井上寛司『神道の虚像と実像』講談社現代新書、2011年、2018年第4刷

第1章 「神社」の誕生ーー古代律令制国家の模索
第2章 「隔離」にもとづく「習合」ーー「神道」の成立
第3章 近代国家と民衆ーー「神道」論の新たな展開
第4章 宗教と非宗教のあいだーー「国家神道」をめぐって
第5章 戦後日本と「神道」ーー民族の「自画像」

神社に関する定説を批判するところから始まる。
「いちばん検討しなければならないのは、「神社」という呼称・用語そのものが、律令制成立過程のなかで新たに生まれたものであって、それ以前にはさかのぼらないということである[西田長男 1978]」(P24)。
注)西田長男『日本神道史研究 第8巻 神社編上』(講談社、1978年)

2019年2月14日 (木)

『源頼朝 武家政治の創始者』(2019)

元木泰雄『源頼朝 武家政治の創始者』中公新書、2019年

また、漫然と本を読む季節になった。花粉の飛ぶ時期は考えることが億劫で、薬のせいで眠い。メモを取りながら読むことができない。したがって漫然と読み、気になったら、調べごとするのである。

元木康雄氏の河内源氏ものである。前著で河内源氏の血に塗られた系譜が明らかにされた。読み返したいところであるが、どこにあるのか分からない。

本書は本文279頁、はじめにとあとがきが前後に付いて、主要参考文献と源頼朝略年譜からなる。目次は詳細であるが、索引はない。一般書である。

平治の乱について、元木泰雄氏は「慈円(省略)が著した歴史書『愚管抄』は、義朝が申し入れた縁談を信西が拒絶したことを遺恨として挙兵したとする」(P23)が、「挙兵のきっかけは、平清盛が熊野参詣に出かけ、京都を留守にしたことにあった。その直前、信西の三男藤原成徳(省略)と平清盛の娘が婚約しているが、これは信西が清盛の武力を組織する可能性を示しており、武力で信西に優越していた信頼に不安を与えたことが性急な蜂起の一因であろう」(同)としている。
「なお、義朝の挙兵の原因を慈円の言葉通りに縁談拒絶など信西に対する遺恨という、個人の思惑に求める、まるで御伽噺のような理解や、信頼と義朝の連携を見当はずれの論拠でなんとしても認めたがらない暴論が蔓延っていることには呆れるばかりである。武士と貴族とを対立する階級とする、古めかしい観念の呪縛の強さを痛感せざるをえない」(P24)

元木泰雄先生お怒りである。

しかし、これは本論ではない。「河内源氏嫡流にして、鎌倉幕府の創始者である源頼朝の生涯と、政治的役割を再検討」(はじめに v)するのが目的である。



2019年2月13日 (水)

『滝から滝へー日本・滝紀行』(1982)

永瀬嘉平『滝から滝へー日本・滝紀行』岳書房、1982年

本を開いたらmeikidoの栞が挟んであって、何処で買った本だかすぐに分かった。御茶ノ水にあった茗渓堂だ。山の本は大概ここで買っていた。山岳会の会報も置いてあった。

栞は「ゑ・さわのひとし」とあった。沢野ひとし画伯(椎名誠流)のイラストである。なんか得した気分になる。

永瀬嘉平氏の『かくれ滝を旅する』(世界文化社、1991年)を読んだのは随分前だと思っていたけど、『滝から滝へ』(1982年)はもっと前の本だった。

團伊玖磨が「滝に憑かれた男」を前書きに書いていた。写真集『滝』(1977年)にも團伊玖磨が同じタイトルの小文を載せたといっている。『滝』も観たくなったが、大型本では始末に困るので、諦める。

第1章 滝から滝へ
第2章 滝の話

第1章の滝の紀行は「大峰山中遭難行」など読んだことが思い出された。「恐怖の中で見た賀老の滝」は人喰い羆に怯えながら歩いた林道のことが書いてあり、7年半後には『かくれ滝を旅する』で懲りずに再訪している。2冊の本は絶妙に繋がっている。第2章の滝の話はとってつけたようだけど、興味深いタイトルもある。「『山家集』の滝」、「竜門の滝と本居宣長」。何故か『山家集』が手元にあることだし、まずはパラパラとめくって楽しむことにする。



2019年2月12日 (火)

東都手帖2019年03月【編集中】

2019年03月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

弥生も末の7日といえば、旧暦3月27日。『おくのほそ道』で芭蕉があけぼのの空瓏々とする中を旅だっていく。新暦で生きている我々は江戸の旅はできないけれど、その分、花見を味わうことができる三月である。

「生誕130年記念 奥村土牛」展 山種美術館 2019年2月2日(土)〜3月31日(日)

特別展「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅 東京国立博物館 2019年3月26日(火)〜6月2日(日)

2019年2月11日 (月)

四都手帖2019年03月【編集中】

2019年03月の私的な愉しみと記憶

松明の火の粉が夜空を舞うと、京都や奈良に春が来る。
弥生は小料理屋のカウンターで桜の声を聞く時期だ。

水都にもフェルメールが来た。

湖東に春が来る。
長浜盆梅展についての懐かしい記憶がよみがえる。
長浜盆梅展を観に行く

【古都】
涅槃会 真如堂 2019年3月1日(金)〜31日(日)
涅槃会 本法寺 2019年3月14日(木)〜4月15日(月)
涅槃会及びお松明式 清凉寺(嵯峨釈迦堂)2019年3月15日(金)20時
北野をどり 上七軒歌舞練場 2019年3月25日(月)〜4月7日(日)
はねず踊りと観梅 随心院 2019年3月31日(日)

いっとかなあかん店に行きたいね。

【湖都】
滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。2019年3月31まで展示予定はないという。

長浜盆梅展 慶雲館 2019年1月10日(木)〜3月10日(日)

【旧都】
修二会(お水取り)東大寺二月堂 いわゆるお松明 2019年3月1日(金)〜14日(木)

特別陳列「覚盛上人770年御忌 鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」奈良国立博物館 2019年2月8日(金)〜3月14日(木)

【水都】
フェルメール展 大阪市立美術館 2019年2月16日(土)〜2019年5月12日(日)

2019年2月10日 (日)

『空海入門 弘仁のモダニスト』(2016)再読

竹内信夫『空海入門 弘仁のモダニスト』ちくま学芸文庫、2016年

空海を『三教指帰』『請来目録』『性霊集』『高野雑筆集』を使って読み解いていく本であった。著者に導かれて再読した。そういえば、竹内信夫氏の『空海入門 弘仁のモダニスト』を最初に読んだのは1997年刊行したちくま新書版の第4刷を底本にしたkindle版(2014年)だった。2015年2月に『空海の思想』(ちくま新書、2014年)を読んで、『空海入門』が書店で見つからなくて、2015年3月にkindle版で読んだ。ちくま文庫版は2017年3月に手に入れて読んだ。これが研究所の玄関先に積んであった本の中にあった。出がけに読み始めたわけで、どうりで思想である『即身成仏義』、『声字実相義』などが出てこないわけだ。

2019年2月 9日 (土)

『和歌とは何か』(2009)その7

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

終章ーー和歌を生きるということ

終章を読んで長かった読書も終わった。電車の時間で読んでいるので細切れになったが、私にとって新奇な話が多かったので、結構楽しめた。おススメ本といってよい。

近代短歌は自分の気持ちを素直に表すものだと思っていたが、気持ちをそのままぶつけても詩にはならないと思っていた。和歌が「現実の作者」とは異なる自分、「作品の中の作者」を意識した表現と捉えると、著者のいう演技というのが腑に落ちてくる。

現代短歌にも虚構が入るのは俵万智氏の『サラダ記念日』も同じで、「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」は「褒められた料理はカレー味のから揚げであり、その日は「七月六日」でもなかった」(P14)と書いてあった話を思い出した。正岡子規の俳句である「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」も何時ぞや読んだ本では、東大寺の鐘の音だと指摘があった。法隆寺で詠んだ実景の句ではない。だから、現実の出来事と詩という作中の真実は異なってよい。子規の写生にも取捨選択はあった。子規の句が夏目漱石への返礼の句であるとすれば、すでに詠んだ東大寺の鐘でないほうが気持ちは伝わるのだ。

歌が「心」を現すことだとしたら、捉えどころのない心をどう表現したらよいのだろうか。作家が「花や月の美しさを表現する」(P227)とき、心が社会化すると著者はいう。「それはすでに個人的な感情ではない。花月に感動することそのものが、宮廷人としての資格を表すのであり、それを表現するとは、宮廷人の思いを望ましい形で代弁する行為である。だから、風物への感動の表現とは、演技されるもにのにほかならい。ただ感情をストレートに表せはよいというものではないのである」(P229
)。和歌とは宮廷人のものであった。

ここまで読んできて、自分がラブレターをほとんど読んだことがないことに気がついた。気持ちを伝えるというのは難しい。これは時候の挨拶をするように、コミュニケーションの型がないと成立しない。自分の気持ちをどう伝えるかは、何時でも悩ましい。色々と書簡集を読んできたが、立派な人達のものだけにラブレターは入っていないか、読むのが恥ずかしい気持ちになるかして読み飛ばしてきたのだろうか。英語でラブレターのようなものは書いた気がする。それを送ったかどうか記憶はすでに定かでない。

注)森敦の『天に送る手紙』(1990年)がラブレターであろう。

2019年2月 8日 (金)

『日本の思想1 最澄・空海集』(1969)

渡辺照宏編『日本の思想1 最澄・空海集』筑摩書房、1969年、1976年第6刷

手元に『高野雑筆集』とかないと不便だなと思って、事務所行って本棚を探したら、『最澄・空海集』の中に「高野雑筆集(抄)」があった。書き下し文であり、原文が付いていないのは一般書だから仕方がない。隠居したら、仕事の本を片してここに何を置くか一瞬考えたが、空海の資料はDVDなのでそれほど場所をとらないのだった。今更、全集を買っても読む暇がないのは分かっているので、調べたいことはメモにして、優先順位に任せることにする。

最澄集
願文
山家学生式
伝教大師消息(抄)

空海集
三教指帰
秘蔵宝鑰
高野雑筆集(抄)

付録
聖徳太子
十七条憲法

対談は渡辺照宏と梅原猛

今日は渡辺照宏の解説を読んで仏教思想史のにおける最澄と空海の極端に異なる個性を確認するに留めた。

2019年2月 7日 (木)

「辞本涯」の語感

竹内信夫『空海入門 弘仁のモダニスト』ちくま学芸文庫、2016年

竹内信夫『空海入門 弘仁のモダニスト』(2016年)を読み返して、DVDを見始めてしまった。そもそも、空海が高野山を創建するときに冬の高野山を「山高雪深、人迹難通」と形容した手紙が「高野雑筆集」あると竹内信夫氏が書いていたので、私のイメージはそれであった。だから、『五大』(2004年)のDVDはちょっと残念だった。くさった雪の映像では満足できなかったのである。雪山を登ってきた眼からすれば、雪の鮮度くらいは分かる。やはり何度見ても冬の高野山の雪がいい。高野山に1メートルも雪が積もることもあるというテロップも記憶にある。

こうしてDVDを見るというより聴きながら読んでいる。声明だったり、般若心経だったりずっと繰り返している。BGVシリーズのようだ。

竹内信夫氏は空海の足跡を追って、五島列島の福江島柏崎に行って、石碑を見たという。それは三文字で「辞本涯」とあり、空海の言葉から取られたという。空海の乗った遣唐使船が帆を上げた光景が蘇ってくるような描写であった。本涯を辞すとは、本州の果てに来たという認識だろうか。李白の「早発白帝城」の朝辞白帝彩雲間 千里江陵一日還の「辞」を思い出すのは漢詩のレパートリーが少ないせいだろう。

2019年2月 6日 (水)

『五大 地・水・火・風・空 高野山・紀伊山地の霊場と参詣道』(2004)

永坂嘉光『五大 地・水・火・風・空 高野山・紀伊山地の霊場と参詣道』GPミュージアムソフト、2004年、DVD42分

竹内信夫氏の『空海入門 弘仁のモダニスト』(2016年)を読み返していて冬の高野山が見たくなって、封を切る。永坂嘉光氏の写真150点とビデオである。東寺に行ったとき、永坂嘉光氏の写真展「空海の歩いた道」(2008年)が開催されていて、その時求めてから10年間もほっておいた。まあ、そんなのばかりなので驚くほどではない。

雪の大峯奥駈道を修験者に無理矢理歩かせた感がある出だし、熊野参詣道はちょっと雪に獣の足跡を写したら、巡礼の姫御前を登場させる。イメージガールは間に合っているのであるが、雪の残る道を歩かせているのでかろうじて受け入れている。

熊野の霊場のあと雪の高野山町石道が出てくる。ここから五大が始まる。写真をDVDにしているので、繋ぎの映像と合わない。雪の写真が何枚か出てくるので、高野山の冬をイメージしたいが、切り取ったシーンを次々に見せるだけでは、写真集で見たほうが落ち着ついて自分のペースで見ていられる。写真を動かすのはニセモノ感が強い。静物を映しても映像には時間があるのである。

やはり、冬の高野山を味うには『virtual trip 高野山』(2008年)の第1章が私のイメージに合う。雪が降るのは映像で見るに限る。ナレーションも要らない。字幕で十分だ。大塔の中の荘厳に酔う。堂本印象の菩薩絵が16本の柱に描かれている。常楽会の声明が2月の夜に厳かに響く。冬から始まるのは正解だと思う。




2019年2月 5日 (火)

「渉覧山水」ということ

竹内信夫氏の『空海入門 弘仁のモダニスト』(ちくま学芸文庫、2016年)を読み返していて、冬の高野山が見たくなった。以前、暮れに行った時は、寒かったけど、雪は降らなかった。霊宝館が冬休みで閉まっていた。壇上伽藍のある盆地の西の端にある大門から東の奥の院のある盆地の弘法大師御廟まで見てきた。そして、京都まで戻って、先斗町の居酒屋でいつものように飲んでいた。

注)冬の高野山参照

竹内信夫氏が「渉覧山水」ということを書いている。逍遥という言葉は知っていたけど、渉覧は知らなかった。空海の言葉だという。山の懐に抱かれるようにして歩き廻るイメージがある。ヨーロッパアルプスの岩山の登山(Peekを登り返す)と違い、日本の山は森林に覆われているから、沢登りして山頂に至るまでどちらかというと登山というより山歩きである。岩と氷(雪)に対して深林と水(滝)の世界だ。『山と渓谷』という雑誌のタイトルが日本の山には相応しい。空海は山林斗藪(さんりんとそう)の修行をしたことで高野山を知ったのだろうか。山に入るとは道無き道を行くことである。登山道が整備されていなければ尾根道は歩けやしまい。普通は谷筋を詰める。それでも最後に藪が出てくることが多い。藪漕ぎをした経験からは渉覧というような軽やかな言葉は出てこないと思う。視界はなくただただ辛い思い出しかない。もっとも、藪漕ぎ大好き人間もいないではないが。

荷を担いだ縦走は無理であるが、山と一体になれる山歩きはまだ出来るような気がした。登頂を目指すのではなく山に居ることを愉しむのだ。竹内信夫氏は高野山に住んだことで、「高野」の「平原の幽地」を思い描いて歩けるようにまでなったという。例えは違うが、私が洛中をイメージして京都を歩くのと同じように何度も歩いて身体感覚で把握したのだろう。羨ましい限りだ。





2019年2月 4日 (月)

「酒呑童子絵巻」を観に根津美術館まで

根津美術館に「酒呑童子絵巻 ー鬼退治のものがたりー」を観に行く。

室町時代の酒呑童子絵巻は残念ながら1巻しかなく、これからというところが見れない。江戸初期の伝狩野山楽の3巻本は色がよくなかった。19世紀の住吉弘尚の8巻本は酒呑童子の誕生から始まっており興味深い。伊吹明神と郡司の娘の間に生まれ、酒が好きな童子として描かれて、比叡山に預けられるが、酒を飲んで狼藉したことで最澄によって追放された。それから調伏されて後が私の知っている酒呑童子である。源頼光は朧谷寿先生の本で読んだけど、大国の受領を歴任し、藤原道長に仕えた軍事貴族であって、武勇の話はなかった。オーディオガイドを聴いていたら、絵の継ぎ順が違っていて、毒酒に酔った酒呑童子を侍女達が鎖に繋ぐ絵が前後したという。文字が細くて読みにくい絵巻である。その後に見た本阿弥光悦の「和漢朗詠抄」がよかった。庭を散策したが花に乏しい季節であった。

注)朧谷寿『源頼光』(吉川弘文館、1989年)は『清和源氏』(1984)の中で紹介した。

渡辺照宏によると「最澄は弟子の光定への遺言で酒を飲む者は山を去れといっている。『顕戒論』でもそういっている。」(渡辺照宏「最澄と空海の思想」『日本の思想1 最澄・空海集』筑摩書房、1969年)

2019年2月 3日 (日)

上田惇生氏逝く

上田惇生氏が2019年1月10日に亡くなられた。知人のFBを読んで初めて知った。ドラッカーは上田惇生訳で読んできたから、良くも悪くも影響は大きい。上田惇生氏編訳は評判が悪いのでほとんど処分してしまったが、『テクノロジストの条件』(2005年)は課題図書だったので残している。ご冥福をお祈りする。

2019年2月 2日 (土)

『和歌とは何か』(2009)その6

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

後半は行為としての和歌である。するする読んでしまう。

Ⅱ 行為としての和歌
第1章 贈答歌ーー人間関係をつむぐ

贈答歌はその解釈が難しいのであるが、著者は、和泉式部と敦道親王、慈円と頼朝、頓阿と兼好などを取り上げてその醍醐味を味あわせてくれる。

第2章 歌合ーー捧げられるアンサンブル

歌合は何故か読み通したものがない。有名な組合せが出てきて、懐かしくなるが、解釈は難しい。

第3章 屏風歌・障子歌ーー絵と和歌の協和

屏風歌・障子歌は著者が主張する儀礼としての和歌ということができる。

第4章 柿本人麻呂影供ーー歌神降臨

白河院の寵臣である藤原顕季(あきすえ)が「柿本人麻呂影供(えいぐ)」を始めたとある。『古今著聞集』第178話に「柿本人麻呂影供」のさまが語られているという。人麻呂の画像を掲げて、供物を捧げる儀式である。調べてみよう。

第5章 古今伝授ーー古典を生き直す

「教えることを相伝、教わることを伝受といい、だから正確には「古今伝受」だともいうが」(P203)としたうえで、本書では一般的な「古今伝授」を使っている。

古今伝授の内容は知らなかったが、単なる権威主義的な秘伝ということではないようだ。

2019年2月 1日 (金)

『戦国大名と国衆』(2018)

平山優『戦国大名と国衆』角川選書メチエ、2018年

平山優先生の最新刊である。前回の本に比べて薄いにも関わらず読むとすぐに眠くなるのは、最初に出てくる用語の定義のせいである。これを越えないと先に進めない感じがするのが、「論」のせいで、『武田氏滅亡』(2017年)のように武田勝頼の生涯を扱った本と違って「国衆」の特徴を明らかにすることが目的だからである。戦国大名の歴史を扱うのと権力構造を扱うのとでは大分、論の進め方が違うのである。

第1章では「国衆」、次に武田氏の場合を例に「先方衆」を取り上げ、なぜ「戦国領主」という概念を使わないで「戦国大名」を使うのかを説明する。第2章では「国人」、「国人領主制」、「室町期荘園制」が説明され、これが終わって、海野領の形成という具体的な事例に入っていく。やっと視界が開ける感じである。

目次に出る用語の説明が終わると、目次そのもので本書の主張が見えてくる仕組みだ。

第1章 戦国期の国衆と先方衆
第2章 室町期国人領主の成立と展開
第3章 国人領主から国衆へ
第4章 戦国大名領国下の国衆「領」(「国」)
第5章 国衆の武田氏従属
第6章 先方衆としての国衆と武田氏
終章 武田氏滅亡と国衆

それにしても、通勤時間では、40頁以上ある章毎に読むことができないので、読み直ししながら読む本である。まとめて読もうとすると、週末になるが、先週末のように飲み歩いたりすると、読めないので、コツコツと仕事の合間に読むしかない。





2019年1月31日 (木)

2019年1月購入図書

2019年1月購入図書
今年は積読はしないという方針で新刊本と付き合うことにする。研究会で使う本とか考えると、新刊本5割、古書2割、往来3割くらいになると理想的だなあ(去年の実績は45%、35%、20%)。新聞、定期購読誌、メルマガ、ブログ、オンライン教材、Podcastなど私を維持してくための膨大なインプットを考えると、本当に本と付き合う時間を大事にしたい。

注)往来とは、このブログを始める前までに買ってあった刊行本(過去の読書生活)や借りて読む本である。これがなければ、新刊本オールでもよいのだけど、調べごとしていると、古書に突き当たるし、買ったことすら忘れているのは当たり前(^^)

(購入後記)
幸せとは何かという根本を考えなければ、欲望に負けて文化は滅びてしまうだろう。文化は農耕に始まり、景色を切り拓いてきた(中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』)。欲望に溢れた「日本文化」というメタ文化の気持ち悪さを感じる。

戦国時代を扱う歴史書は決してビジネス戦士の教養にはならない。まして、「国衆」は戦国の終わりとともになくなったものであり、現代の状況の理解に直接繋がるわけではない。しかし、歴史観なくして現代を考えることはできないのも事実である。

そういえばハイエクは読んだことがなかった。入門書を読んでみることにする。

ルソーの『社会契約論』(桑原武夫、前川貞次郎訳)が読めないのは翻訳のせいではないかという疑問を持った。そもそもタイトルは『社会契約論』じゃないだろう。Du Contrat Social ou Principes du droit politiqueは『社会契約について、もしくは政治的権利の原理』である。フランス語の原文を見たら少し古いフランス語であるので、フランス語の現代語訳があれば読みやすいと思った。しかし、探せなかったので、英訳版にした。現代英語なので分かりやすい。仏英和の力で読み通したい。

課題図書としてAction for Readingで読むためにkindle版でなく買うことになった。野中郁次郎氏の本もこれが最後になるのか。

課題図書を読んでいたら、タネ本の紹介がされていた。「制作」というと、荻生徂徠の聖人という制作者を思い浮かべてしまうのは、一つの読者傾向なのだろうか。

【思想】
丸山俊一『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する』NHK出版、2018年

Jean-Jacques Rousseau『The Works of Jean-Jacques Rousseau: The Social Contract, Confessions, Emile, and Other Essays (Halcyon Classics) (English Edition)』Halcyon Press、2009年 Kindle版

ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』ちくま学芸文庫、2008年、2018年第6刷

【歴史】
平山優『戦国大名と国衆 』角川選書、2018年

【経済】
BOUDREAUX, DONALD J. 『The Essential Hayek』Fraser Institute、2015年 kindle版

【経営】
紺野登、野中郁次郎『構想力の方法論 ビッグピクチャーを描け』日経BP社、2018年

2019年1月30日 (水)

2019年1月購入古書

2019年1月購入古書

去年の購入書籍は100冊を切ったので、積読率は改善されたと思っているが、過去の積み重ねは如何ともし難く、部屋を圧迫し続けている。古書はほとんどリサイクルできないので、燃えるゴミとなる。比較的綺麗な新書はリサイクルで古書市場に行ってもらおう。献本やサイン本などは私とともに古びていくしかない。

(購入後書)
基本的なことが分からなくなってきている。どうしたことだろう。和歌を説明するのは難しい。渡部泰明氏の切り込み方がいい。

【文学】
渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

2019年1月29日 (火)

『和歌とは何か』(2009)その5

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

第5章 本歌取りーー古歌を再生する

この本は各章のサブタイトルが気になる書き方をしていると思う。
さて、本歌取りの定義も実にやっかいだということから、少し端折って、定義に入る。

「本歌取り」とは「ある特定の古歌の表現をふまえたことを読者に明示し、なおかつ新しさが感じられるように歌を詠むこと」(P102)。

「過去の和歌と同じ表現を用いて新しい歌を詠むこと」(P97)は「類歌」と呼ばれるという。

「ある特定の和歌の表現をふまえて新しい歌を詠むこと」(P98)は「参考歌」と呼びならわしている。

なるほど、「本歌取りは、縁語の発展した形式」つまり「縁語は言葉そのものの類縁性に依存するのに対して、本歌取りでは本歌によってそれらの語句の関係性が根拠づけられている」(P108)ことの違いだ。

「読者に明示」いうところが肝である。「本歌取りというのは、その基本として歌人たちの集まる場に興趣をもたらすという、場に規制される」(P116)から、同じ文化的背景を持った人々(つまり貴族)のサークルでしか成立し得ない。

「本歌と贈答歌の関係になるように本歌取りした歌は、「贈答の体」の本歌取りと呼ばれ、本歌取りの基本的なスタイルの一つとされた」(P111)。

こうして、色々な概念を並べてみたけど、実際の和歌を鑑賞しないと分からないのであるが、そもそも元歌である本歌が何故それか分からないので、解説されたものを読んでも、その鑑賞に入って行きにくい。しかし、本歌を基にした歌を作ることは、サブタイトルにある本歌を再生することでもあるというのは分かるきがする。

2019年1月28日 (月)

綜合文藝同人右左見第3号

綜合文藝同人右左見第3号(平成三十秋冬号)を遅ればせながら買う。年二回発行になるという。

右左見中道氏が巻頭言に代えて「新しき傍流」宣言を書いていた。主流なき時代には「己の魂を歓ばせる」ことに注力せよという。反抗すべきものすらもない傍流のなかで、反発したり他を蔑すむ時間も無駄と知れ、己の道を行くだけである。

2019年1月27日 (日)

『和歌とは何か』(2009)その4

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

第4章 縁語ーー宿命的な関係を表す言葉

縁語の定義は難しいらしい。「今回は、間違いなく縁語と認められる例に限定し、禁欲的に考えてみることにしたい」(P79)と著者が「禁欲的」ということで慎重なスタンスであるが、それだけに選んだ歌の鑑賞は熱くなっている。

著者は縁語という特殊な関係には「二重性(掛詞(広義)」と「文脈の超越」が欠かせないという。

例として、以下の歌をあげている。

秋霧のともに立ち出でて別れなば晴れぬ思ひに恋やわたらむ
(古今集・離別・386・平元規)

「秋霧」と「晴れぬ」が縁語である。「晴れぬ」が霧が晴れぬと心が晴れぬの二重の意味があっても、文脈は二つに別れない。晴れぬ思いは心が晴れないことを言っているだけである。

次に、有名な伊勢物語第九段東下りの条の歌であるが、古今集では在原業平の歌としている。

唐衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

この歌は「かきつばた」を五句の先頭に据えた折句というレトリックで詠まれただけでなく、「唐衣」に対して「つま」(妻・褄)、「はる」(遥・張る)、「き」(来・着)が縁語になっているという非常に技巧的な歌である。しかし、一行は皆泣いた。感動しすぎのようにも思える。著者の解釈を引用することにする。

「意地悪くいえば、所詮言葉の偶然の組み合わせにすがった歌、と言えなくもない。が、話は逆である。偶然こそが大事なのだ。偶然の力、すなわち人の意思を越えた運命的な力によって、ある形がぴたりと決まる。その運命的な力を感じ取ることが、人々の心を一つにするのである。業平の歌は、たんに望郷の悲しみを表現しているのではない。望郷の悲しみが、今この場所での逃れがたい運命であることを、言葉において実現しているのだ」(P84)。

縁語が「二つの内容を結びつけ、それによって今ここの場、という現在性を強く浮かび上がらせる」(P87)というのだ。

著者は百人一首のなかで「一番うまい歌」として、皇嘉門院別当の歌をあげている。

摂政右大臣の時の家の歌合に、旅宿(りよしゆく)に逢ふ恋といへる心をよめる
皇嘉門院別当

難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ身をつくしてや恋わたるべき
(千載集・恋三・807)

百人一首では「難波」の次が「江」「潟」「津」なのかで札をさらうことしか考えないが、「澪標(みをつくし)」など、ここで習うかあとは源氏物語でしか習うことはないと思う。

「「難波江」「芦」「かりね」「身をつくし」「わたる」と次々に繰り出される縁語も、最初から予定されていたかのように、居るべき場所に居る、という印象を与える。とくに、「一夜ゆゑ」と絞り込んでいった直後に、一転して「身を尽くしてや恋ひわたる」と心が暴走していく呼吸は、感嘆する以外にない」(P92)と解釈に力が入っている。

私は渡部泰明氏の解釈で歌を読んでいきたくなった。三十一文字による一回限りの表現がここまで感動を生むのは縁語による技巧を共有する心の働きがあるからであろう。

2019年1月26日 (土)

『和歌とは何か』(2009)その3

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

第1章 枕詞ー違和感を生み出す声

枕詞も分からないものの一つだ。知ってはいるが、理屈で考えることはできない。

著者は枕詞を三点から説明している。
主として五音で
実質的な意味はなく
常に特定の語を修飾する

例えば「あまざかる」は「鄙」を修飾する。

「修飾語はそれを含む文脈の中に位置付けられ、他の語との関係を生み出しながら、その文脈の中で定着していく。一方枕詞は、文脈の中に溶け込まない。いつまでも違和感を生み出し、孤立し続ける」(P27)。

「枕詞の意味が多くの場合分からなくなっているのも、一つにはこの孤立性が原因となっている」(P28)。

「枕詞とは、文脈から孤立した、不思議で不可解なものとしてあり続ける言葉」(P29)という。

うつせみの人目を繁み石橋の間近き君に恋ひわたるかも(万葉集・巻4・597・笠女郎)

この歌の枕詞が「石橋の」で「間近き」を修飾しているのが分かれば大したものだ。「石橋の」に意味はなく孤立している。私などは「うつせみの」が「世」や「人」の枕詞であると思ったが、この場合、「「うつせみの人目を繁み」の「うつせみの」は「世間の人の(人目)」という意味を持っていて、一首の文脈の中で生かされている、と見ることもできる」ので枕詞にしない説もあるという。

第2章 序詞ー共同の記憶を作り出す

序詞はもっと分からない。「枕詞よりももっと長く(二句以上もしくは七音以上)、しかもつながり方が固定的ではなくて、使用されるそのつど、新しい表現が工夫される点が異なっている」(P39)。

「ある種の懐かしさをかもしだす表現」(P41)と言っている。

巻向の痛足(あなし)の川ゆ行く水のたゆることなくまたかへり見む
(万葉集・巻七・1100・柿本人麻呂歌集)

「巻向の痛足の川ゆ行く水の」が「絶ゆることなく」に掛かっている。

著者は「巻向の痛足川を行く水は絶えないーー絶えることなくまたこの川を見よう。」(P55)と訳を添えている。私はこの調子の良い歌の解釈に違和感を覚えている。恋の歌の多い「柿本人麻呂歌集」だけに。

第3章 掛詞ー偶然の出会いが必然に変わる

掛詞は分かりやすいと思ったけど、左にあらず。広義と狭義がある。「一つの言葉が二重の意味で用いられるもの」が掛詞(広義)である。ここでは「掛詞そのものを主眼とした表現のことで、「掛詞(広義)」との違いは、一語が二重の意味になっているだけでなく、文脈までも二重になっていること」(P59)、である。

そして、掛詞を「古今集」の時代区分から、「読み人知らず時代」「六歌仙時代」「選者時代」に分けて鑑賞する。

小野小町の歌はよく引かれる歌だ。

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

「小町の歌の掛詞は、巧妙である。「ふる」が「降る」と「経る」の、「ながめ」が「長雨」と「眺め」の掛詞で、それぞれのうちの前者が春の風景の文脈、後者かわが身の文脈を形作る」(P68)。

六歌仙時代の歌は少し演技が過ぎる気がする。

2019年1月25日 (金)

『和歌とは何か』(2009)その2

『和歌とは何か』(2009)その2
渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

何しろ序章のタイトルが「和歌は演技している」である。枕詞・序詞・掛詞・縁語・本歌取りといった和歌独特の修辞技法(レトリック)が演技の視点から説明される。

和歌について勘違いしていたのかもしれない。正岡子規によってレトリックが否定された和歌は、真面目で、気詰まりのするものとして私は敬遠してきた。

「どうやら和歌とは、わが思いを、それと等価な意味・イメージの言葉に置換して表現するという表現観では説明しきれぬものであるらしい。つまり、重要なのは「意味」「内容」だけではないということだ。和歌の言葉には、意味やイメージの世界に閉じこもらず、直接に人々のいる現実の世界に働きかける面がある」(P23)。

「働きかける力の源泉は言葉の「音」にある。言葉の音てあるから、正しくは「声」である。その声が合わせられる。するとそこに儀礼的な空間が生み出される」(P23)。

「儀礼的な空間とは、複数の人間が、ある区切られた場所の中で、何らかのルールや約束事を共有しながら、特定の役割意識に基づいて行動する空間である」(P5)と定義されていた。

儀礼的な空間とは「役割意識に満ちた行為、すなわち演技に満たされた空間である。皆で声を揃えたり、祈りを捧げたり、日常生活ではあまりお目にかかれない表現行為が、真摯に現実のものとして営まれる。そういう行為をいま演技と言った。演技という行為の視点を持ち込むことで、和歌のさまざまな謎をほどいてゆくことが、本書での私の提案なのである」(P5)。

和歌のレトリックが儀礼的な空間を呼び起こすだけでなく、和歌と儀礼的な空間の関係を、後半では贈答歌・歌合・屏風歌・障子歌・柿本人麻呂影供・古今伝授を題材に和歌を取り巻く行為を演技の視点から「行為としての和歌」として論じている。

楽しみな本になってきた。

2019年1月24日 (木)

奈良その奥から四「竃の飯」

岡本彰夫 「竃の飯」『ひととき』2019年2月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「竃の飯」について『ひととき』2019年2月号に書いていました。式年造替の時に神様が仮殿である「移殿(うつしどの)」へ渡るための「筵道(えんどう)」は百間(約180m)あります。藁薦(わらごも)を敷き詰めますが、この藁薦が百枚必要になります。この藁もコンバインで収穫すると丈が短くなるので手刈りするそうです。俵を編むのと同じように藁薦を編むための技もかつては知らぬ人のないものだったそうですが、二十年先を考えて映像で記録したそうです。

春日若宮おん祭で千人にも及ぶ奉仕者への食事は竃で煮炊きします。これが頗る美味いといいます。しかし、「おクドさん」で飯が炊ける人を探すのに苦労したといいます。かつて当たり前だったことが、二十年程前からできる人がいなくなってしまいました。一番伝承が難しいのは、みんなが知っていることなのだといいます。

2019年1月23日 (水)

112「地下から出ると」千宗室

ひととき 2019年2月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「地下から出ると」というタイトルでした。家元が昼飯を独りで食べるために地下鉄烏丸線に乗って北山へ行った時のお話です。地下鉄の出口の風が強いので、あと数十段のところで様子見したら、後からの人も止まった気配を感じたといいます。家元が風除けでした。昼は軽めと決めて蕎麦屋で鴨南蛮を食べました。北山通から北は冷えるので、丸太町通では時雨でも、北山通は雪と昔から言われてきました。

北山通で私が鴨南蛮を食べたことのあるのは権兵衛北山店だった気がします。文章からは家元が食べた店は分かりません。

2019年1月22日 (火)

『大坊珈琲店』(2014)

大坊勝次『大坊珈琲店』誠文堂新光社、2014年

『大坊珈琲店』(2014年)の封を切る。普及版であるが、今までとっておいた。Cafe Violonで愛蔵版を見たとき、欲しくなったが、もうなくて、普及版を手に入れた。そのCafe Violon が去年六波羅の店を閉めた。西木屋町に移転した方にはまだ尋ねていない。

本箱をふと見たら『大坊珈琲店』があった。大坊珈琲店は閉まってしまったけど、大坊勝次氏が残してくれた本はそのまま残っている。シュリンクラップされたままで封を切っていない。珈琲の話が読みたくなって封を切ってみた。

本は3つのパートからなっている。
大坊珈琲店のマニュアル
写真
寄稿(35人)

マニュアルらしくないのがよかった。
内装の設計、音楽、焙煎などの物語を読むと、大坊氏が何を大切にしていたのかが分かってくる。

長いーカウンターは木場に浮いていた松から造られた。生木だから松脂を拭き取るのが日課になった。

「ポール・デズモンドなどの落ち着いたジャスを音をしぼって流します」(P19)とあるのは、好きな「テイクファイブ」のことである。

「私の個人的な感覚なのでしょうが、クラッシックやロックは、音楽の世界に自分を移行させる感じを持っていました。ジャスは幾分こちらに引き寄せられるような、自分は動かずに自己でいられるような思いがありました」(P19)。

珈琲を飲む時間が自分自身に返って一休みできることを望んだのだった。



2019年1月21日 (月)

大島書店の閉店に思う

神保町の大島書店が2019年1月26日で閉店になるという。八木書店に行ったときに覗いてみたが、小さな店の中と外が混み合っていた。棚の本が片付いてきたが、独逸は捌けが悪い。洋書はタトル商会が閉まってから、北澤か丸善で買ってきたが、考えてみると、この数年はネットショッピングになっていた。

米国ではkindleで読むのが当たり前の時代になったようだ。紙とkindleではkindleの方が安いし、置場に困らない。本もデジタル化すれば、所有というより利用する感覚である。月額料金で読み放題にシフトしていくだろう。そんな風潮にも関わらず、モノとしての本を買ってしまうのが、本屋街だと思う。kindleにならない本も多いし、本の質感が好きなので、足は東京堂書店へ向かったのだった。



2019年1月20日 (日)

「奈良絵本を見る!」を観る

神保町の八木書店の3階の八木書店古書部で展示会「奈良絵本を見る!」を観た。配られた展示解説の冊子は石川透氏が執筆している。展示品は様々であり善本で絵本の色がよかった。展示解説は白黒なのでやはり実物を見るのがよい。参考にデジタル奈良絵本のリソースをあげておく。

奈良絵本についてのリンク
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/fujiwara/naraehon-library.html

慶應大学Digital Collection
http://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/naraehon/explanation




会期 2019年1月10日(木)〜26日(土)
27.「玉水」は今年のセンター試験の古文に出た「玉水物語」だった。狐が妙に生々しい絵に見えた。

2019年1月19日 (土)

『和歌とは何か』(2009)の読み方

渡部泰明『和歌とは何か』岩波新書、2009年、2013年第3刷

あらゆること問い始めると、基本的なことが分からないことだらけであること分かる。通常、「和歌とは何か」と問う人はない。三十一文字による詩であること以上に説明を付け加えようとすれば、「解釈」の問題が出てくることに気がつくからである。従って、和歌というカテゴリを説明しょうとすれば、「和歌」の全てを読むことはできないので、概念として提示することになる。すなわち「仮説」を持ちいる必要がある。その「仮説」で説明できればその概念は有効といえよう。和歌のように1,300年以上に長い歴史を有していれば、伝統的な解釈というのも成り立ってくる。そもそも過去・現在とも和歌が詩である以上、作者の意図や心は解釈者による推定でしかなく、解釈に関する「共感」は受け止める人に依存するため相対的である。

本書で渡部泰明氏は「和歌とは何か」とストレートに切り込りこんでいる。私の長い和歌の鑑賞の歴史に揺さぶりをかけている。しばらく通勤電車のお供にしょう。



2019年1月18日 (金)

『プリンキピアを読む』(2009)


和田純夫『プリンキピアを読む ニュートンはいかにして「万有引力」を証明したのか?』ブルーバックス、2009年

『構想力とは何か』(2018年)を読んでいたら、ニュートンが「万有引力」を思いついたエピソードを構想力の例としてあげていた(P71)。

なぜそれが気になったのかというと、前日に『プリンキピアを読む』(2009年)を読んでいて、和田純夫氏が「誰も理解できない」と同時代の人々に噂されたこともある書物とはじめにで書いてあったから、紺野登氏はニュートンのエピソードをどこから持ってきたのだろうかと思った。参考文献を見たがそれらしきものはない。

和田純夫氏は「リンゴが落下するのを見て万有引力という概念を考えついたという逸話」は「ニュートンを回顧した人の記録の中に残っている話なので真偽ははっきりしないが、彼は地球上の物体に働く力と,地球が月に及ぼしていると思われる力を比較して,その力が距離の2乗に反比例するならば,同じ力とみなされるという計算をしている(1966年)」と書いていた(P19)。『プリンキピア』など読まなくても良い話であったが、『プリンキピアを読む』を読んでいて、紺野登氏の400字足らずの要約からのイメージが近かったので気になったのだった。

月もリンゴと同じように落ちているのであるが、月は地表に平行な方向に速度をもっているため地球の周りをまわっているという。

本書はプリンキピアの第Ⅲ編から読み、第Ⅰ編、第Ⅱ編と読むことから構成されている。したがって、私も200もある命題や定義、公理など、まるでスピノザの『エチカ』のような世界を味わうことにしょう。




2019年1月17日 (木)

2019年01月書籍往来

2019年1月書籍往来

「購入後書」がないのが「書籍往来」だ。事務所や研究所にある過去に買った本は、ブログの「書籍目録」に載せてないので、書籍往来で扱うようにしている。詰将棋の本を別にして2014年10月購入の本は「購入図書」か「購入古書」として書籍目録を作ってきた。だから4年分しか登録されてないので、あとは書籍往来で少しずつ目録化していく。


【知】
反町茂雄『日本の古典籍 その面白さ その尊さ』八木書店、1984年、1993年第3刷
八木書店のサイトで「奈良絵本私考」の連載に気がつき、本棚から取り出してきて、「奈良絵本私考」の続きを読む。

【文学】
村野四郎編『西脇順三郎詩集』新潮文庫、1965年、1971年第7刷

『現代詩読本7 西脇順三郎』思潮社、1979年


2019年1月16日 (水)

「奈良絵本私考」を読む

反町茂雄『日本の古典籍 その面白さ その尊さ』(八木書店、1984年、1993年第3刷)を本棚から取り出してきて、「奈良絵本私考」を読む。

「奈良絵本私考」は 1979年に私刊700部が『C. ビーティ ライブラリー蔵日本絵入本及絵本目録(Japanese Illustrated Books and Manuscripts in the Chester Beatty Library )』を著作し、頒行した記念にまとめられた(P515 あとがき)。『日本の古典籍』(1984年)に収録するにあたり、著者が調査した388種の書目の分類を記載したものは省略されている。

反町茂雄氏が奈良絵本の時期を寛永以前と以降で分けていた。この短い論考を味わいながら、展示会へのチャンスである週末を待つこととしたい。

‪八木書店のページで展示会に合わせ、コラムに「奈良絵本私考」の連載が始まっていた。歓迎すべきことである。‬

八木書店/コラム‬

2019年1月15日 (火)

梅原猛氏逝く

2019年1月12日に梅原猛氏が肺炎で亡くなられた。

『隠された十字架ー法隆寺論』(1972年)を読んだのが最初でした。修学旅行の前に高校の物理の先生が熱心に勧めてくれたのがきっかけでした。今まで読んだことのないような熱い語り口が印象的でした。修学旅行はグループ行動のため、国立博物館と東大寺を見ましたが、法隆寺は記憶に残っていません。50歳を過ぎて修学旅行のやり直しをした時には、もう、すっかり本のことは忘れていました。

『仏像 心とかたち』(1965)を読み、仏教への興味を持つようになりましたが、その後の梅原猛氏の論考は、荒削りなので検証作業が素人の私には手に負えないため、読み方が難しくなりました。仮説思考という考えるヒントを与えてくれたことは間違ありません。至心合掌。

2019年1月14日 (月)

読書ノート003

鎌田東二、南直哉『死と生 恐山至高対談』東京堂出版、2017年

第1章 出会い
第2章 恐山 死と生の場所
第3章 危機の時代と自己
第4章 生きる世界を作るもの
第5章 リアルへのまなざし
第6章 生命のかたち

2019/01/11
第4章
経験を語る言葉・言語と、それが形作る思想が話題とされる。
南氏「思想には、仏教と仏教以外の二種類しかないと私は思っています。そしてこれらを分ける大きな問題は、言語をどう考えるかという点なのです。言語が真理を語り得ると考えるか、または、言語は真理には届かず、言語で語られるものは仮説物、虚構でしかないと考えるか、そのどちらかだと思います。そしてこれが人間の考え方を大きく分ける一つのラインだと思っています。露骨に言うと、ゴータマ・ブッダの教えとそれ以外しか、この世にはないような気がしますね」(P137)。

[言語に対する不信は中島敦の『文字禍』の話やプラトンの『パイドロス』の話をする前田英樹の『愛読の方法』(2018年)を読んでいたのでピンときたが、突き詰めれば経験と言葉との間の問題でもある。南氏は佛説は真理には届かないとする。だからお経は方便という。]

南氏「ブッダが発見したのは「無明」という実存の状況だということです。つまり、これによって人間は苦である、悲惨であるという話。キリスト教では原罪にあたるものだと思います。
「無明」というのは「認識の間違い」という意味ですから、認識を成立させる言語こそが、この人の言っている無明だと思ったんですよ」(P138)

[自意識は言葉である。南氏は坐禅という身体技法で自意識を解体することができるという。鎌田氏の心身変容技法は何を目指していたのか?]

2019/01/12
第5章
[思い込みというのはあって、四国八十八箇所巡りは西国三十三所観音巡礼と同じ観音信仰だと思っていた。本尊が観音菩薩30か寺、薬師如来23か寺、地蔵菩薩6か寺、大日如来6か寺など。]
「メタノイア」という言葉で、美学者の高橋巌の話が出てくる。
鎌田氏
「高橋先生に学んだ核心的な命題は「悔い改め」です。カトリックでは、「懺悔(ざんげ)」、仏教では「懺悔(さんげ)」。この悔い改めを、高橋先生はギリシャ語で「メタノイア」と言っていました。メタ(〜を超える)、ノイア(ヌース、精神)。その意味は、これまで自分が感覚的に捉えてきた世界を、メタ、つまり転換せよ、という意味です。」(P190)。
[メタノイアは「人の視座や志に起こる変化」を意味する。ギリシャ語の新約聖書を「悔い改め」と訳したのは凄い。懺悔は正しく受け止められていない言葉だと思う。]
この章では「欠落感」が語られる。生死のリアルである。

2019/01/13
第6章
南氏の生と死の問題を捉えるために何が大切かという質問に答えて、鎌田氏は「歴史認識と詩や物語」と答えた。死に向き合うため、「自分の人生をひとつの物語にすることが大切な」のだという。
鎌田氏は「無常」と「むすび」は同じことを言っているという。
「むすひ」は自然が持っている生成の力を指しているという。関係性からものごとが生起する。南氏は「むすひ」を縁起に近いと受け止めた。
[死の受容というテーマのなかで、空海、道元、親鸞が語られるが、笑って死ねたのは誰なのか?]

2019年1月13日 (日)

『長浜盆梅展inここ滋賀』を観る

2019年1月12日(土)から16日(水)の5日間、日本橋「ここ滋賀」屋上テラスにおいて『長浜盆梅展inここ滋賀』が行われるというので、観てきました。紅梅、白梅ともに咲き始めといったことろでしたが、「映える春」を味わってきました。
聞いたら10日から始まった長浜の慶雲館では八重白梅「花音(カノン)」が7年ぶりに展示されているそうで、それも満開だということでした。久々で焦れ込んだのでしょうか? 3月10日まで開催期間があるのに見頃は1月末までと言っていました。オイオイ。私は紅梅の「不老」の写真を観て以前のことを思い出して懐かしくなりました。

長浜盆梅展を観に行く



1Fで売ってたシガモノであるつるやの「サラダパン」と「スマイルサンド」に長浜エールで寿ぎたいと思います。




盆梅展の招待券と絵葉書まで頂いちゃいました。




2019年1月12日 (土)

東都手帖2019年02月【編集中】

2019年02月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

一年で1番短い月、如月。寒いけど、日も長くなる。

企画展「酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり」根津美術館 2019年1月10日(木)~2月17日(日)

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」東京国立博物館 2019年1月16日(水)〜2月24日(日)

「生誕130年記念 奥村土牛」展 山種美術館 2019年2月2日(土)〜3月31日(日)

2019年1月11日 (金)

読書ノート002

鎌田東二、南直哉『死と生 恐山至高対談』東京堂出版、2017年

第1章 出会い
第2章 恐山 死と生の場所
第3章 危機の時代と自己cw
第4章 生きる世界を作るもの
第5章 リアルへのまなざし
第6章 生命のかたち

2019/01/09
第2章
南氏の「リアル」の定義が語られ、「思い通りになるものがヴァーチャルで、思い通りにならないものがリアル」だとされる。死者は関係者にとっては「リアル」とされる。
仏教では形而上学的な問いに是と否を答えない「無記」の態度が本来とされる。
[三木清が死は観念であるといった言葉を思い出した。]
恐山とイタコなどの民間宗教が語られるが、恐山が何故曹洞宗なのかは語られない。開基は天台宗の円仁と伝えられる。

2019/01/10
第3章
南氏「釈尊の時代と、道元禅師の時代と、われわれの生きている時代は、構造的にそっくりだと思います」。

南氏「それまでの物語が通用しなくなり、自己な存在様式を作る作法が混乱し、自己が作りづらくなった時代。それが鎌倉期だと思います」。

南氏「今はグローバル化の時代で、これまでの自分や自己というありようを規定していた作法や構造が、もう通用しなくなった時代です」。

現代を中世と同じ変革の時代と認識する点では鎌田氏と南氏も同じであった。
[鎌田氏の「スパイラル史観」は『世直しの思想』(春秋社、2016年)でも書いてあった。]
慈円の『愚管抄』の時代認識について南氏に鎌田氏が突っ込まれた形になった。
[『愚管抄』に関しては読み直したくなった。少し探したが見つからない。]

2019年1月10日 (木)

四都手帖2019年02月【編集中】

2019年02月の私的な愉しみと記憶

如月の寒い時分の古都を思い出すと、節分ということになる。吉田山で松井酒造の升酒で節分を祝ったのはいつの頃だったか。天神市と梅花祭が重なった如月は平日でも大変な混みよう。週末なら更なり。

水都にもフェルメールが来る。

湖東に春が来る。
長浜盆梅展についての懐かしい記憶がよみがえる。
長浜盆梅展を観に行く

【古都】
節分祭 吉田神社 2019年2月2日(土)3日(日)、4日(月)は神事のみ

節分会 壬生寺 2019年2月2日(土)3日(日)壬生狂言

追儺式鬼法楽 廬山寺 2019年2月3日(日)15時頃 境内は超混み

梅花祭 北野天満宮 2019年2月25日(月)

いっとかなあかん店に行きたいね。

【湖都】
滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。2019年3月31まで展示予定はないという。

長浜盆梅展 慶雲館 2019年1月10日(木)〜3月10日(日)


【旧都】
第10回しあわせ回廊 なら瑠璃絵 奈良公園 2019年2月8日(金)〜14日(木)

特別陳列「お水取り」 / 特別陳列「覚盛上人770年御忌 鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興」奈良国立博物館 2019年2月8日(金)〜3月14日(木)

【水都】
フェルメール展 大阪市立美術館 2019年2月16日(土)〜2019年5月12日(日)

特集展「高田コレクション・尾形コレクション ペルシアの陶器-色と文様」大阪市立東洋陶磁美術館 2018年12月8日(土)〜2019年2月11日(月)

編集履歴
2019/01/12 長浜盆梅展を追加

2019年1月 9日 (水)

読書ノート001

鎌田東二、南直哉『死と生 恐山至高対談』東京堂出版、2017年

メモをとってなかったので、読み直すことにする。
対談は2016年10月28日恐山菩提寺
2017年2月23日上智大学グリーフケア研究所鎌田研究室

第1章 出会い
第2章 恐山 死と生の場所
第3章 危機の時代と自己
第4章 生きる世界を作るもの
第5章 リアルへのまなざし
第6章 生命のかたち

2019/01/08

第1章 南氏が空間の美学、空間処理の問題に興味を持っていることが語られる。
永平寺に20年も居たことは変わりものであると思っていたが、修道院のように終生居られるサンガを志向していた。
永平寺を含め日本の寺院は修行道場で通過点である。
[それにしても、恐山が曹洞宗の寺院だったとは知らなんだ。]

2019年1月 8日 (火)

停滞前線

正月気分も終わった。

加速するビジネスの世界に身を置いているので、中世の歴史を扱った一般書つまり「読み物」を読むことは精神の安定に寄与しているのだろうが、世間で流行っているビジネスに役立つ歴史という訳にはいかないのがニッチなところである。話の話題に、信長の戦争や性格を取り上げることはあるにしても、信長が泊まった宿の話や戦国時代の日蓮宗の話を振ってもトリビアを超えているので誰の興味も引きそうにない気がする。

という訳で、しばらくは読書ノートを書くことで読書生活とブログを両立させたい。

今年の計画を見たら、ブログは一日置きのペースとなっていたので、その線で行こう^_^

2019年1月 7日 (月)

『天文法華一揆』(2009)再読

今谷明『天文法華一揆 武装する町衆』洋泉社新書MC、2009年

今谷明氏が事件史叙述として、西欧の歴史家に倣って書いた一般書である。

あとがきで「十六世紀の中葉、ユーラシア大陸の両端で奇妙に類似した二つの宗教弾圧事件が起った。一つは一五三六年日本の京都で起った天文法華の乱、もう一つは一五七二年フランスのパリを血で彩ったセント=バーソロミューの大虐殺である。共通しているのは、どちらも新教に対する旧教の、しかも権力者側からの弾圧であること、京都・パリという一国の中心都市で起った事件であるという点である」(P333)と書いている。天文法華の乱は「歴史家の極めて興味をそそられる政治的現象であるにもかかわらず、従来研究は少なく、単行本の形でこれを扱ったものは見当たらない」(P334)と書いている。

ついでにメモしておくと「本書はあくまで一般向けに書かれた「読み物」であって研究書ではないということである。研究者の方々には悪いが、専門家は最初から相手にしていないことをはっきりと申し上げておく」(335)とある。その割には付章 松本問答や文献解題・目録、法華一揆関連年表など力が入っている。

洋泉社新書MCに再版するに当たり、「解説 事件史叙述へのこだわり」を河内将芳氏が書いており、学問的な位置付けが簡潔になされていた。『日蓮宗と戦国京都』(淡交社、2013年)を後に書く著者を編集者は見抜いていたといえる。

しかし、何故、解説が必要なのか。一般書だからか。『天文法華の乱 武装する町衆』(平凡社、1989年)が出てから20年ということで研究が進んだことで、専門家による解説が必要になったと考えられる。

キーワード
#今谷明 #河内将芳 #天文法華一揆

2019年1月 6日 (日)

『承久の乱』(2018)

坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年

書誌情報
本文は序章、終章で挟まれた6章からなり主要参考文献と関連略年表が付い277頁と少し厚い。地図や系図も豊富で、適度にルビが振ってあり安心して読んでいける。それでも登場人物が多いので、名前は読み方を忘れてしまう。

本書の視角は二つだと坂井孝一氏が「はじめに」で書いている。
第一 院政および鎌倉幕府の成立・発展という大きな歴史の流れの中に乱を位置づけること
第二 一般の読者にも理解しやすいよう、現代社会との比較、現代であればどのような事象に相当するかといった点を意識しつつ歴史像を描き出すこと

第二の視角は理解が難しい点である。成功しているかどうかは後ほど分かるであろう。

気になるのは史料の問題である。同時代史料がほとんどないという(iv )。承久の乱の一般的イメージは後世の編纂物により作られたのであるとすれば、それを突き破るのはなかなか大変ではないのか。そういった問題意識を持って、しかも、漫然と海苔ピーを齧りながら読み始めたのであった。

後鳥羽院の新古今集の歌が出てきた(P52)。

思ひ出づる をりたく柴の 夕煙 むせぶも嬉し 忘れ形見に

昔、新井白石の『折たく柴の記』(岩波文庫、1949年)を読んだ時には題名の由来までは考えなかったのが不思議な気がする。

北条義時追討の院宣・官宣旨をいち早く押さえて、後鳥羽院の目的を「倒幕」にすり替えた鎌倉方の対応をみていると危機管理能力の高さを感じる。「チーム鎌倉」vs「後鳥羽ワンマンチーム」という初戦の分析が著者のいう第二の視点であった。

追い詰められた後鳥羽院が延暦寺の僧兵に期待をかけたときの、著者の記述がいい。

「延暦寺の衆徒が祈禱のような宗教的手段ではなく、武力によって都を守護したことはなかった」(P183)。

承久の乱は、「実戦経験の有無、合戦に対するリアリティの有無を加えれば、そのまま乱全体の勝因・敗因になると結論したい」(P209)と著者が総括してたのはもっともな気がした。

キーワード
#坂井孝一 #承久の乱




2019年1月 5日 (土)

『城から見た信長』(2015)再読

千田嘉博、下坂守、河内将芳、土平博『城から見た信長』ナカニシヤ出版、2015年

河内将芳氏は「義昭のために「武家御城」を築いた信長がなぜ、みずからの城を京都に構えなかったのか、その理由をあきらかにしてくれる史料は残されていない」(P93)という。理由として安土城が京都と1日の距離に築かれたことがあげられる。もうひとつの理由は「京都は、信長にとって、城を構えるほど警戒する必要のない場所と認識されていたことも考えられるだろう」(同)。結果的には誤った認識であったが、何故信長はそう認識したのか。足利義輝が二条御所で攻め滅ぼされたのを知ってるので、義昭のために城を築いたのに、自分は寺院を宿舎にして過信があったのだろうか。河内将芳氏は近著『宿所の変遷からみる信長と京都』(淡交社、2018年)のあとがきで「信長が「畿内文化」をとり入れつづけてきた織田弾正忠家で育ったという点」(P160)をあげていた。「京都への遠慮」があったという。「必要最低限以上に京都には滞在しなかったこと」を史料であきらかにしたのである。

キーワード
#京都 #戦国 #信長 #河内将芳





2019年1月 4日 (金)

美術館で初詣

国立西洋美術館でルーベンス展を観ることになった。正月休みは短いのと、店も開いていないので余り出歩く気はしていなかったが、博物館で初詣というコピーに連れられて行く気になっていたところにお誘いがかかった。正月はだらだらと朝からコンビニおせちでお酒を飲んでるのが相応しいのである。それくらいだから午後からということで承知した。

17世紀のバロック絵画は19世紀印象派以降を見慣れている眼には過剰な表現に映る。テーマが宗教であり神話であることで、そのコンテクストを知らないと退屈するのは以前、メトロポリタンミュージアムの展示室で感じたことだった。どの部屋いっても茶色にしか見えなかった。我々は美術館で一度に多くのものを見すぎるのである。感受性は鈍麻するに決まっている。精神はそこまで強くない。

ロダン地獄の門の前で会って、中に入る。チケットはさっき並んで買っておいた。アントワープ聖母大聖堂の祭壇画を4K画像で見ることから始まる。これは持ってこれない。クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像画が可愛い。トルソーの脚を見た目で、キリストを見たら、おんなじ脚させてどうするのだ。ギリシャの英雄とちゃう。ヘラクレスとか女性ヌードに羞らいを感じる時代の絵だったのか。やはり、群像劇を見た方の印象を残るので、展示順はよかった。

上野のイタリアンと思ったけど、混んでいたので、浅草の鰻屋で食事して、ほぼ閉まりかけた仲見世を歩いたのだった。

ルーベンス展 バロックの誕生 国立西洋美術館 2018年10月16日(火)〜2019年1月20日(日)1,600円



2019年1月 3日 (木)

コンビニのおせち2

これからはコンビニのおせちを肴に酒を飲むのが正月の風景になるのか。以前はデパートか料理屋のおせちを食べるか、知り合いのところへお呼ばれしていただいていた。今年もお呼びがかかってお年賀を用意していたが、知り合いが東京へ出てくるというので断った。それで昨日からコンビニおせちをいただいている。知らなかった。料理屋もおせち作りは負担になるので、やめてるところもある。そんなところへコンビニおせちは参入したのだ。

昨日は適当に買ってきて食べたら、それなりだったので、今日は少し量を減らした。何しろ夜は外食が決まっている。料理人もスケッチするか頭の中で絵を描くと思うが、パックの量は素材の値段で決まるので、皿に並べると量が適当ではなくなる。そこで、封を切って量が多いものはその場で口の中へ。つまみ食いがうまいのはそういうことである。皿に盛り付けする前に考えればよかったのであるが、書と同じに一度置いたら、汁がでるので直せない。奥を高くする基本と彩りの組合せはいくつかあった。いつも食べてた里芋がないな。京人参の色もないな。おせちという文化と自分の好みを改めて考えさせられた。



岡晋吾さんの皿があれば寂しくない。
雨月陶齋先生の山桜の盃で初春を寿ぐとしよう。


2019年1月 2日 (水)

コンビニのおせち

コンビニのおせちで初春を味わう。器が大きければ素材を活かせることを知る。





2019年1月 1日 (火)

2019年元旦

明けましておめでとうごさいます。

近江名所図のカレンダーを見ながら、正月を迎えています。人は変化し続けるものです。変化を恐れない一年でありたいと思います。



鳥居が「上杉本洛中洛外図屏風」によく似ている。狩野派であることは間違いない。

2018年12月31日 (月)

ゆく年くる年

ゆく年を思う。
人は年ごとに区切りをつけなければ
のっぺらぼうな人生になる。
ああ、今年はもう後ろ姿になった。
暗き空の彼方からくる年を迎えて、今年もよろしくと言いたい。

Tennysonの詩を朗読して今年を終える。

Ring out, wild bells, to the wild sky,
The flying cloud, the frosty light;
The year is dying in the night;
Ring out, wild bells, and let him die.

Ring out the old, ring in the new,
Ring, happy bells, across the snow:
The year is going, let him go;
Ring out the false, ring in the true.

2018年12月30日 (日)

2018年12月購入図書

2018年12月購入図書
年の暮れである。今年は読む本だけ買うという方針でやってきたが、ちゃんと総括して、来年の方針を決める必要がある。我々は神ではないので有限である。精神も当然に有限である。読める本には限りがある。

(購入後記)
京都の本は京都で買いたい。ということで京都で買い求めた。写真の現場を訪ねるのは日程の都合でできなかったので、いつか計画してみたい。

承久三年(1221年)承久の乱はイチニーニーイチと語呂合わせでなく覚えたが、当時の政治状況はステロタイプ的理解だったので、本書で最新の研究に頭を切り替えたい。

【歴史】
河内将芳『宿所の変遷にみる 信長と京都』淡交社、2018年

坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年

2018年12月29日 (土)

2018年12月購入古書

2018年12月購入古書

年の暮れになると、本との付き合いがどうだったか振り返ることで、来年もよろしくということになる。デカルトの書簡を読んで朝の時間が過ぎて、夜はベルクソンをめくって寝てしまう。生産性は考えなくて良いらしい。忘己利他の精神でブログを続ける。

(購入後記)
背が欠けて可愛そうであるが、読むには支障がない。問題は1,482頁ある本文である。

【思想】
André ROBINET & Henri GOUHIER, OEUVRES-HENRI BERGSON, PRESSES UNIVERSITAIRES DE FRANCE, 1959

2018年12月28日 (金)

干支の鏡餅

鏡餅に干支は関係があったのだろうか。



2018年12月27日 (木)

『古都の門』(1967)

文/中村直勝、写真/葛西宗誠『古都の門』淡交社、1967年

本をパラパラとめくっていくと含蓄のある言葉がでてきた。「阿登雅喜」とあるのは誰のことかとGoogleで検索したが出てこない。そうだったのかと納得する。

歴史家の中村直勝が書いていることをメモして「門」に込めた意味を考えたい。

「無際無涯の空々漠々たるところに、大の字になって、天下狭し、と暮らし得ない人間は、小さき存在なのか。それとも雄大な存在なのであろうか。
折角の宏々たる広い世界におりながら、何故に、国家だとか、国民だとか、同志だとか、同盟国だとか、非同盟国だとか、敵だとか、味方だとか、いった区別を立てて、対立し、竝立し、いがみ合わねばならないのか。何故に、かくも門戸を立てて、区別し、差別するのか。
世界の平和を唱えながら、世界の統一を野望しながら、何故に、門戸を閉ざして相反撥するのであろうか。
何故に“門”を立てて、門を閉ざすのか」。

古都の門は天災人災により古きを止めるものはない。
本書は御所の建禮門に始まり羅城門遺址で終わる。古都の門だけの歴史も面白いと見たが、一番古い門の羅城門は羅城門遺址を児童公園に止めるのみ。そして、中村直勝が「門」の意味を問うているのが暮れに相応しいと思えてきた。門は通さぬためのものである。




2018年12月26日 (水)

『中村武生とあるく洛中洛外』(2010)

中村武生監修、京都新聞社編『中村武生とあるく洛中洛外』京都新聞出版センター、2010年

本書は河内将芳氏が『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』(2014年)のあとがきで「江戸時代以降の京都についても関心をおもちの方は(省略)ぜひお読みいただければと思う」と推奨されていた。

KBS京都プロジェクトの「Podcasting 京都」で中村武生さんが東山七条界隈の案内をしていたのを思い出した。観光でない京都に興味を持つきっかけだった。タクシーの乗務員さんに観光ですかと聞かれて答えに窮していたのもその頃だった。

本書は京都新聞に2009年4月から2010年3月まで毎週金曜日に連載された「中村武生さんとあるく洛中洛外」が元になっている。中村武生さんが京都新聞記者の佐藤和幸さんに説明する形式で書かれている。場所的には京都市の11の行政区を網羅している。参考文献に人名索引・事項索引と揃っている。写真とか見ていくと、今は壊されてない京都国際ホテルなど写真を撮っておけばよかったと思う。それにつけても随分と変わってしまった気がする。百万遍知恩寺の本堂で洛中洛外図を手に何やらカッコをつけている中村武生さんが可笑しくてならない。

中村武生さんの史蹟めぐりは有名で私もファンの一人である。なかなか参加できないのであるが、いつかまた参加できることを祈っている。

注)Podcasting 京都で中村武生さんの町案内の放送があったのは2006年5月の連休の頃だった。なんか非常に懐かしい。番組は2011年3月で終了したので、7年近く聴いていたことになる。

#京都 #洛中洛外 #中村武生



2018年12月25日 (火)

『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』(2014)その4

河内将芳『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』吉川弘文館、2014年

鴨川を渡る

洛外は一本の線でつないで行けるような歩きかたをすることはむずかしいという。洛中は通りが碁盤の目のようになっているので一筆書きができたが、洛外は広いし見所は離れている。ならば、重なってもよいので、自分なりのコースを作ってみればよいわけである。

朧谷寿先生の講座で石出帯刀吉深の『所歴日記』(駒敏郎, 森谷尅久, 村井康彦『史料 京都見聞記 第一巻 紀行Ⅰ』宝藏館、1991年収録)を読んでいて、江戸時代の人の達者振りに舌を巻いたことがある。何たる健脚であることか。現代人にそれを期待することはできないのであるが、鴨川を渡るで触れられた範囲は十分歩いて回れる。

河内将芳氏は鴨川について、五条大橋から四条大橋と上がって最後に三条大橋へ向かう。洛中洛外図には網のようなものを持った人々が川の中に幾人もいる。河内将芳氏は拡大写真を載せただけで説明はしていない。戦国時代に鴨川にかかっていた橋は多くない。話は五条の橋の東側から始まるが、東側の説明はない。私なら五条の橋は東の橋と西の橋に分かれ、西の橋を渡ると大黒堂と法城寺が間の島にある。この橋を渡って洛中から洛外の東山にある清水寺へ参詣するのであるとしたい。説明の順からすれば西側から始め、西の橋を渡ったところにある大黒堂に居るのが清水寺に関係する勧進聖であることは、「清水寺参詣曼荼羅」で分かるという順序で説明してくれると分かりやすい。

どうも歩くコース設定が鴨川に掛かる橋の東から見える光景(過去の光景は見えるはずもないので、幻視するのであろうが)をどうしても説明したいように思えてならない。Googleのストリートビューの洛中洛外図版とかがあったらよいと思う。

五条大橋を東から西へ渡り、木屋町を上り、松原橋を西から東に向かい松原通の先にある清水寺に想いを馳せ、川端通りを上り、団栗橋は渡らずに、四条大橋を東から西へ渡り寺町通りを上る。三条通りから三条大橋の東詰で洛中洛外図に三条の橋が書かれていないことを説明して、東の粟田口の手前に描かれている弁慶石についての謂れをひとしきり話したいのであろう。弁慶石の話は瀬田勝哉氏の『[増補]洛中洛外図の群像』(2009年)に詳しい。弁慶石を話すのであれば今の三条麩屋町にある弁慶石のところが相応しいと思う。ここは弁慶石町である。

注)天正三年の旅人としてエピローグで島津家久が巡った洛中洛外が書かれた『中務大輔家久公御上京日記』の内容が紹介されているが、1日の行動範囲が広い。名所や歌枕など事前に押さえた上での見物であろう。これらが『上杉本洛中洛外図屏風』と多くが重なるという指摘がされていた。本書では紹介しきれていないのが残念である。

キーワード
#京都 #河内将芳 #洛中洛外図

2018年12月24日 (月)

奈良その奥から三 「乳房のむくい」

岡本彰夫「乳房のむくい」『ひととき』2019年1月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「乳房のむくい」について『ひととき』2019年1月号に書いていました。東大寺の修正会ではお経を唱えるだけでなく、「教化(きょうけ)」が大和言葉で唱えられます。そのなかに「乳房の報い」とあります。母親から頂いたお乳の御恩返しのために、これから「修正会」を勤仕すると唱えるのです。「修正会」というもの理解が少し進んだ気がしました。

2018年12月23日 (日)

111 「配膳さん」千宗室

ひととき 2019年1月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「配膳さん」というタイトルでした。家元が昔ながらの料亭や割烹の佇まいに変化が見られるといいます。街並みと不釣り合いになって、調和という考え方が見てとれないものも混じるようです。

さて、招かれた家元が暖簾のところに立つ袴を付けた男性に、内玄関まで案内してもらいました。「配膳さん」です。やはり昔ながらの心得ごとを守っているところがお好きなようです。配膳さんという仕事があるのは京都くらいでしょうか。旦那衆が配膳さんに名前を覚えてもらうまで通うかどうかは別として、家元の初釜式など大勢が集まる行事は「配膳さん」がいなければ人の流れが滞ってしまうといいます。また、下足番としてしか見ていない人が少なくないのに驚かされたともいいます。家元が「旦那衆とは世話をしてくれる誰にでも心配りのできる人を指す」と書いてあるのに感心しました。

注)昔、常盤新平先生が、NYのホテルでタクシーを降りたら、「Mr. Tokiwa !」と名前を呼ばれて、嬉しくて思わずドアマンに5ドル手渡したという話しをした時の笑顔を思い出しました。

2018年12月22日 (土)

『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』(2014)その3

河内将芳『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』吉川弘文館、2014年

総構に囲まれた下京を歩く

戦国時代の下京の総構えに沿って歩くコースが紹介されている。

饅頭屋町から出発して、反時計回りに下京を歩いて六角堂へ。このあたりは祇園祭りでよく歩いた記憶がある。本が書かれてから、祇園祭りも前祭と後祭に分かれたので、過去との照らし合わせも複雑になってくる。しかし、祇園祭りは混むのが予想されるので、下京研究にはこの時期を避けるのがよい。祇園祭りでは室町の菊水鉾に上るのと、お薄で亀廣永の「したたり」を頂いて菓子皿をもらって帰るのが楽しみだった。河内将芳氏も「日本饅頭濫觴の家」をあげられていたが林浄因に始まるという塩瀬家の名前を出していない。同時代史料にないのだろうか。京都の塩瀬家は本で書いていたように断絶し、江戸の塩瀬総本家が今に伝わっている。

#京都 #河内将芳


2018年12月21日 (金)

『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』(2014)その2

河内将芳『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』吉川弘文館、2014年

総構に囲まれた上京を歩く

戦国時代の上京の総構えに沿って歩くコースがあげられている。

河内将芳氏は学者なので甘味に興味がないのかもしれないが、このコースでは上御霊神社門前の水田玉雲堂で唐板を買って出発し、上京を巡って烏丸一条の虎屋一条店または手前の虎屋菓寮を目指して歩くコースとすればなかなか楽しいとみた。途中に茶ろんたわらやもあり、私的にはオススメである。

キーワード
#京都 #河内将芳

2018年12月20日 (木)

『特別展 京を描く ー洛中洛外図の時代ー』(2015)

『特別展 京を描く ー洛中洛外図の時代ー』京都文化博物館、2015年

河内将芳氏の『戦国時代の京都を歩く』(2014年)に刺激されたので、洛中洛外図のもう少し大きなものが見たかったので、京都文化博物館の図録が出てきたので、とりあえずは良しとする。『狩野永徳展』(2007年)の図録も部分的に大きな絵があって楽しいことが分かった。

キーワード
#京都 #洛中洛外図 #京都文化博物館



2018年12月19日 (水)

『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』(2014)

河内将芳『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』吉川弘文館、2014年

本書は『上杉本洛中洛外図屏風』で描かれた戦国時代の洛中を上京と下京に、洛外を鴨川と北野に分けて史料をもとに辿ってみようという試みである。

『上杉本洛中洛外図屏風』の制作年代は、おおよそ永禄年間(1558年〜70年)と考えられているが、描かれたものは絵画の性格上それ以前のものもあるという。『日蓮宗と戦国京都』(2013年)でも触れられていた天文五年(1536年)の天文法華の乱で下京が焼かれているのでその後、信長が入京する永禄十一年(1568年)までの京都が描かれていると考えられているという。

私も洛中洛外図は謎解きに満ちていると書いた2014年4月17日の後で関係書籍を買い求めてきたが、参考文献に載っていた小島道裕氏の『描かれた戦国の京都ー洛中洛外図屏風を読むー』(吉川弘文館、2009年)も気になるので私の興味が続くのなら探してみたいと思う。

#河内将芳 #京都 #戦国 #洛中洛外図






2018年12月18日 (火)

『深層文化論序説』(1976)

上山春平『深層文化論序説』講談社学術文庫、1976年

三つの論文からなる。
1 深層文化論序説
2 人間学の位置
3 縄文の石笛

上山春平が深層文化としての縄文文化への関心について『照葉樹林文化』(1969年)の序説に略述したと書いていたので、序説の中の「日本文化の深層分析」を先に読むことにする。

上山春平が『照葉樹林文化』から引用している箇所をメモしておく。

「私たちが地面の中から縄文土器を掘りおこすという作業は、もともと象徴的な行為であって、それは日本文化の深層から縄文文化を掘りおこす作業のほんの一部にすぎない。したがって、土器の編年という仕事は、こうした深層文化の発掘作業の不可欠な部分には違いないのだが、いうまでもなくその出発点にすぎない。現に私たちが住み、私たちが耕している地面の下から土器を掘り起こし、その制作年代を推定するという作業は、今日の私たちの文化の表層を掘り下げて、深層にひそむものを見つけ出す作業の一環にすぎないのである」(P4)。

上記の文章は『照葉樹林文化』の序説の10P〜11Pにあり、日本文化の深層が「照葉樹林文化」であるという仮説が提示してあった。

私は「縄文の石笛」の石笛(いわぶえと読む)について著者の上山春平が三島由紀夫を措定したの対し鎌田東二氏を思い浮かべていた。法螺貝とともにアイルランドの海岸で拾ったという石笛を吹くのを何度も聴いてきたからである。

さて、話は上山春平へ未知の老人から届いた手紙から始まる。石塚遺跡出土の球根形の石製品が何かの鑑定を求められた上山春平は『照葉樹林文化』では中尾佐助が触れなかったカラスウリの類の根について調べたのである。烏瓜の根を王瓜根(おうかこん)、黄烏瓜の根を天瓜根(てんかこん)とよび、王瓜根からとった澱粉を王瓜粉、天瓜根からとった澱粉を天瓜粉(てんかふん)というのを読んでいくと、私は坂田靖子の『天花粉』(1986年)を思い出していた。

上山春平は石製品のなかの子持ち魚を興味を示して、石笛に注意を払っていなかった。ところが、老人の関税氏と文通し、水戸へ訪ねてみて、石笛の吹奏を聴き、三島由紀夫の『英霊の声』(1966年)を思い起こした。石笛を縄文時代の楽器ではないかと考えたのであった。関氏が掘り出した場所の近くの地層をトレンチして、縄文時代の土器片を確認したところで石塚遺跡の話は終わる。

最後に蛇足として今西錦司の学問の方法論が書いてあってこの掌編の面白さを感じた。




2018年12月17日 (月)

縄文ZINE 09 2018 WINTER

縄文ZINE 09 2018 WINTER

甘夏書店さんでフリーペーパーをもらう。特集、勝坂46に目が止まった。
勝坂式土器のユニークさでは、火焔土器に負けていない。スター・ウォーズを使った比喩は一読に値する。

勝坂式土器についてはどこかで触れた記憶がある。まとめて見にいくには長野県のJR中央線信濃境駅から歩いて15分の井戸尻考古館へ行くのがいい。

その前に、図書館やwebで勝坂式土器の様式の編年研究として、勝坂1、勝坂2、勝坂3を見ておくともっと楽しくなる。

縄文ZINE

井戸尻考古館







2018年12月16日 (日)

2018年12月書籍往来

2018年12月書籍往来

中尾佐助『花と木の文化史』(1986年)を読んでいて、そういえば『栽培植物と農耕の起源』(1966年)があったと思い出していた。古いので現在は、その後色々な発見やDNAの分析の発達などで訂正するところも出てくると思って調べるのがおっくうになっていた。知的怠慢である。だが、アジアのなかの日本を考えていく上で、文化の話はDNAの話とは別にできると思っている。起源とは、繋がっていなければ起源にはならない。そう考えれば、既存の文明と繋がっているはずである。そこで、埃を払ってみることにした。

森有正の本も出てきたので、どこかで読もう。

【思想】
森有正『近代精神とキリスト教』講談社、1971年、1973年第4刷

森有正、古屋安雄、加藤常昭『鼎談 現代のアレオパゴス 森有正とキリスト教』日本基督教団出版局、1973年、1976年第3刷

【文化】
中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』岩波新書、1966年、1978年第15刷

上山春平編『照葉樹林文化 日本文化の深層』中公新書、1969年、1978年第14版

上山春平、佐々木高明、中尾佐助『照葉樹林文化 東アジア文化の源流』中公新書、1976年、1979年第6版

上山春平『神々の体系 深層文化の試掘』中公新書、1972年、1979年第11版

上山春平『続・神々の体系 記紀神話の政治的背景』中公新書、1975年、1978年第4版

上山春平『深層文化論序説』講談社学術文庫、1976年

【科学】
富塚清『動力物語』岩波新書、1980年

2018年12月15日 (土)

一冊の本を選ぶということ

無人島に持っていく一冊の本を何にするかという話は有名だが、あまり現実的ではない。しかし、避難所生活での必需品は何かという話をしていたら、本であるということになった。電化製品が使えないとなると暇を持て余すことになる。何を持っていくかを考えると私の場合は、詰将棋の本がいいということになった。では、具体的に何にするかと考えると、避難袋に入る軽いものでなければならないので、内藤国雄『図式百番』(2005年)、駒場和夫『ゆめまぼろし百番』(2006年)、谷川浩司『月下推敲』(2011年)は大きいので断念する。東洋文庫の『詰むや詰まざるや』(1975年)は手頃なのであるが、問題がお手頃ではない。そこで岡田敏『実戦型詰将棋百番 望郷』(1989年)あたりを避難袋に入れるのが相応しいと考えた。そう考えて段ボール箱を開けたら、ポケット版の詰将棋本だらけではないか。文庫本よりやや大きいが薄いので魅力的であり、2、3冊あっても邪魔にならない。さて、これらの本を開いたら眠れなくなるので、若島正『恋唄』(1983年)をお供にすることにした。

2018年12月14日 (金)

東都手帖2019年01月【編集中】

2019年01月東都散歩のための私的な愉しみと記憶

1月は正月休みがあるので、美術館や博物館に使える土日が少ない月だ。最近、絵巻物に関する本を読んであらためて絵巻物という表現形式に注目している。

博物館に初もうでして長谷川等伯の国宝 松林図屏風を見れるのは2019年1月2日(水)〜14日(月)。

博物館に初もうで 東京国立博物館 2019年1月2日(水)〜27日(日)

ルーベンス展 バロックの誕生 国立西洋美術館 2018年10月16日(火)〜2019年1月20日(日)

天文学と印刷 印刷博物館 2018年10月20日(土)〜2019年1月20日(日)
新年は1月4日(金)より

企画展「酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり」根津美術館 2019年1月10日(木)~2月17日(日)

特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」東京国立博物館 2019年1月16日(水)〜2月24日(日)

編集履歴
2018/12/18 博物館に初もうでを追加

2018年12月13日 (木)

四都手帖2019年01月【編集中】

2019年01月の私的な愉しみと記憶

新年のことを書かないといけないのが、まるで家元の巻頭エッセイようで面白い。年の内に新年を書くのは何の意味があるかというと、普通は予定を立てるためだけれど、なんの予定なのだろう。過去に訪れた場所やイベントをことに触れて思い出すことは慰めである。そして、まだ見ぬことを想うのも愉しみである。

相方の呟きで思い出した。湖東に春を告げるものがあった。長浜盆梅展についての懐かしい記憶がよみがえった。
長浜盆梅展を観に行く

【古都】
修正会 延暦寺 2019年1月1日(火)〜3日(木)

皇服茶(おうぶくちゃ)六波羅蜜寺 2019年1月1日(火)〜3日(木)

十日ゑびす大祭 恵美須神社 2019年1月8日(火)〜12日(土)

小豆粥で初春を祝う会 妙心寺塔頭東林院 2018年1月15日(火)〜31日(木)

いっとかなあかん店に行きたいね。

【湖都】
滋賀県立近代美術館
2017年4月1日より改修・増築工事のため休館中。2019年3月31まで展示予定はないという。

長浜盆梅展 慶雲館 2019年1月10日(木)〜3月10日(日)

【旧都】
特別陳列「おん祭と春日信仰の美術ー特集 大宿所ー」奈良国立博物館 2018年12月11日(火)〜2019年1月20日(日)

若草山焼き 若草山一帯 2019年1月26日(土)

【水都】
ルーブル美術館展 大阪市立美術館 2018年9月22日(土)〜2019年1月14日(月)

生誕120年 イスラエル博物館所蔵 ミラクル エッシャー展 あべのハルカス美術館 2018年11月16日(金)~ 2019年1月14日(月)

特集展「高田コレクション・尾形コレクション ペルシアの陶器-色と文様」大阪市立東洋陶磁美術館 2018年12月8日(土)〜2019年2月11日(月)

編集履歴
2019/01/12 長浜盆梅展を追加

2018年12月12日 (水)

『信貴山縁起繪巻』(1957)

藤田經世、秋山光和『信貴山縁起繪巻』東京大学出版会、1957年、2011年第2版第2刷

先頃、エルンスト・ハルニッシュフェガー、松本夏樹訳『バロックの神秘 タイナッハの教示画の世界像』(工作舎、1993年)について松本夏樹氏の話を聴いたというか見た。日本にも絵解きというものがあって、『信貴山縁起繪巻』が研究所にあるのを思い出した。引っ越す前のサントリー美術館で買った『国宝 信貴山縁起絵巻』の図録を読み解くために買ってあった。信貴山朝護孫子寺にも一度出向いたことがある。

本書は文化史懇談會で信貴山縁起繪巻の研究をした成果を二人の著者がまとめ上げたものである(P273)。前半と後半に分かれてている。目次を見るだけで明らかだが、藤田經世が漢字を使わな過ぎで読みにくい。ページが白っぽく感じるほどだ。

Ⅰ 繪巻をみながら 秋山光和
Ⅱ ものがたりのなりたち 藤田經世

文化史懇談会のメンバーは、中村義雄、鈴木敬三、杉山博、家永三郎、井上光貞、宮本常一、武者小路穰、多く者純夫、田中一松、熊谷宣夫、米澤嘉圃、福山敏男、石母田正、そして、藤田經世、秋山光和である。

2-53ページに「信貴山縁起繪巻」が掲載されているが、紙面の制約上見るに耐えるものではない。私はサントリー美術館の図録『国宝 信貴山縁起絵巻』(1999年)のカラーの図で満足している。

読んでいて、絵巻というものを色々と見てきたことが思い出された。「伴大納言絵巻」「鳥獣戯画甲巻」なども素晴らしい。その中でも面白さでは「信貴山縁起縁起」が最右翼だと思っている。

キーワード
#絵巻 #信貴山


2018年12月11日 (火)

『日蓮宗と戦国京都』(2013)

河内将芳『日蓮宗と戦国京都』淡交社、2013年

河内将芳氏はどのような視点で『日蓮宗と戦国京都』を書いたのだろうか。今谷明氏の『天文法華一揆〜武装する町衆』(洋泉社MC新書、2009年)を読んでいるので山門と法華宗の対立を描く以上のことが期待される。

本能寺の変を考えるにあたり、「そもそも信長や信忠は、なぜ本能寺や妙覚寺にいたのであろうか」(P14)という問いに推測以外の答えはないことが予想される。その推測にどこまで蓋然性が高い説得力を与えられるか。

「この時期の京都における法華宗や日蓮宗の歴史をかえりみることなく、その実際に近づくのがむずかしいことはあきらかといえる。本書の目的は、信長の時代をふくめた戦国時代の京都における法華宗や日蓮宗の歴史について、主に古文書や古記録など、できるかぎり当時の人々によって記された史料、すなわち同時代の文献史料でもって歴史を考える歴史学(文献史学)の手法によりみていこうと試みるものである」(P15)。

法華宗や日蓮宗が京都で既存の宗教勢力や世俗権力とどのような関係にあったかをみていくことは、信長の視点を考える際にも重要なことであることは分かる。しかし、テーマの抽象度が上ると結論も抽象的になることが予想され、個々の意思決定の問題との関係を考えるのが難しくなる。

参考文献をちらちら眺めていたら、湯浅治久『戦国仏教ー中世社会と日蓮宗ー』(中公新書、2009年)があった。鎌倉仏教から戦国仏教という視点も興味がある。この本も箱の中に入っているらしく、暮れまでは探せない。Amazonでポチするのを我慢して、本書を読む戦略を立てる。

目次
第一章 題目の巷へ 南北朝・室町時代
第二章 戦国仏教へ 室町時代から戦国時代
第三章 天文法華の乱 戦国時代
第四章 十六本山会合の成立と展開 戦国時代から信長の時代
おわりに 附 本能寺の変と秀吉の時代

目次から判断するに、私の興味によって、おわりにから第四章へ遡るのがよいかとが分かる。

おわりにでは、本能寺の変が扱われるが、この本能寺の変は史料が検討され尽くしているので、最近読んだ『宿所の変遷からみる 信長と京都』(2018年)と変わってはいない。

第四章は先行研究では扱われていなかった『京都十六本山会合用書類』が1982年に発見されたことが大きい。日蓮宗(著者は便宜上、法華宗と日蓮宗を分けずに使っている。日蓮宗を宗祖日蓮の宗教を継承する教団全体の意で使うと断っている。P19)が天文法華の乱の後、その社会的地位を上げ、武装的闘争に訴えずに戦国京都を生き抜いてきたことを活写していた。

本書の趣旨を著者がまとめている。
「これまでの研究では手薄であった、天文法華の乱と安土宗論のあいだにあたる時期の歴史をできるだけ具体的にうきぼりにしていくことをとおして、その前後の時期の歴史をとらえ直すとともに、応仁・文明の乱前後、さらにはその前の室町時代の歴史までみつめ直すことことであったといえる」(P254)。

このようなスケールを考えていたことを改めて読むと、信長が京都の宿所をどこにしたかを調べ上げる研究者の仕事がニッチにしか見えない私のような読書人には分からない世界であるといえる。

キーワード
#京都 #河内将芳 #信長 #秀吉 #日蓮宗 #天文法華の乱 #京都十六本山会合用書類 #戦国仏教





2018年12月10日 (月)

『国宝 信貴山縁起絵巻』(1999)その2

サントリー美術館編『国宝 信貴山縁起絵巻』サントリー美術館・信貴山朝護孫子寺、1999年

さて、信貴山縁起絵巻と信貴山朝護孫子寺とはどのような関係にあるのか。鈴木凰永師(当時、信貴山真言宗管長・総本山朝護孫子寺第百丗二世法主)が「信貴山・朝護孫子寺の歴史と信貴山縁起絵巻」を解説に書いている。

信貴山寺は聖徳太子の時に物部守屋を滅ぼすことに毘沙門天の御利益があり、聖徳太子創建と伝えられている。

信貴山縁起絵巻は信貴山寺の中興の祖というべき命蓮上人のエピソードが三卷で描かれている。第二卷のエピソードでは延喜の世の帝の病気平癒に効があったことが語られ、寺号である朝護孫子寺のいわれにつながるという解説が書かれているが、詞書にはそのような記載がない。信貴山縁起絵巻といっても、信貴山朝護孫子寺のいわれではないのである。

2018年12月 9日 (日)

『国宝 信貴山縁起絵巻』(1999)

サントリー美術館編『国宝 信貴山縁起絵巻』サントリー美術館・信貴山朝護孫子寺、1999年

サントリー創業100周年記念展Ⅳ
特別公開 国宝 信貴山縁起絵巻
会期1999年9月14〜10月24日

国宝 信貴山縁起絵巻はカラーの図録3冊と解説が箱に入っている。
1.山崎長者の巻
2.延喜加持の巻
3.尼公の巻
4.解説

このような図録は見たことがない。流石にサントリー株式会社(現 サントリーホールディングス株式会社)の記念事業に相応しいといえる。

各巻は巻物ではなく、折り畳みされており、巻物を見るような感じでめくることができる。辻惟雄氏が「空飛ぶマジックの鉢 信貴山縁起絵巻を見る」を書いていて、もうこれだけで充分楽しめた。それでも、信貴山朝護孫子寺を訪れたりしたし、絵巻の中身に入っていくために藤田經世、秋山光和『信貴山縁起繪巻』(東京大学出版会、1957年、2011年第2版第2刷)を買い求めたのであった。

2018年12月 8日 (土)

奈良その奥から 一「霞の奥」

奈良その奥から 一「霞の奥」
岡本彰夫『ひととき』2018年11月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「奈良その奥から」という連載を始められた。初回を読み返してタイトルの元となった歌をメモしておきます。幕末・明治の歌人、八田知紀が吉野山の桜を詠んだ歌に岡本彰夫氏は何を共感したのでしょうか。

吉野山 霞の奥は知らねども 見ゆる限りは 桜なりけり

吉野山の上方にかかる霞、下千本、中千本と称する山桜の花で山が埋め尽くされているように見えます。霞の先にも上千本やその奥に桜が咲いているに違いありません。日本の伝統的な絵は雲か霞がかかっていてすべてを見せてはいません。しかし、見えないところも、ないのでなく、あるのが日本のお約束のような世界です。霞が移ろえばそこに桜が見え、今まで見えていたところが霞で見えなくなります。

岡本彰夫氏は「日本人が誇りを取り戻すこと」をテーマにするといっています。これから楽しみが続きます。

2018年12月 7日 (金)

飛鳥資料館

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の奈良」歴史作家の関裕二氏の4回目は「飛鳥資料館」でした。奈良文化財研究所飛鳥資料館には発掘された山田寺東回廊の一部が再現されています。本尊の仏頭は興福寺の国宝館で観ることができます。

プラス1は「山田寺跡」でした。山田寺は蘇我倉山田石川麻呂の発願で創建し明治時代に廃寺となりました。

2018年12月 6日 (木)

『アール・デコの時代』(2005)

海野弘『アール・デコの時代』中公文庫、2005年

アール・デコの時代の音楽を聴いて、本棚の中にアール・デコに関して3冊目があったことに気がついた。やはり、レファレンス図書はCDとまとめて置かないと、間違って買ってしまいかねない。記憶が役に立たないので、この本を記録しておく。気軽にパラパラするのが、休みの読書に相応しい。

書誌情報
『アール・デコの時代』(美術公論社、1985年)を文庫化するにあたり、原稿を一部追加した。




2018年12月 5日 (水)

『宿所の変遷に見る 信長と京都』(2018)その2

河内将芳『宿所の変遷にみる 信長と京都』淡交社、2018年

信長の京都の宿所を永禄十一年(1568年)から天正十年(1582年)まで日にちで追求した本である。太田牛一の『信長公記』などの二次資料を極力使わずに同時代の日記に基づき記述している。マニア御用達の本である。

河内将芳氏は信長と京都の関係は「不幸な関係だったといえば、いいすぎだろうか」(P160)とあとがきにかえてに書いている。宿所からみると、信長は京都に城を構えていない。寺院を宿所にしており、配下にも屋敷を持たせていないという。しかも、洛外や上京を焼き払ったり、京都に住む者にとっては迷惑この上ない存在であった。日蓮宗の寺院が度々宿所となっており、著者の『日蓮宗と戦国京都』(2013年)も内容を忘れていたので、読み返してみたい。

いったい、歴史地理学なるものは好き者であって、読んだからといって何に役立つものでもない。好奇心が刺激されればそれでよくて、新たに知ったことで、また興味が湧くのである。著者の「信長在京表」も決定稿ではないという(P12)。しかし、改めて「信長在京表」を見ると信長は暮れから正月を京都で過ごしていない。天正十年は3日間しか京都にいない。安土城は1日の距離であると思うと油断するのも無理はないと思った。

堀正岳氏の『知的生活の設計』(KADOKAWA、2018年)でいう積み上げが少しはされた分野であるから、読んでいてあそこはどうなっているか、気になるのである。となるとなかなか本も処分が叶わぬわけである。

キーワード
#京都 #河内将芳 #信長

2018年12月 4日 (火)

『宿所の変遷にみる 信長と京都』(2018)

河内将芳『宿所の変遷にみる 信長と京都』淡交社、2018年

河内将芳氏の本はニッチなので楽しい。おかげで、『信長が見た戦国京都』(2010年)、『日蓮宗と戦国京都』(2013年)、『歴史の旅 戦国時代の京都を歩く』(2014年)などを買ったばかりでなく、雑誌まで読んだりした。

河内将芳 「第3章 京の城と信長―なぜ信長は京都に城を構えなかったのか(武家御城―足利義昭御所、旧二条城;信長の宿所)」千田嘉博、下坂守、河内将芳、土平博『城から見た信長』ナカニシヤ出版、2015年

河内将芳「戦国期・豊臣政権期京都の御霊祭ー文禄五年を中心に」日本歴史学会編集『日本歴史 2018年9月号』吉川弘文館、2018年

それでもって、今回の本は、『信長が見た戦国京都』『城から見た信長』の続きに位置する。昔の絵や現地の写真も豊富で楽しい。読めば、次には現地を見に行きたくなる。

キーワード
#京都 #河内将芳 #信長



2018年12月 3日 (月)

奈良その奥から 二「儀式の解読」

奈良その奥から二 「儀式の解読」
岡本彰夫 『ひととき』2018年12月号

春日大社の元権宮司の岡本彰夫氏が「春日若宮おん祭り」について『ひととき』2018年12月号に書いていました。この祭礼で神楽などとともに「田楽」が奉納されますが、おん祭りの田楽は世襲となっていて、たとえば「高足(こうそく)という芸は「十文字に組んだ棒に片足を掛けて、袖を大きく上げる。これは元々曲芸の一種で、この棒の上に乗って飛び跳ねるという芸を儀式化したもので」す。「因みにこの姿が豆腐や茄子を串に刺して焼き、味噌をつけて食べる料理に似ていることから、これを「でんがく」と呼んだ」といいます。なるほど味噌田楽の名の由来でしたか。知りませんでした。

ここで岡本彰夫氏は「棒に足を掛けて袖を翻すだけの簡素な芸」について、「もし曲芸の高足に拘っていたならば、熟練したプロにしか、この芸は伝承出来ず、いつしか歴史の波浪に呑み込まれ、その存在すら判らなくなってしまってしただろう。しかしこの芸を儀式化した事により、誰もがこれを行えて、かつての姿を後世に留める事が出来た」と「儀式化」の意味を読み解いています。

2018年12月 2日 (日)

京の年中行事

新幹線に乗るのも久しぶりの気がする。
海側の席にしたので、大磯丘陵や熱海から初島を見たりして、いつしか眠っていた。いつだって名古屋で起こされる。

京都駅についたら、まずはイノダコーヒと行きたいが、まだ、紅葉の時期なので混雑していた。ふたば書房京都駅八条口店で本を探すのはいつものことだ。

地下鉄で烏丸御池で降り亀末廣で上生菓子を買い、御池通りの紅葉を見て二条御幸町の柳櫻園茶舗で抹茶とかりがね玄米茶を買って、お茶屋へ行き、チケットを受け取る。

相方と南座の前で待ち合わせて、中に入る。久しぶりの南座である。當る亥歳 吉例顔見世興行の初日であった。しかし、今年の昼の部はスタート時間が早く10時30分で終わりは16時15分が予定されている。長い。そのとばっちりは夜の部で終わりは21時55分という。終わってから食事どころではない。

昼の部
第一 菅原伝授手習鏡 寺子屋

第二 鳥辺山心中

第三 ぢいさんばあさん

第四 恋飛脚大和往来 新口村

出し物はいつも思うのだが、年の瀬になって暗いものが多い。歌舞伎も心中物を二本も出すことはないだろうにと思う。目出度いで終えたいのが庶民の気持ちだが、興行サイドは違うらしい。

相方がイノダコーヒでビフカツサンドをテイクアウトしてくれたので、幕間のランチはそれをスパークリングワインで食べることになった。テイクアウトはなかなかよいことが分かった。相方はハムサンドである。去年はかじ正さんの弁当だった。取りに行ったりして慌しいので、今回は池波正太郎好みということに誘導したのだった。

昼の部が終わって、16時10分である。
紅葉見物を兼ねて、法然院へ行く予定は変更せざるを得ない。まあ、明日の朝に行けば良いのである。

2018年12月 1日 (土)

110「白餅の効用」千宗室

ひととき 2018年12月号の千宗室さんの京都(みやこ)の路地(こみち)まわり道は「白餅の効用」というタイトルでした。冬の訪れを庭に来る鳥の行動から知ることが前振りとして書かれてました。冬の長点前(ながてまえ)のため、水分摂取を控えるといいます。そして、朝は小ぶりの丸い餅の白焼きを2、3個で済ますのだそうです。そうやって粗相のないように務める茶道の家元でした。

今年は、お供えの餅がスーパーに並ぶのが早かったと思いました。この町では角が立たぬよう餅は丸いものを良しとするといいます。竹皮もどきの紙で包んだものが、いらぬ湿気が少ないと思っているようです。クリーニング屋のワイシャツもビニールの端を切り取り、シャツがカビ臭くならないように気をつかっているということでした。

2018年11月30日 (金)

宗我座宗我都比古神社

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の奈良」歴史作家の関裕二氏の3回目は「宗我座宗我都比古神社」でした。蘇我氏の始祖を祀った神社です。宗我座宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社とはなかなか読めません。

プラス1は「入鹿神社」でした。蘇我入鹿を祀る神社です。

注)明日香村ではなく橿原市にあります。

2018年11月29日 (木)

2018年11月購入図書

2018年11月購入図書
霜月も足早に過ぎ去ろうとする。今年もあとは師走を残すのみ。読書というままならないものをして世を過ごす。

(購入後記)
8年かけて読んできた『湖底の城』が完結した。もう、こういう読書はないだろうなあ、私の春秋には。

室町時代のマイブームはまだ続いている。

いっとかなあかん店の三都物語は完読した。思うに、食べて飲むという当たり前の行為に幸せがあるのであって、それをインスタントに済ますことに何の意味もない。

教示画について検索すると出てくるのはこの本である。

国木田独歩の『武蔵野』を赤坂憲雄氏がどのように精読したのか。ちょっと気になった。

Lifehacking.jpで1章無料の宣伝に引っかかる。堀正岳氏の文章の上達ぶりに驚く。読みやすい。しかし、『ライフハック大全』のようにkindle版にしておけば良かった。紙では始末に困りそう。


【思想】
エルンスト・ハルニッシュフェガー、松本夏樹訳『バロックの神秘 タイナッハの教示画の世界像』工作舎、1993年

【歴史】
日本史史料研究会監修 平野明夫編『室町幕府全将軍・管領列伝』海星社新書、2018年

【京都】
バッキー井上『いっとかなあかん店 京都』140B、2018年

【知】
堀正岳『知的生活の設計』KADOKAWA、2018年

【文学】
宮城谷昌光『呉越春秋 湖底の城 第9巻』講談社、2018年

赤坂憲雄『武蔵野を読む』岩波新書、2018年

2018年11月28日 (水)

2018年11月購入古書

2018年11月購入古書

だいたい、岩波書店の『図書』は買ったことがない。田村書店で本を買ったついでにもらってきて読むくらいだ。だから、いつも田村書店の印が押されている。神田古本まつりで店内1割引だったので、ワゴンを漁っていないで中の本の背表紙を見ていって、勘で引っこ抜いた。パラフィン紙で背表紙の字など読めやしない。デカルトの本の近くにあったのであたりをつけたわけだ。

哲学者の書簡集なのでカテゴリに困ったが、解題のアンドレ・ブリドゥ氏の「大作家の書簡は常に彼等の著書の最も貴重な註釋である」という発言を受けて、「思想」とした。

谷沢永一氏が「"デカルト論語"の読み方」(1982年)共著『古典の愉しみ』(1983年)収録及び単行本『論より証拠』(1985年)収録の中で、大学生のときに創元社の『デカルト選集』(全6巻)を携えて、瀬戸内海に浮かぶ六島という小さな漁村に、2ヶ月間、籠もったとき、第5巻と第6巻の書簡集を読んで「物の見方、考え方、考えの進め方、その掘り下げ方、それらの根本を、私は、ここから教わったという気がする」と書いていた。

この話は丸山有彦氏のブログで教わったので、去年の神田古本まつりで『古典の愉しみ』(1983年)を手に入れて読んでみた。デカルトの書簡集は『デカルト全書簡集』全8巻が知泉書館から2012年から2016年にかけて刊行されている。しかし、デカルトの自然科学に関する書簡を今更読んでも仕方がない。むしろ、方法論を読み取るためには創元社版がいいのであるが、Amazonにはなかったのであった。

今回、手に入れたデカルトの書簡集は、初版紙型をそのまま使用したという断り書きの紙が挿んであったので、『デカルト選集』と同じ内容と思う。下巻は初版に於る書簡排列の年代的錯誤を訂正したほかは、初版紙型をそのまま使用したとある。いずれも訳者の校閲を得る暇がなくと断り書きに書いてあった。紙質は戦後すぐのため悪い。しかし、何故再版を急いでいたのかは気になるところだが、追求はまたの機会に譲ろう。

そういう訳で、谷沢永一氏が読んだ本と同じ内容ということが分かった。そして、谷沢永一氏が引用した部分を、原典から書き写して、味わうのを朝の日課にしたのだった。自分が使うには孫引きではダメである。

#cafeikkAさんで「団地茶論vol.1」があった時、2階の#甘夏書店さんで『団地の整理学』を買った。「完全なる整理」はないとある。整理も「家事」であるという。勇気づけられる本である。

【思想】
佐藤正彰、川口篤、渡邊一夫譯『哲學叢書 デカルト書簡集(上)』創元社、1940年、1947年第2版

渡邊一夫、河盛好藏、市原豊太譯『哲學叢書 デカルト書簡集(下)』創元社、1940年、1947年第2版

【知】

香住春吾『団地の整理学』中央公論社、1971年再版



2018年11月27日 (火)

『知的生活の設計 10年後の自分を支える83の戦略』(2018)

堀正岳『知的生活の設計 10年後の自分を支える83の戦略』KADOKAWA、2018年

2018年11月22日にLifehacking.jpで堀正岳氏が11月24日発売予定の『知的生活の設計』(KADOKAWA、2018年)の第1章をwebに無料公開していたのを読み、23日には松戸のKUMAZAWAに1日早く並んでいたので堪らず本をゲットして読みました。『ライフハック大全』(2017年)はkindle版で読んだので、kindle版を待てばよいのに、ペーパーバックを買ってしまったのは、好奇心のせいですかね。「知的生活」に反応してしまうのはこのブログの特徴ですね。

1つの戦略は2頁から4頁の軽い内容ですけど、実践に裏打されています。「知的生活」ではなく「知的生活の設計」が著者のポイントです。今まで数字で語る人はいなかった。10年先を見据えて、書籍の数や収納スペースのバランスをとり、自分の好奇心を満足させるライフスタイルを続けられたらいいなと思いました。さっそく、strategy38で紹介されていたscrapboxを使い始めました。新しいことは、若者に学ぶことと考えています。

Evernoteも著者が使い続けているので、私も少し安心しました。もっとも、「万が一Evernoteがなくなった場合でも致命的なダメージを受けないように移行手段についても目を配るようにしています」(P177)とは、慎重ですね。#タグを使って検索性を上げることを考えることにしてみます。Evernoteが少し重くなってきたので、「情報の一時置き場のノートブックと」「価値のある情報が蓄積するノートブック」を明確に分けることを考えないといけなくなったようです。クリッピングを収集するのと、重要なノートを蓄積するのを分けた運用が必要になっていることに気がついたわけです(P135)。サイクルでの振り返りが必要で、置いておくだけではノイズになってしまうのです。使えなければないも同然と割り切るしかありません。

strategy83では10年先を見据えた「パーマネントスキル」(執筆能力や、情報を選別する能力、あるいはロジカルに思考する能力や、膨大な経験からやってくる一般的な知識といった、どこにでも応用可能なスキル)と「アダプティブスキル」(時代とともに技術や流行が変化したとしても適用させることが可能な動画編集の技能やプログラミング言語など)に自分自身のフィルターを通して得た情報の蓄積を掛け合わせたたった一つの世界観が紹介されて終わります。

スキル×情報=自分だけの世界

「団地茶論vol.1」で団地マニアの活動を知ったことも刺激になりました。15年も団地を追いかけていれば専門家です。居酒屋で独り飲みながら、このあとの人生を考えてみたい。研究所に行けば本を読んでしまうに違いないので、サードプレイスが必要になるのでした。

#知的生活の設計




注)梅棹忠夫『知的生産の技術』、渡部昇一『知的生活の方法』『知的生活の方法<続>』の時代と異なり情報のインプットが本やTV等だけではなくなり、アナログとデジタルを扱い、夫婦共稼ぎの生活設計を想定するのが現代風です。

2018年11月26日 (月)

武蔵野雑感

国木田独歩『武蔵野』青空文庫、1998年、2004年修正版

国木田独歩の『武蔵野』を読むのは決まって秋の深まった空が高く見える頃だ。この短い文章を高校生の頃に岩波文庫で読んで野火止に行ったのが武蔵野を歩いた最初だった。平林寺辺りの景色も今では変わっているだろうことは想像に難くない。

読み飛ばしていたが、源平の闘いが小手指原・久米川であったことから記述は始まっている。新田義貞が鎌倉方と戦った古戦場である。中世史を読んできた身としては、この記述が後に展開しないのが気になった。鎌倉道についても国木田独歩は言及していない。

ツルゲーネフ著、二葉亭四迷訳の「あいびき」の冒頭の一節を長々と引用して、雑木林の美を展開したのが国木田独歩の取り柄である。『武蔵野』は今更読んでも仕方がない小品であるが、当時読んでいた村野四郎編『西脇順三郎詩集』(新潮文庫、1965年)に武蔵野が出てきたのがあって、それで行って来る気になったのを思い出した。

武蔵野を歩いてゐたあの頃
秋が来る度に
黄色い古さびた溜息の
くぬぎの葉をふむその音を
明日のちぎりと
昔のことを憶ふ

(『旅人かへらず』44番)

国木田独歩の『武蔵野』へのオマージュとも思える。
私は西脇順三郎の『旅人かへらず』に言及していない赤坂憲雄氏の『武蔵野を読む』(岩波新書、2018年)には少し不満である。

注)馬酔木の花が咲く頃になると堀辰雄の『大和路・信濃路』を読みたくなる。「浄瑠璃寺の春」で寺の娘が柿の木の自慢をしていて、秋に来ることを進めるくだりが思い出された。年中行事は楽しい。私も京の年中行事は好きだ。大晦日にTennsonの詩を朗読するのもなんとなく続けている。山で年越した日々が懐かしい。風が木々を揺さぶる音を聴きながら、いつか眠りにつく日まで。

2018年11月25日 (日)

『The ART DECO music collection』(2003)CD3

The ART DECO music collection、River Records、2003年

CD3 FALLING IN LOVE AGAIN
sophisicated songs from European cabaret

MARLENE DIETRICHのFalling In Love Againから始まる20曲、61分9秒。

JOSEPHINE BAKERなどほとんど聴いたことのない曲にもかかわらず、大戦間の時代の映画の中でかかっていても違和感がないほどの雰囲気がある。

これで眠れなければ薬に頼るしかない。

2018年11月24日 (土)

『The ART DECO music collection』(2003)CD2

The ART DECO music collection、River Records、2003年

CD2 TOP HAT AND TAILS
Songs and dance from the stars of Silver Screen

FRED ASTAIREのPuttin' On The Ritzから始める21曲で61分58秒だ。FRED ASTAIREの歌が8曲もある。

TOP HATの時代だね。眠くなる。

2018年11月23日 (金)

『The ART DECO music collection』(2003)

The ART DECO music collection、River Records、2003

VICTORIA AND ALBERT MUSEUM LONDONの箱書からしてV&Aのshopで売っていたCDであることに間違いない。どこの展覧会で手に入れたかは忘れてしまった。取り敢えず封を切る。

ART DECOの時代は1920sである。米国の禁酒法時代(Prohibition)は1920年〜1933年と重なっている。この時代の音楽のコンピレーションを3枚のCD にしている。

CD1はCOTTON CLUB STOMP - great jazz from New York and the Cotton Club
DUKE ELINGTONのcotton club stompに始まる20曲が詰まって62分2秒だ。

酒がでないクラブでどうやって楽しんだのだろうか。jazzの演奏だけでなく、お酒も出ていたことは、TVドラマでもいくつかのシーンの記憶がある。密造酒の樽を壊すシーンなど派手だった。大戦間の時代でもあった。

The UntouchablesをTVで観ていた世代には酒の密造で儲けるアル・カポネをエリオット・ネスが追いつめる物語だったと記憶している。何故、禁酒法が米国で成立したかについては理解していなかった。これはいつか調べてみようと思っている。今回はこの時代に流行していた音楽を聴くことにする。最初はjazzだ。この時代のサウンドの特色だろうか、jazzの単調なリズムが眠気を誘うのだ。これを聴いて毎日眠ることにする。



2018年11月22日 (木)

笠置寺

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の奈良」歴史作家の関裕二氏の2回目は「笠置寺」でした。笠置寺の正月堂で修正会を行い、その1ヶ月後に東大寺二月堂でも同様の行法が行われ、それが、今に続く「お水取り」だと関裕二氏がいっています。

プラス1は「後醍醐天皇行在所跡」でした。元弘の乱で笠置寺に篭った後醍醐天皇の行在所は焼けてしまいました。その時、磨崖仏も表面が焼けて剥離しました。

注)笠置寺は京都府相楽郡笠置町にあるので、地図上は京都なのですが、奈良県との県境にある浄瑠璃寺も含め木津川の上流は奈良の文化圏になっています。東大寺大仏殿建立のための物質を木津川で運んだのでした。

2018年11月21日 (水)

『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』(2013)

堀米庸三『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』中公文庫、2013年

ヨーロッパを考えるにはキリスト教による中世というものをどう考えるかという問題を扱わなけばならなくなる。『バロックの神秘』で書かれたドイツ三十年戦争の後の世界がどのような歴史の流れの中で生じたのかについては、遡って、正統と異端についてから考えてみることにしたい。答えはここにないかもしれないが、デカルトの精神を考える上でもヒントになるのではないかと考えている。

書誌情報
『正統と異端 ヨーロッパ精神の底流』(中公新書、1964年)を文庫化したもの

目次
まえがき
Ⅰ 問題への出発
Ⅱ 論争
Ⅲ 問題への回帰
解説 樺山紘一

解説を読むのは2度目になるが、問題意識があるので、ポイントはつかめた。解説を読み、はじめにを読むと、流石に記憶が蘇ってきた。堀米庸三のはじめにの文章に比べ樺山紘一氏の文章は力みがある。

樺山紘一氏は読後の意外感を二つ挙げている。
第一の意外感
「おもに取りあげられるのが、十一世紀から十二世紀にかけて、グレゴリウス改革にともなって表面化する正統と異端の問題であること。ふうつに理解される中世キリスト教異端ではない。一般的に想起されるのは、カタリ派やワイド派であろう」(P265)。
第二の意外感
「そのグレゴリウス改革が、(省略)、教会の粛清と改革をかかげ、ローマ法王権の圧倒的優位を実現させた。「カノッサの屈辱」(1077年)を表徴とする法王・教会の権力と権威の確立こそが、グレゴリウス改革の主要モチーフであろうから。しかし、そうだとすれば、いったい「正統と異端」問題は、そのなかのどこに位置するのであろうか」(P266)。

そもそも「正統」と「異端」という概念は一般に受け取られているような遣い方ではないことに注意する必要がある。

樺山紘一氏は秘蹟に関する主観主義・人効論(秘蹟という名で表現される洗礼や叙品などは、それを施す人物の値打ちのゆえに有効に機能する・執行者重視論)と客観主義・事効論(秘蹟を与えた人物が誰であれ、それが公式の規則に従って行われたのなら有効・聖務重視論)を説明したうえで、中世キリスト教会は客観主義こそが正統な立場であり、人効論は異端であったという。「じつは、グレゴリウス改革は、秘蹟についての異端ぎりぎりの人効論を楯として、教会の粛清と改革を推進した」(P268)。

そして、「正統と異端という視点を、グレゴリウス改革からイノセント三世にいたるほぼ一世紀半のなかにすえてみるとき、中世カトリック教会をおおう巨大なダイナミズムが姿を現わす。教義上の疑点をあえて冒しつつも、教会改革のエネルギーに訴えて、それを現実上の運営にまで展開させること。逸脱にすら向かいうるこのエネルギーこそ、教会とその改革をささえ、信徒たちを覚醒し、行動にいざなう力の源泉であった。それは、正統の立場を踏みはずし、ほとんど異端の際にまで立ちいたったけれども、それゆえにこそ、逸脱に瀕した「異端」者たちを教会内に回収しえた。それは、あまりに鮮烈なダイナミズムと形容したいものだ。このような観察として本書を読むとき、わたしたちは、冒頭にかかげた二重の意外感をすっきりと解消することができるように思われる」(P269-270)。




2018年11月20日 (火)

『東山魁夷 唐招提寺御影堂 和上に捧げた障壁画のすべて』(2005)

『東山魁夷 唐招提寺御影堂 和上に捧げた障壁画のすべて』凸版印刷、2005年
DVD、20分

以前のDVDを観て、唐招提寺御影堂に行った日々を回想している。

山川異域
風月同天
奇諸仏子
共結来縁

長屋王が唐の僧侶に贈った袈裟に刺繍されていた詩である。この言葉に鑑真和上はいたく感動し、日本に渡る決意をしたという。

唐招提寺は鑑真和上により創建された。私が、唐招提寺の御影堂を訪れたのは鑑真和上の命日である6月6日の前後の3日間の開山忌の時であった。国宝鑑真和上坐像のレプリカが造られる前だった。門を潜ってからしばらく並んで、御影堂に上がっても、縁側から外を見ていた。「濤声」が描かれた寝殿の間に入ると、松の間からが厨子が移されていて、間近に厨子から出られた鑑真和上坐像と厨子の扉絵「瑞光」を拝見できた。「濤声」の16面の群青の障壁画に圧倒された。一段高い上段の間に「山雲」があり、第一期は群青の世界だった。桜の間に「黄山暁雲」、松の間に「揚州薫風」、梅の間に「桂林月宵」と水墨画が第二期の奉納である。墨の滲むのを嫌った東山魁夷の工夫は「美の巨人たち」東山魁夷「唐招提寺御影堂第二期障壁画」(平成30年11月10日)で解説されていた。

「生誕110年 東山魁夷展」が京都国立近代美術館に続いて国立新美術館で開催されている。2018年10月24日(水)〜12月3(月)



2018年11月19日 (月)

土居市太郎名誉名人の『必死と詰将棋』(1958)

土居市太郎『必死と詰将棋』大阪屋號書店、1958年

奥付を見ると、定価80円、地方定価85円とあった。将棋ポケット文庫の中身は必死問題70題、詰将棋60題である。200頁の中でのやりくりを想像してもらえると面白い。必死問題は1問で解答合わせて2頁、詰将棋問題は2問で2頁と窮屈になっている。

それでもって、問題は易しいかというと、そんなことはなく、私でも初見ではなかなか解けない。必死問題は、可能性のある手を全て読む必要があるので、難しいところがある。詰将棋問題も5手詰の易しいのから、27手詰まであり、自力で解ければ有段者の実力はあると思われた。

土居市太郎名誉名人のはしがきを読む。

「本書は極く初心の方にも判る様に、最も基礎的な問題七十題を系統的に解説し、一問毎に棋力向上に資する様努力を傾注した。
後編の詰将棋も初心型六十題を撰び、終盤の實力養成に遺憾なからしめたが、尚進んで研究される方には拙書「詰将棋ポケット虎の巻」「最新詰将棋讀本」の並讀を願って置く」。

初心という言葉の意味は深い。

注)難易度は個人的な感想であるので、参考程度にしかならない。プロの作る図はアマチュアの詰将棋作家が作るものより解き易いと感じるのは、教えるべき基礎を考えて余計な枝葉は切り落としているからであろうか。

注)「必死」か「必至」か。
今の本は「必至」とする場合がほとんどだ。自分の中では、次に必ず詰む場合は、「必至」にしている。プロも問題を出す場合は「必至」と使うことが多い。「必死」問題には、玉方の応手により次の手で即詰みにならないものもあるが、「詰めろ」を逃れられないため「必死」といっている。これは、手筋を教示するためのものであり、すっきりした問題にはならないが、勝つためには覚えておくべき知識となる。




2018年11月18日 (日)

『室町幕府全将軍・管領列伝』(2018)

日本史史料研究会監修 平野明夫編『室町幕府全将軍・管領列伝』海星社新書、2018年

542頁もある新書を立たせて写真を撮ってTwitterに載せたのがタイムラインに流れたのは、執筆者の一人である亀田俊和氏がリツイートしまくっていたせいだった。

室町幕府の成立時期にも議論がある。そういうところから、室町時代を知る必要がある。室町時代の人物を扱った歴史書を何冊か読んできたが、そういう話は出ていなかった。鎌倉幕府の成立は歴史の教科書でも話題になったのは覚えている。室町幕府も同じことだったのだ。すると、幕府の成立と時代呼称の関係はどうなのかという議論もあって良いと思うが、細かい詮索は無用だろう。

鎌倉時代が鎌倉幕府滅亡の1333年で終わって、建武の新政が1334年から1335年、室町時代は1336年から1573年と習った。建武三年(1336年)十一月に『建武式目』が制定され、足利政権が成立したとされる時期から、十五代足利義昭が信長に攻められ京都を退去して政権としての室町幕府が滅亡するまでを室町時代という。その後も足利義昭は征夷大将軍であり続け備後の鞆で幕府を開いているが、もはや政権と呼ぶ状態ではない。足利尊氏が征夷大将軍に就任したのは暦応元年(1338年)八月である。源頼朝が征夷大将軍になる前に鎌倉幕府が成立したとみる歴史学会からみれば当然のことだろう。幕府が成立しても南北朝の抗争は続いていたので、南北朝時代という区分も重なっている。時代区分論はどこまでいっても議論は尽きない。

本書を編集した平野明夫氏が総論の最後で、「室町幕府は、管領を軸とした政権であった。ところが、これまで管領全員の伝記は皆無であった。本書で、将軍に加えて、管領を取り上げたのは、室町幕府における管領の重要性に鑑みた上に、これまでの状況を考慮したものである。本書が、室町幕府を見る基礎となることを祈念する」(P13)と書いていた。本書の的確な価値提示である。

残念なのが足利直義である。兄尊氏の項で扱われ将軍となっていないので立項がされていない。



新書も厚いが文庫も厚い(^。^)

2018年11月17日 (土)

『森有正 感覚のめざすもの』(1980)

辻邦生『森有正 感覚のめざすもの』筑摩書房、1980年

三部構成になっいて、第一部 の「森先生のこと」は思い出を語っていて、第二部の「森有正論」への入口をなしている。第二部のうち『経験と思想』の解題はすでに読み返した。問題はすっかり忘れていたが、第三部の「ある試みの終わり」は、森有正論というよりは、吉田健一論になっていたのだった。森有正(1911-1976)と吉田健一(1912-1977)は同時代を生きていた。森有正が「経験」や「変貌」を考え、晩年の吉田健一が「時間」や「変化」を書いていたことの根底に、西洋との対峙がある。

辻邦生の「パリの秋 日本の秋」では吉田健一がエリオット・ポオルについて書いた文章を『思ひ出すままに』(1977年)より引用して、西洋と日本を対峙する意味を書いている。

辻邦生は「森さんが晩年に近いある時期、自分から何か憑きものが落ちて、昔からあった自分に立ち戻る経験を書いている」という。そして、吉田健一の『時間』(1976年)や『変化』(1977年)を語るなかで「われわれが変化なり時間なりを忘れるとき、自分を喪っているからであって、時間のなかを生き、変化を感じるということが、吉田さんにとっては自分を取戻し、自分の「暮し」を楽しむことであった」というのはほとんど同じことを言っていると思う。

簡単にヨーロッパに行き来できる世代は、この世代の西洋との対峙の苦闘を知ることもない。



2018年11月16日 (金)

東大寺ミュージアム

週刊新潮の古都を旅する「とっておき私の奈良」歴史作家の関裕二氏の1回目は「東大寺ミュージアム」でした。2011年10月にオープンしたときから何回か行きました。国宝の金堂八角燈籠火袋羽目板がいいですね。

プラス1は「龍美堂」でした。東大寺二月堂の南隣にある甘味処です。ここでお茶して、行法味噌を土産に買うことが楽しみでした。

2018年11月15日 (木)

2018年11月書籍往来

2018年11月書籍往来

森有正を読み始めるとすぐに辻邦生にぶつかった。そこで、辻邦生のまとまった森有正論を読み返そうと思う。だいぶ前なので忘れていたことばかりだが、最近読んだ解題も内容がうろ覚えだった。読書とはそんなに儚い行為なのか。

【思想】
辻邦生『森有正 感覚のめざすもの』筑摩書房、1980年

2018年11月14日 (水)

『バロックの神秘 タイナッハの教示画の世界像』(1993)を垣間見る

エルンスト・ハルニッシュフェガー、松本夏樹訳『バロックの神秘 タイナッハの教示画の世界像』工作舎、1993年

翻訳者の松本夏樹氏のお話を聴く会があった。まあ、こんなこと企画するのは、Le Petit Parisienの石川氏くらいしかない。

僅か2メートルほどの教示画の翼扉の表と裏、そして主画面に描かれたキリスト教世界の絵解きが2時間経っても終わる気がしない。松本夏樹氏にスライドで一通り見せていただいたが、解説がないままに、庭の植物や鉱物、レリーフなどが映されていく。

扉絵に、天上で待つキリストに祝福される人々の魂が雲の上に何段も列をなしているのが、女性であることが印象的であった。ドイツ三十年戦争は、戦争で男達が死んでいない世界をもたらし、女性が中心となって生きていく世界を作ったのだろうか。

主画面の旧約聖書と新訳聖書の世界が左右に配置され、定規とコンパスで計算された幾何学的構成のなかに配置された人物、動物や植物の数々、中心となるマリアの真珠、一つ一つを読み解いていくためには、聖書の知識以外にキリスト教カバラ、錬金術など足りないことばかりだ。



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